続ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い-書評-私の男 pic.twitter.com/nWaaJF1ZC5

 男は娘を血の袋として愛してしまう。自分と同じ血が入った袋として、それを娘のように、母親のように、そして自分のように愛そうとした。「欠損家族」の中でハカり知れない孤独と、それによって繰り返し訪れる破壊衝動とを情愛に依って覆い隠し、血がつながっている他の個体に自己を憑依させ、それを愛す。一度血のつながりを知ってしまえば、それはただの理由の一つにすぎないはずなのに、血がつながっていない者を愛せなくなる。そんな狂ったような実直さを淡々と再現した物語。

私の男 (文春文庫)
私の男 (文春文庫)
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文藝春秋 (2012-09-20)
売り上げランキング: 1,927

 本書「私の男」は桜庭一樹による同名の映画の原作小説で直木賞受賞作。小説なんて滅多に読まないのだけれど、映画を見たと言ったら批評家クラスタに原作も読んでみて下さいと言われたので図書館で借りてみた。
 映画とは逆の時系列で、この物語は群像劇形式で各章の主人公視点から始まる。ヒロインである花が映画とは違う男と結婚するところから始まり、過去にさかのぼりながら、一つ、一つ、主人公達の放つ「象徴的な言葉」の発生したエピソードが描かれていく。いちいちねっとりした表現と、女々しい語り口調に作者は女流作家かと錯覚したら、本当に女流作家だったらしい。

 90年代以降主流なテーゼとなった機能不全家族を、快活にあつかった作品を何度かブログでも紹介してきたけれど、気づけば逆にここまで女々しい作品は見たことが無かった気もする。すべて希望へつなげようとするか破壊衝動につなげる作品が多かった中、本書は「消える」。どこへかはわからないが、「消える」。近親相姦を扱った本作は、第一章で、父が消えてから物語が始まるのである。

 本書でも取り扱わなかった、愛情と血が濃すぎて父を嫌いになる描写の代わりに、スローモーションのように<恐怖>が愛情へ、母性へと少女を変えていく描写が何度も何度も描かれる。少女と男の中には自己、親密な異性、家族、他者、各々にすべてが住まっており、イベントごとにペルソナを変えていく。お互いがお互いの望むものを、今力の及ぶ限りに於いて贈与しあい、やがてその世界を守るために人を殺してしまう。あっけなく死んでいく描写については何とも言えないのだけれど、(そして殺す必要あったのかという議論もあるのだろうけれど)本書のミソはそこではなく、やはり自己愛を家族へ投影することの病理をこれだけ極端な例で描いたことである。家族というもの、血統というものが呪いとしてしか機能しなくなってしまった現代に於いて、ある程度のしがらみを感じながらも自由な野に放たれた二つの個体は、アメーバのように溶解し合成しては分裂する。合成し分裂するたびに、お互いの一部を自己の一部として身体に刻み、やがてもう一人の自分を愛するようにもう一人を愛するようになる。それは決して方翼のからすのような生易しい描写ではない。

 作中、彼らは妄想をしない。互いに思いを馳せることや、過去を振り返ることはあっても、想像や妄想の世界を広げることは無い。えんえんと、判断についてが記述され、それが一番病的な世界観を醸し出しているのかもしれない、

 何人か映画と原作を両方見た人の話を聞いたが、皆やはり原作の方が良かったという話をしている。現代の映画は基本的に2時間かけてPVをつくるような構成になっているため、作品自体の魅力が消臭されてしまっている気もした。
 読んだのはハードカバーだったのだけれど、文庫本も出ているらしいので、そちらを求めるのも良い。欠損した何かを埋めるための恋愛と、欠損した自己を肯定するための恋愛が両立するのだと気づかせてもらった作品であった。

耽美系正統派ミステリーにホモォ-書評-神様が殺してくれる pic.twitter.com/kmJGiU143B

 図書館で借りてきた。フィットネスで自転車こぎながら読んでたけれど、ライトノベルばりの軽い文体で、すーっと耽美な世界に引き込んでくれる。性別、血統、神様、様々な要素が泡のように出てきては、捕まえられる事も無く上へ上へと離れていく独特の感覚は面白かった。

神様が殺してくれる
神様が殺してくれる
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森 博嗣
幻冬舎
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 本作「神様が殺してくれる」は森 博嗣 による幻冬舎創立20周年記念特別書き下ろし作品。大学のルームメイトだった女性以上に美しい男、リオンによって、殺人事件に巻き込まれる話。リオンは遺体の隣で裸で拘束されたまま寝転がっていて、主人公が殺した、と供述する。あとはもう犯人を追ってヨーロッパ中を駆け巡って、最後は日本で事件の全貌が明らかになるのだけれど、その辺はぜひ読んで確認していただきたい。
 なんとなくそんなことは無いよなー的なこちら側の予想を、最後に見事に全部ぶっ込んできたあたりさすがだなという終わり方。よく読んでみると至る所に伏線が張り巡らされていて、それは何を書いていて何が書かれていないのかを読み取らなければ見て取れないものでもある。
 同時に作中、既婚者の主人公が何度もリオンに心が揺さぶられる様が描かれる。主人公は何を愛したのか、何を愛したかったのか、それを追求もせず理性ですべて押さえ込んでしまうあたり、まともな作品でもあった。もっとリオンと寝ちゃうような描写があっても面白かったかもしれない。

