<>を使い留保せよ。僕はキメ顔でそう言った-書評-「現象学は思考の原理である」

 3年前くらいに読んだ気がするのだけれど、哲学書は多角的な読み方が必要となるため、書評が難しすぎて結構な割合で放置している。
 本書はその中でもわかりやすさ抜群。それもそのはず、入門書を書かせたらわかりやすさ大絶賛、専門書を書かせたら大批判でおなじみ竹田青嗣大先生の一冊。哲学史をぱーっと見渡せる本を一冊読んだ後に手を出すのがオススメ。春の長期休みのうちに一つ読んでおくのも面白いだろう。

現象学は思考の原理である (ちくま新書)
竹田 青嗣
筑摩書房
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本書は哲学者で思想家竹田青嗣氏による、フッサールの「現象学的還元」という考え方の解説書。「現象学」自体は時代や論者によって定義が異なりこの本もボコボコに言われているのであまり触れようとは思わないが、この現象学的還元というスキームだけは非常にわかりやすい一冊となっている。

再現性でなく確信ベースへ

 心理的な言葉は再現性が乏しい。「感動した」「嬉しい」「楽しい」「悲しい」は同じ経験をしても、誰しもがそう感じるものではない。もしくは「愛」、とか「勇気」、とか「正義」等も、人によって何を示すか違う。言葉を表す言葉(名詞)の中でも、指を指して「これ!」と言えないものは、そこに存在するかわからない。
 言葉には具体性抽象性と言うものがあって、それらは足し算引き算で表すことができる。例えば「犬」や「ネコ」や「馬」を集め足し算=抽象化すれば「動物」という言葉になる。もしくは「犬」という言葉を具体化すると「ブルドッグ」、や「柴犬」、「ヨークシャテリア」、「ゴールデンレトリバー」と言ったものがあげられ、さらに具体化すると「3軒となりのマメシバ」みたいな話になる。普段何気なく使っている言葉は、常に単体で存在するものではなく具体性を孕んでいる。では愛や勇気が孕むものは何か、と言われればそれは人によって想定するものが違ってくるのだ。本書はそういったものの本質を掴むためにいちどエポケーせよ、と繰り返し唱える。エポケーとは何か、それが正しいかどうかという判断の留保である。
 <存在>とか<才能>などと言った表記を見たことが無いだろうか?これがエポケーである。「愛」や「正義」など抽象的で具体性を示しにくい概念をを<>にいれ<愛>や<正義>にしてしまう。「そんなものが存在するかは高い再現性で証明できないが主張者の中では存在するとして」という前提を付け足すのである。タグではない。繰り返すタグではない。
 こうした「お前がそう言うんだったら正しいんだろ、ただし、お前の中でな」という態度から出発することで、その主張者の本来訴えたかった本質が見えて来る。「やっぱり愛が大事」と言われれば「やっぱり<愛>が大事」であり、「<愛>が何を含むかわからないが俺は<愛>を知っているし重要だと思っている」と、<確信>を主張している訳である。そしてそれは現象学的還元を知らない人間を否定するために使われるものではない。現象学を使うことで宗教的な対立は緩和され「真理」は<真理>となると考えられていた。「主観で無く客観的にしゃべろ」「客観は証明できない、今自分が見ているものも自分の脳が作り上げた幻影かもしれない。すべては認識の問題だ」といったような対立ではなく、留保し問題を追及することで、誰が主観的客観的主張をし何を解決しようとしているのか、という本質を見極めるフェーズに移行する。その確信の成立要件は何か、と問いを変える、議論を一歩すすめることが出来るのである。

世間は確信に溢れている

 こうして留保してみると、世間の言説は基本的に確信構造に満ちている。そうした言説に抽象的具体的操作を加え、エポケーすることでその言説の強度やメッセージの裏、即ち利益誘導やその人の<認識>している世界が見えてのである。指を指すことができず人によって想定するものが違うものはほとんど留保する必要がある。<真実>とか<価値>とか<いのち>とか<美しさ>とか、<論理力>とか<創造性>とか<自分>ですらそういうことになる。名詞だけではない<救う>とか<可愛い>とか、成立のための条件を問う必要がある価値判断の言葉は要注意である。ブログの過去エントリーでも何度か<>(山カッコ)つきの表記を行って来た。(なお、意外と知られていないが「」鍵カッコの場合"いわゆる〜"と読む)
<みじめ>と不自由のトレードオフ - 技術教師ブログ

 思考が好きな人以外には必要ない、と思うなかれ、日常生活でも指示をする時どうしたら達成したのか、という条件をしっかりと用意することは人に指示やお願いをする上で非常に大事である。「愛をください」と連呼しても人々は助けてくれない。「人間力」が大事、なんて言ってる奴は結局<人間力>=俺に取って都合良く判断し動いてくれる人が大事だと言っているにすぎない。こんな言葉が山ほど並ぶ論評記事や自己啓発書によって、あなたは激励されているようで実は利用されているかも知れない。そう言うハイパーメリトクラシーな議論になった時、このエントリーをぶつけて欲しい。人間力が大事なのではなく、具体的に何を達成したら人間力が<ある>と言えるのか、<教育>が大事だと言いながら、<人格>形成が大事だと言いながら、<自分>は何を確信してそれを話しているのかをしっかりと見つめ直さねばならない。<ぼくら>の<居場所>や<未来>は確信の中にあるのである。