消えたストリートの社会学-メディア評-映画「バケモノの子」

 なぜ人はバケモノにすら承認を求めようとするのか。この映画ではバケモノたちが排除された存在でなく、人間(日本人)との住み分けを進めた異文化のコミュニティの象徴として描かれる。バケモノたちには心の闇がない。バケモノたちには武器がある。
 暗殺教室の紹介の時にも書いた、リフテクティブな存在の不在、心理的欠損の充足をテーマにした王道に王道を重ねた映画。しかし映画に描かれる90年代のトラウマとしての「キレる若者」「機能不全家族」「宗教とテロ」といったモチーフを踏襲しながらも家族は多重であってもよいのではないか、親は子供の武器になるのではないか、人はトラック(進むべき道)から落ちて大きく外れてしまっても、もう一度這い上がれるのではないか、といった斬新なメッセージがちりばめられた快作であった。広瀬すずの声の未熟さは気になったものの、可愛いから許す。以下ネタバレあり。

 本作バケモノの子は、父親と離婚し母子家庭で育った主人公の少年が、母親と死別し、渋谷の街を浮游していたところをクマのバケモノに拾われ、弟子入りしながら関係を気づき成長していくビルドゥングスロマン映画。

日本作品へのリスペクト

 作品を見ていると最初に感動するのが、手塚治虫的なモチーフや西遊記のオマージュ、擬人化文化、学校といじめ、エヴァンゲリオンのような心の闇の問題など、日本的な作品が多く扱ってきたシンボルをこれでもかと散りばめて多くのことを語らせようとしていることである。調べてないのでわからないがウサギの偉い人もライバルのイノシシも干支か花札的ななにかだろうし、マントヒヒはブッダに出てくる梵天さまにそっくりだし、サマーウォーズとちがって出てくるキャラ一つ一つがちゃんとこだわりを持って描かれている。「白鯨」や「山月記」から肥大化した自意識をコンセプトとして取り出したように、どの場面のどのキャラが何を意識しているのか、そう言った追求ができる作品としての技術もすごい。

監督が提示する新しい家族の形

 2000年代の映画は常に機能不全家族を題材にしてきた。援助交際を行う女子高生や街を浮遊する若者たちの原因の多くは家族と思われているコミュニティの機能不全に求められた。「心が叫びたがっているんだ」のようにシングルマザーが増える現代においてはさらにその物語は過酷に描かれることになるのだけれど、若者は街を徘徊浮遊することで、仲間の中に代理家族や代理親子を見つけ、理想的な家族を追体験しようとする。細田監督はずっとそんな新しい家族の形を模索してきた。そんな代理父としてのバケモノであるクマテツは、主人公に武術を教え、主人公に相手の呼吸の読み方を習い、お互いがお互いを高め合う新しい形の「家族」として監督はバケモノと少年を描く。
 家族は昔から象徴的に一緒にご飯を食べる存在として描かれる。最初は一緒にご飯を食べなかった少年は、気づけばバケモノそっくりな仕草でご飯を食べるようになる。最終的にバケモノは少年の武器となる。昔ながらの、子供を縛るものとして描かれてきた<親が与えたもの>を革新的に監督は書き換えた。<親が与えたもの>は子供の武器になる。そういうメッセージを監督は作品のクラマックスに込めた。

リフレクタブルな存在の不在

 自分を正統的に振り返らせる存在の不在こそが機能不全の本質であり、悲劇の源泉であるのかもしれない。お互いに縛り付けるのではなく、お互いがありたい自分でいるためにどうしたらいいかをアドバイスし合える間柄、そうした存在を求めて若者も、最近は大人たちも彷徨うのであるし、最初の少年が徘徊していた場面はそんな心象風景のメタファであったのかもしれない。
 2000年代前半までは「ストリート」に出ると、昔はストリートダンスやマウンテンバイクやスケボーなど、自分たちを受け入れてくれて、疑似家族として迎え入れてくれるコミュニティがあった。そうした「ストリート」の消失が、本作のバケモノたちを生んだのではないかと考える。バケモノたちは日本旧来の妖怪のように社会背景とともに発生したし、一方で本作においては「おおかみこども」のように障がい児や迫害を受けている人たちのメタファとしては描かれていない。まるで脳内会議に出てくる登場キャラクターたちのような、アドバイスしながら判断や決断を迫ってくる存在として登場する。暗殺教室のレビューでも書いたが、そうした消失を埋める存在として、バケモノに頼らざるをえないほど、人間関係の機能不全が深刻であるというメッセージを捉えることもできる。人はどうしても自分のリソースを奪われることに対して不安を抱くため、他人に規制禁止をしいたがる。コーチングや傾聴が一部でブームではあるものの、そんなものでは足りないほど、<リフレクタブルであること>は技能が必要で、常に意識していないと鍛えることは困難なことなのかもしれない。
 なお、余談であるが、文学に詳しい友人と見に行った為に教えてもらったのだが、川上弘美氏のコラム集「神様 (中公文庫)」に、クマは神様になるものである、ということが書かれていたらしく、見始めたあたりでオチが見えていたらしい。そうした教養の共有を行える作品としても本作は秀逸であった。

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