ブログタイトルにtwitter pic画像URLを入れる実験 pic.twitter.com/I1jxgB2Efv

これで拡散のときにサムネイル画像も同時にtwitterに廻るので効果的かと思ったけれど若干工数が増える。
なおラーメンの画像を貼り付けてあるので深夜の飯テロにお使いください

続・FC2 liveは一晩で77万稼げる

 前々からぼーっと観察を続けているFC2live、先月今月と逮捕者が出たが、その逮捕者とは別に、僕が知ってる中での売り上げ最高記録が出た。前回の記事でこの手の記事が出てきたら終わり、とかなんとか言ってる人がいたけれども、まだまだFC2liveをはじめとしたアダルト産業自体盛り上がっている。なお先日捕まった帽子君事件で、少し過激にやる人やぽろりに敏感な配信者が増えた模様。
 仕組みがわからない方はこちらから先に読んでいただきたい。

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汝は我、我は汝-映画評-私の男

 個人的になかなか楽しめた。本編中二階堂ふみはえんえんディープキスし続けるし脱いで妖艶な体をこれでもかと魅せるしがんがんもまれるし、なぞのスプラッタ表現がでてきたり、浅野忠信がまじめキャラの高良健吾を脱がして肌をなめる謎のBL展開があったりと、無駄に刺激的で隣りのカップルは映画のエンドロールで早々に帰っていったので、そこそこリテラシーが必要な映画かもしれない。本エントリを書いてる今でもあてられた感が抜けない。丸の内TOEIで見てきたが、一階の映画館は地下鉄の音が響くのでいまいち。ただの背徳映画としてみるといまいちだけれども、人が何にすがるかが、誇張してよく描かれていた。
[http://watashi-no-otoko.com/:title=http://watashi-no-otoko.com/introduction/images/mainvisual.png]

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どうやら場所が使えそうなのではてなオフパブリックビューイングパーティやります。

 話題のはてなオフのメタオフをやります。このオフのメタオフをやってもらっても面白いと思うのですが、会場の様子は公開しないのであしからず。はてなユーザに限定せず、ブロガーや趣味レベルでブログやってますって人や、ヲッチャーの人にどんどん来てほしいと思います。アキバで買い物なりを済ませた後にちょろっとお立ち寄りください。
はてなオフが気持ち悪くて参加したくないけどオフ会自体には参加してみたい人のための裏番組オフ : ATND
日時:2014年7月12日(土) 18時〜
場所:浅草橋駅前のシェアハウス(名前未定)JR総武線、都営浅草線、都営新宿線馬喰町駅などが利用可能です。
 家なので住所は非公開です。参加される方は近隣への配慮をしていただけると嬉しいです。
会費:大人3000円、学生2000円くらい
会場費、食事、お酒(未成年禁止)込みなので、あちら会場費2000円+懇親会費(オールするって言ってるので多分4000円とかじゃ済まないんだろうな)と比べても安上がりです。
村長とかhagexさんとかnovtanとかゼブさんとか来たら面白いのにな。

剛力彩芽じゃなくてよかった-映画評-「さよならドビュッシー」

 いやー橋本愛の演技すばらしいよ。

「このミステリーがすごい!」大賞作品の映画化。公式サイトはすでに閉じた模様。あらすじはこんな感じ

両親や祖父、帰国子女の従姉妹らに囲まれながらピアニストを目指す16歳の少女・遥(橋本愛)。ある日、祖父と従姉妹とともに火事に巻き込まれ、ただ一人生き残った遥も全身に大怪我を負う。
それでも遥は不遇にめげずに、ピアニストになる夢を実現させるべくコンクールに向けて練習を積み重ねる。そんな中、彼女の周辺で次々と不可解な出来事が起こる……。

さよならドビュッシー | 横浜の映画館・ミニシアター「シネマ・ジャック&ベティ」

 いやすごいのなんのって。映画開始2分で両親が死んで、開始8分で従姉妹と祖父が火事で死んで火事に巻き込まれて全身皮膚移植とかしてきれいなまま生まれ変わって、ピアノ弾きたいけど指が動かなくなって遺産が転がり込んできてそのためか階段に細工されたりして何度か死にかけて、ある日ひょんなことで出会った天才でイケメンのピアニストが助けてくれて熱心に指導してくれて精神的にもフォローしてくれる。「適度に不幸な私」と「才女の私」「支えてくれるイケメン王子様」が黄金比に近いバランスでまぶされており、したたか系不幸少女役がにあう橋本愛を非常においしく仕立て上げてくれている作品。特に探偵役とヒロインが漫才をしたり知ったかぶることはない。
 橋本愛の演技力がなかったら、ぐだぐだな脚本もただおしゃれな感じのピアノクラシックで彩った世界観も厨二的刹那主義で終わっていただろう。ピアニスト役の俳優さんもガチのピアニストらしく、途中に刑事と話すところ以外は演技も不自然さがなかった。
 ストーリーはこてこてなのでだいたい展開や犯人がすぐわかるし謎解きとかなしにあっけなく逮捕された場面には笑った。「ピアニストは手首で呼吸する」という台詞位しか思想哲学っぽい話は出てこない。映画好きが見てもそこまでガッカリはしないので、見て損はない作品。唯一結論じみたことを言うとすれば、橋本愛本当に可愛い。

いつまでもショパン (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
中山 七里
宝島社 (2014-01-09)
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レジリエンス(精神的耐久力)なんてあるわけねえだろ

 心理学界隈でこそーっと盛り上がり始めたレジリエンスという研究、”折れない心”という文言でNHKなんかでも特集された。
NHK クローズアップ現代
 実験なんかを見ててもストレスを与えて耐えれる人と耐えられない人の違いみたいなのを研究していて、耐えれた人は柔軟な思考がある、とかそういう偉そうな結論をつけている。
 だからといって僕はこういったレジリエンスの訓練が広まるのはあまり感心しない。レジリエンスを高めることとストレスをマネジメントすることは一見同じようで違う。

 心が折れるかどうかはもっと大きな要因がある。
 例えばそれがどういう意味があるのか見えないことを繰り返し行わされても人はストレスが極大化するだけ。実験者や実際の生活ならそれをやれと言った上司との人間関係の方が続けられるかどうかというのに大きく影響する。
 次に一番精神的耐久力に影響するのは利益連結性である。最近出川哲朗氏が車に落書きをされてそれを笑いにしようとした番組に批判が集まった。
出川哲朗の車にイタズラ! 全面に「バカ」落書き、ドッグフードで汚損…「アッコにおまかせ」演出に疑問の声 : J-CASTニュース
それが笑いとして成立するかどうかはともあれ、そういった一見いじめにちかいいじりを受けても耐えられるというのは、そこに金銭をはじめとした報酬や利益を生む関係性があるからである。逆に言うとわかりやすい、どれだけやっても利益が上がらない作業を繰り返させられたり、利益にならないのにいじめやいじりのようなことを行われると、耐えられる訳がないのである。コミュニケーションにも同じことが言える。居酒屋でお互いがバカにし合うようなコミュニケーションは、友人関係の維持ぐらいしか利益がない。
 日本の子供たちが特段自尊感情が少ないというのも当たり前で、利益連結的な活動というものを行わず、学校のほとんどが教師と生徒の関係、生徒同士の関係で、関係の維持を迫られるためである。対外的に利益連結的なイベントと言えば文化祭体育祭修学旅行くらいであるが、これらも学校側がある程度フレームを提供するため自由度が低い、機会不足であることが理由としてあげられる。

 レジリエンスを訓練することが叫ばれるのは後ろ向きな理由でしかない。不況で利益が出ないけど激務に耐えなければならない、そんなときレジリエンスが、といった文脈である。レジリエンスのあるなしや高低を問題にされると、それはつまり社会全体で議論すべき問題が個人の問題に矮小化されてしまう可能性がある。ブラック労働に堪えるためのレジリエンスと、リーダーシップとしてのレジリエンスではまるっきり性格が逆のものとなる。レジリエンスを叫ぶ前にちゃんと利益連結性を保つような仕組みを整備したほうがいい

これから教育したい人へ-教育実習生へ送るアドバイス その2

 前回のつづき


生徒の背景は多様

 現場に入ってコミットした後感じるのはその子供たちの個性だけでなく環境の多様さである。
 あなたは親が政治家の子供にあったことあるだろうか?親がヤクザ屋さんの子供は?親が風俗経営してる子供は?子供は皆サラリーマンの子という訳ではないし、親によって家庭の文化が全然違う。家にヤクザ屋さんが出入りしてるからかえりたくない、なんて子は学力格差が大きな地域では普通にあるし、外部の人間が「成績を上げるために学習支援!」みたいなことを言っても現実はそれ以前の問題だったりする。
 我々が意識すべきは「そういうやつもいていい。」という承認から入り、「郷に入っては郷に従え」を必要なときに行えるよう支援することである。生まれや容姿など、生まれつきでかえることが難しいもので否定されるのは、当事者にとってたまったものではないが、大人の世界ですら普通に行われているし、ある程度のあきらめを学習しながら皆成人していく現実がある。受け入れてもらえるコミュニティがある、ということをせめて教師ぐらいは示すことができるようにしたい。

生徒に惚れない

 短期的に教えにくる若い先生という存在は、学習者に取っては異質なもので、実習生はいままで経験したことないちやほや経験をすることになる。内気なセカンド童貞系男子が実習終わった後、本気で生徒を口説こうとしてどん引きされたり、理系男子が「初恋の人に似てる」といって小学生が泣いたり、結構笑えない友人たちの姿を見てきた。相手が自分に好意を抱いてくれていても、それは思春期やフロー体験による熱の延長であることを、ちゃんと引き算して考えるようにしておきたい。

3人よると嫌なやつ

 多分皆経験あるだろうが、個人ではいい子だけれど、3人よるとおちゃらけるやつがいる。2人だと対等に接してくるのにジャイアンみたいなやつがくると途端にスネ夫になってドヤってくる、といった現象がそこかしこに見られる。そういうのはたいてい関係に緊張している証拠である。教員同士の情報交換でも、生徒は誰といるときどういう顔や姿を見せる、といった具体的な形で話をする。そうした緊張感が暴走して授業を妨害することもある。
 教員やファシリテータの仕事の本懐は、場の緊張感を適度にコントロールすることにある。そのためには叱ることだけでなく、黙ることも許すことも手段としては効果的である。うまくいかないときには必ず「北風と太陽」を思い出すこと。怒る(感情の発露)と叱る(論理的なダメだし)は違うという人もいるが、それは初歩の話で、どっちにしろ強制力を用いて教師側に都合がいいように誘導しようとしている事に変わりはない。それよりも周囲の目を気にせずちゃんと能動的に自発的に学習しようとする方がよい、というのは頭に入れておこう。

怒ってもいい。ただビジョンを示すこと

 まじめに学習しない相手を、説得すれば聞いてくれると思ってはいけない。相手は集団でありリヴァイアサンである。ただ一方で、怒ったり叱ったりしてダメを言い続けても学習者は萎縮するだけである(学習性無気力)。怒り続けると面倒な先生だからと表面的に取り繕われるだけ、そういう役割の先生も必要だが、それはベテランや強面の先生の仕事。学習者との立場や年齢が近い分新しい視点や価値観を提示してあげるとよい。
 具体的には、相手の人格を否定するのでなく、どういう集団であるべきかを語る。「足を引っ張り合って成績が下がる集団と、協力して成績あげる集団とどっちがいい?」といえば、ほとんどの人が後者というし、前者と答えるようなひねくれ者は構ってほしかったり家庭環境に問題がある場合がほとんどである。メンターや指導教官にちゃんと相談して対策を考えるようにしたい。

AさせたいならBと言え (教育新書)

 同タイトルの書籍があり、僕が教育実習の際はこれを推薦書籍として提示された。今でも十分通用する原理的な本である。
 指示はぼやっと言わないこと。達成目標の目安となる具体的な数字は必須。
例えば掃除しろ、でなくゴミを30拾いましょう、といったり前を向いて、でなくへそを向けて、と言ってみたり。言葉はできるだけ少ない方がいいし、語尾一つ買えるだけでも効果が違ってくる。教育実習はそういった違いを実験できる場でもある。
 させたいことに対して時間が余ったり足りなかったり、時間はベテランでも読み間違う。時間が足りない場合は延長すればよいし、時間が余った場合にどうするかまで考えて指示を出す、といった用意が求められる。あと指示は口頭でなく板書や画用紙に書いてはったりスライドに示して常に参照できるようにしておくこと。

道具を用意していいので注意を引く方法を3つは持っておく

 これは上級者向けかもしれない。例えばベテランの先生は授業の最初に授業規律をつくる。授業の際2回手をならしたら注目するように、とか人が発言するときは最後まで聞く、とか先生が生徒の方を向いたら5秒以内に静かにする、とか人によってつくるルールは違う。このルールは3つ以上つくらないこと。先生は一人だけではないし、多すぎると混乱してよけい騒がしくなってしまう。それからルールを守るメリットもちゃんと伝える必要がある。
 ルールがあるから守るかと言われたら、守り続けるのは育ちが良い子と責められることを極端に嫌ういわゆる「まじめ系クズ」気質の学習者ぐらいである。
 注目を集めるときに言葉だけに頼りすぎないこと。なんなら踊ったり手品をしたりしても良い、ただし、その行動と学習内容を結びつけること。一日一ネタはすぐ底をつくので、乱発はしないように。

これから教育したい人へ-教育実習生へ送るアドバイス その1

 教育実習の時期だと聞いたので、これからセミナー講師や授業をする人向けに自分の経験や見聞からいくつかアドバイスを記録しておこうと思う。この手のアドバイスは細かく書き出せば100くらいいってしまうのが教師の専門性らしいのだが、ぼくは難しいことを話すつもりはないし、なによりも目的意識を持つことが大事だ!みたいな話をするつもりはない。なぜなら実は教育実習はやる気のない大学生にとってこそ非常に大きな影響を持つイベントだ。やる気のなかった学生がこのままじゃダメだと急に勉強に目覚めたり本当に先生を目指そうと決意を決めたりすることが多い。逆に少数だがこれで適正がないとあきらめる人もいる。要領の良さがものをいうし、時間をかければいい授業いい教育ができるという訳でもないので、そこらへんのバランス感覚を経験してもらいたい。

1.自分から関わりにいかないと関係性はできない

 教育実習のとき、ろくに指導してもらえなかったという感想が一番多いのだが、実は先生方は実習生をわざと放置している。自由な時間を与えて自分から生徒や先生方へ関わりにいくようしむけているのである。実習期間の学校における関係性は3つしかない。1、先生との関係、2、生徒との関係、3、実習生同士の関係である。
 特に指導教官との関係はちゃんとつくっておくこと言われたことを待つだけでなく「相談があるんですが」「確認したいんですが」「教えてほしいんですが」と最初に言葉をつけて用件を伝えること。用件がハッキリしないと相手はアドバイスを与えられないのでお互いの時間が無駄になってしまう。話し終わった後の「ほかに打ち合わせや確認しておく必要のあるものはありますか?」は意外と効果絶大だ。お互いに取ってタスク整理ができる。メモは必ず取ること。
 生徒や実習生仲間とは空気呼んだりせずできる限り情報交換しておこう。セミナーの場合はお客さんの情報収集だ。特にクラスに1〜2人いる情報屋さんは押さえておくと人間関係まで把握できるので授業や実習に還元しやすい。

2.授業の達成目標は4つ

 授業ってのは瞬発力でできるものではない。基本的に展開を構成する必要がある。展開を記録するために指導案がある、この目的は2つ、頭の中の整理と人にこの授業で何をやりたいかを伝えるためのものだ。指導案や学習計画を練るときは、目標を「知る」「わかる」「理解する」「できる」の4つで記述すると良い。到達点が明確だからである。「知る」は授業で教師が口頭で触れるだけ。「わかる」は問題を出せば単語を答えられる状態、「理解する」は自分の言葉で説明できること、「できる」は細かな動作や習慣付けなど行動や態度を変容させたい場合に使う。授業導入でニュースについて知る、全員が跳び箱の6段をとぶことができる、などである。逆に言えば、○○力を身につけるなどの抽象的な言葉は再現性がなく冗長な害悪でしかない。客を呼ぶための宣伝文句と具体的に得るスキルや能力は必ず切り分けなければならない。
 さらに大事なのは目標を1時間に3つ以上ならべないこと。これは頭の中で優先度を整理する訓練であるし、人間(生徒や学習者)は一般的に短時間で覚えられる内容は7つ前後。大事なのは忘れないように時間を空けて復習の機会を用意することだったりする。

3.生徒の活動と自分の活動を書く

 指導案を書くことを前提に、基本的に自分(教える側)と学習者の活動を平行に考え記述していく必要がある。
 授業の留意点に「がんばる」みたいな自分の心持ちなんて書かない。教師がなにをするかだけでなく生徒が何をどういう思考過程で学ぶか、を想定して学習者の活動を書かなければならない。大事なのは何をするか、出なく何をすることで何を学ぶか、というメタ構造である。そのためには事前に学習者は何を知っていて、何を知らないか、を想定し、その想定の精度をどんどん高めていく必要がある。

4.1つの授業をつくるのに、授業時間の10倍の時間がかかる

 指導案ができたら授業のリハーサルを脳内であれ現場であれ繰り返す必要がある。なにをやるか、何をやりたいかは後回し。達成したいことの優先順位を決め、導入、活動、振り返りで1つの授業を完結させる。守破離という考え方がある。オリジナリティを出すためにはまずよしとされている伝統を守り追求することから、その伝統を破り離れて自分らしい授業を行うということだ。最初からオリジナリティの高い授業なんてできっこないので、まずはトークとチョークで一通りのことができるように鍛えること。それから学習者の机に座ったり、自分の声を録音してちゃんと伝わる話し方かを分析すること。話すスピードは自分が思うゆっくりな話し方の2倍遅い位のスピードでちょうどいい。

5.言葉を言葉どおり受け取らない

 言葉を額面通りに受け取っても傷ついたりぬか喜びするだけ。嫌いな先生に嫌いとはいわないし、基本的にはこのタイミングでこの相手が言葉を発するという行為を分析した方が良い。憎まれ口が助けを求める心の叫びだったりすることもままあることなので、学習者と対峙する自分に実存をおいてはいけない。常に客観的な目も同時に持つ必要がある。
 現場の先生たちは学習者たちが憎まれ口をたたくのをわかっていてわざと先生も憎まれ口をたたきながら生徒との適切な距離を保てるよう振る舞っているし、何かあれば就業規則を破っても生徒を守ろうとして行動に出たりする(そういった武勇伝もたくさん聞かされてきた)。詳しくは死にたい奴は勝手に死ね - 技術教師ブログを参照にされたい。
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うはwww大島優子から間違いメール北wwwww

 という訳で前田敦子から間違いメールを装った迷惑メールが来るとNHKで紹介されていましたが、僕のところにも大島優子から迷惑メールが来ました。

件名:昨日はAKB卒業のこと。。いいアドバイスできなくてごめん(*>_<*)
私もまだ卒業セレモニー終わってないし。。。微妙な時期ではあるけど、またい つでも相談に乗るからいつでも話してね(*^^*)☆
完全にグループ抜けたらにゃんにゃんに会える機会もかなり減っちゃうのか な。。寂しいよ(*>_<*)
離ればなれになってからも、いっぱいごはん行ったりしようね(*ノェノ)
akbakb_yukoyuko@ezweb.ne.jp

にゃんにゃんはAKB48のこじはるさんのあだ名。あの二人ってそんなに仲良しなの??

おまけ

なんかすげえなれなれしいメールがきて、意識高い友人がたくさんいる僕個人としてはびっくりした

from:wholeheartedly.nt@docomo.ne.jp-sp.net
件名:直人です�見覚えありますか?
2014/04/10 13:03:25

電話帳を整理をしてたら誰か分からないアドレスを発見したので メールしてみました!知り合いだったらごめんなさい�すみませ んが、名前を教えて下さい糕



from:wholeheartedly.nt@docomo.ne.jp-sp.net
件名:さっきメールした直人です�
2014/04/10 14:08:00

どうしても思い出す事が出来ません糕このアドレスはあなたので すよね↓
xxxxxxx@x.vodafone.ne.jp (伏せてあります)
お名前だけでも教えてくれませんか?

wholeheartedly.nt@docomo.ne.jp-sp.net
件名:知り合い.じゃなかったらアドレス消去します�
2014/04/10 16:12:18

何度もごめんなさい�どうしても誰のアドレスか気になってしま って…糕名前を聞けば分かるかもしれないと思ったんです! もし,お互いに身に覚えがないならアドレスは消去します�一度 返事して貰えませんか?

あざといDocomoまがいのメールアドレスとこの適度にスペースや.が入ったメールは基本的にスパムメール。返信すると生きてるメールアドレスとして業者の名簿に登録されるので注意


嫌われる勇気
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話がらっと変わるけどBATHTOROGYを結構気に入っている

 さっき風呂に入ってそういやこれ気に入ってる割に紹介してないなと気づいた。
花王から出てるBATHTOROGY、名前の意識高そうで高くできなかった感じとかパッケージやプロモーションもいまいち振り切れずに話題に上らず終わっていった感じで、取り扱ってる店舗が少なくて困っているのだけれど、これが意外と男子的に使い勝手がいい。
ライオン株式会社|【販売中止のお知らせ】
 まず泡で出てくるので泡立てタオルを1~2回クシュってするだけで見事に泡が増産される。液体ボディソープとかだとこれが5〜6回クシュクシュしたりすりつけないといけないので時短がありがたい。忙しいときはそのまま手で全身に塗りたくってる。
 それから洗い心地も(なんか肌に優しい大きさの泡ができるらしいんだけれどそんなのは自覚できない代わりに)女性向けボディソープ特有のしっとりぬるぬるしてる感じが少なくて、意外とさっぱり感を感じれるようになっている。
 においもトイレの芳香剤みたいに安っぽくない感じだし好みに合わせて選べるので気に入っている。
 あたらしいパッケージだと男性的に手を出しづらい感じになってるのだけれど、ぜひ試してみてほしい一品。

DJ系男子が唸るアイドル楽曲4選

【注意】動画記事なので多分動作が重くなりますが、曲のよさは保証しますのでぜひ最後まで聞いてください。

 DJ系男子とは、他人に自分の自意識に大きな影響を残した曲を紹介したがる男子のことで、例えば青春時代にMONDO GROSSOを聞いて自意識を拡張させたような人々のことを想定しています。彼らは業界では有名だけれど、一般的には知られていない、人に言うと「こいつ、できる!?」的な音楽を発掘することを生き甲斐としています。
 アイドルについていろいろ研究しているのですが、ほんとにテレビで放送されないような名曲が多々出て来ては解散や大人の事情で取り上げられずに終わって行く楽曲も多いので、今回スタンダードから解散したものまでオススメを4つ紹介します。

Juice=Juice 『イジワルしないで 抱きしめてよ


テレビ番組ゴッドタンでも文句なしで注目アイドルランキング首位を会得した佳林ちゃんさん率いるジュースジュース、コンセプティッドな可愛い新曲も続々出ているけれど、やっぱりこの曲のイントロが最強。lisaやm-flo、クラシックハウス系の初代ビーマニ楽曲を聞いてガチのほうの厨2病をこじらせたタイプの音楽好きはツボること間違いなし。僕の音楽系の友人たちはイントロでテンションが上がり歌が始まってイヤホンをはずしたけども。ダンスもwaack(ワック)の要素を取り入れたオールドスクールで、ピアノハウスとsaxのBGが本当にニクい。PVだと分からないけどこの後完成度がかなり高くなっているのと、サビの途中の両腕を揃えてぶりっ子ポーズも破壊力が高くてヤバい。今回は紹介しないけどハロプロ研修生の「YouTube」も中毒性高すぎてヤバいので合わせてチェックを。

Negicco「トリプル!WONDERLAND」


 いやまじでネギッコアゲ。アイドル歴10年で地元以外でそんなに目立った活動をしていなかったネギッコが、ある日突然ピチカートファイブ小西康陽氏にピックアップされプロデュースされるという展開に業界が騒然。アイドルがアイドルばかり聞かないでと歌うパラドクス満載の曲もtokyoは夜の7時感があってよかったのだけれど、この曲もポップ!×3。今回は元シンバルスがプロデュースとうことで、大画面で動画をずーっと見てるとそんなに可愛い訳じゃない3人がだんだん可愛く見えてくる!!同じような路線でバニラビーンズの曲も可愛いんだけれど、こっちは元から可愛いからダメ。それからいずこねこの変調ばりばりの曲を紹介しようと思ったらyoutubeなどに曲だけの動画が無いのと、ライブ動画は楽しそうな一方声がつらそうなのでDJ系男子が好むかどうかは相性がありそう。

乃木坂46 『でこぴん』

 
 一日3時間位ループできる、ただでさえ可愛い乃木坂46の、選抜5人が歌うでこぴん。本来はお笑い担当の高山さんが℃-ute鈴木愛理さんばりに可愛く見えるのが非常にくやしい作品。前出のnegiccoのごとくピカピカでファッショナブルで超カラフルポップなPVによって友人が何人か乃木坂ファンになったらしい。攻撃力とか殺傷力と言うより治癒力高い一曲。この曲だけポップな側に振り切ってるのが素晴らしい。

Tomato n' Pine 踊れカルナヴァル


Tomato n' Pine 踊れカルナヴァル 投稿者 minitomato617
 もう解散してしまったトマパイから一曲。存外に名曲が多い彼女たち、アクティブな時に知っていたらと思いつつ、多分ライブより家で曲回して聞いてるだろうなと思ったりもする。ワナダンスも含め色あせない一曲。金曜の夜に聞きたい。

書き上げようと動画を検索しててnaverまとめを見つけてしまって、同じようにいい曲だらけだったのでテンション上がった。
音楽ファンこそ聴くべき「完成度が異様に高いアイドルソング」たち - NAVER まとめ

それからアイドルの動画紹介サービスkecak.meでもたまになんか書いてます。
kecak.me - Registered at Namecheap.com

ちきりん氏の科学教育論もそろそろ幕引きで

 チキリン女史が投げかけた俺流科学教育論がわけのわからん議論を呼び起こしている。
2014-02-25
ちきりん氏のお粗末な科学教育論 - バッタもん日記
「役に立つ知識」としての学問: やまもといちろうBLOG(ブログ)
「ただの知識」だけ学校で教えてもあまり役には立たない - 脱社畜ブログ
科学とは、科学教育とはなにか – The Long Wait
「エセ科学」「エセ経済学」に騙されないために必要なのは「クリティカルシンキング」なんじゃないの? - lestructure's blog
http://anond.hatelabo.jp/20140226082537
「強く生きていく力」を身につけるための学問、教育について – ただの通りすがり
上から3割の意識が高い信者のためのリテラシー教育 - あざなえるなわのごとし
学校教育で鍛えられる「なんとなく」の力の大切さ - chokudaiのブログ
教育を語るならトレードオフを見よう! 経験学習vs系統学習 - 彼氏は日本人。彼女はフランス人。
 そもそも下って何を基準に下なのかしら。境界線当たりの人達はすぐに入れ替わってしまうのが<若さ>だと思う今日この頃。この手の話は結局「俺が報われなかったのは学校で役に立つことを教えてくれなかったのが悪い」という心象に見事にフィットし共感を得てしまうので怖いんだけども、こんな話は「形式陶冶(とうやと読む)と実質陶冶」どっちが大事?どっちも!クソみたいな問い立てんなよ!!みたいな話で100年以上前からこの業界では議論されてきたし、結論がでちゃってる訳で、そろそろ前進したいところ。なんか高卒ニートがそんなトラウマからか、調べて頑張ってる様子だったのだけれど限界が見えているので細くしておこう。それよりニートに屑とか言っちゃダメだよ増田。

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<>を使い留保せよ。僕はキメ顔でそう言った-書評-「現象学は思考の原理である」

 3年前くらいに読んだ気がするのだけれど、哲学書は多角的な読み方が必要となるため、書評が難しすぎて結構な割合で放置している。
 本書はその中でもわかりやすさ抜群。それもそのはず、入門書を書かせたらわかりやすさ大絶賛、専門書を書かせたら大批判でおなじみ竹田青嗣大先生の一冊。哲学史をぱーっと見渡せる本を一冊読んだ後に手を出すのがオススメ。春の長期休みのうちに一つ読んでおくのも面白いだろう。

現象学は思考の原理である (ちくま新書)
竹田 青嗣
筑摩書房
売り上げランキング: 241,634

本書は哲学者で思想家竹田青嗣氏による、フッサールの「現象学的還元」という考え方の解説書。「現象学」自体は時代や論者によって定義が異なりこの本もボコボコに言われているのであまり触れようとは思わないが、この現象学的還元というスキームだけは非常にわかりやすい一冊となっている。

再現性でなく確信ベースへ

 心理的な言葉は再現性が乏しい。「感動した」「嬉しい」「楽しい」「悲しい」は同じ経験をしても、誰しもがそう感じるものではない。もしくは「愛」、とか「勇気」、とか「正義」等も、人によって何を示すか違う。言葉を表す言葉(名詞)の中でも、指を指して「これ!」と言えないものは、そこに存在するかわからない。
 言葉には具体性抽象性と言うものがあって、それらは足し算引き算で表すことができる。例えば「犬」や「ネコ」や「馬」を集め足し算=抽象化すれば「動物」という言葉になる。もしくは「犬」という言葉を具体化すると「ブルドッグ」、や「柴犬」、「ヨークシャテリア」、「ゴールデンレトリバー」と言ったものがあげられ、さらに具体化すると「3軒となりのマメシバ」みたいな話になる。普段何気なく使っている言葉は、常に単体で存在するものではなく具体性を孕んでいる。では愛や勇気が孕むものは何か、と言われればそれは人によって想定するものが違ってくるのだ。本書はそういったものの本質を掴むためにいちどエポケーせよ、と繰り返し唱える。エポケーとは何か、それが正しいかどうかという判断の留保である。
 <存在>とか<才能>などと言った表記を見たことが無いだろうか?これがエポケーである。「愛」や「正義」など抽象的で具体性を示しにくい概念をを<>にいれ<愛>や<正義>にしてしまう。「そんなものが存在するかは高い再現性で証明できないが主張者の中では存在するとして」という前提を付け足すのである。タグではない。繰り返すタグではない。
 こうした「お前がそう言うんだったら正しいんだろ、ただし、お前の中でな」という態度から出発することで、その主張者の本来訴えたかった本質が見えて来る。「やっぱり愛が大事」と言われれば「やっぱり<愛>が大事」であり、「<愛>が何を含むかわからないが俺は<愛>を知っているし重要だと思っている」と、<確信>を主張している訳である。そしてそれは現象学的還元を知らない人間を否定するために使われるものではない。現象学を使うことで宗教的な対立は緩和され「真理」は<真理>となると考えられていた。「主観で無く客観的にしゃべろ」「客観は証明できない、今自分が見ているものも自分の脳が作り上げた幻影かもしれない。すべては認識の問題だ」といったような対立ではなく、留保し問題を追及することで、誰が主観的客観的主張をし何を解決しようとしているのか、という本質を見極めるフェーズに移行する。その確信の成立要件は何か、と問いを変える、議論を一歩すすめることが出来るのである。

世間は確信に溢れている

 こうして留保してみると、世間の言説は基本的に確信構造に満ちている。そうした言説に抽象的具体的操作を加え、エポケーすることでその言説の強度やメッセージの裏、即ち利益誘導やその人の<認識>している世界が見えてのである。指を指すことができず人によって想定するものが違うものはほとんど留保する必要がある。<真実>とか<価値>とか<いのち>とか<美しさ>とか、<論理力>とか<創造性>とか<自分>ですらそういうことになる。名詞だけではない<救う>とか<可愛い>とか、成立のための条件を問う必要がある価値判断の言葉は要注意である。ブログの過去エントリーでも何度か<>(山カッコ)つきの表記を行って来た。(なお、意外と知られていないが「」鍵カッコの場合"いわゆる〜"と読む)
<みじめ>と不自由のトレードオフ - 技術教師ブログ

 思考が好きな人以外には必要ない、と思うなかれ、日常生活でも指示をする時どうしたら達成したのか、という条件をしっかりと用意することは人に指示やお願いをする上で非常に大事である。「愛をください」と連呼しても人々は助けてくれない。「人間力」が大事、なんて言ってる奴は結局<人間力>=俺に取って都合良く判断し動いてくれる人が大事だと言っているにすぎない。こんな言葉が山ほど並ぶ論評記事や自己啓発書によって、あなたは激励されているようで実は利用されているかも知れない。そう言うハイパーメリトクラシーな議論になった時、このエントリーをぶつけて欲しい。人間力が大事なのではなく、具体的に何を達成したら人間力が<ある>と言えるのか、<教育>が大事だと言いながら、<人格>形成が大事だと言いながら、<自分>は何を確信してそれを話しているのかをしっかりと見つめ直さねばならない。<ぼくら>の<居場所>や<未来>は確信の中にあるのである。