今年度から様々なNPOやボランティア団体とかかわるようになったところちょうどこんな記事を見つけた。
借金してでも途上国のNGOの活動を体験したり、チャリティ・イベントを行う若者たちの姿をお伝えしたが、このレポートは大反響を呼び、すでに25回を超える当連載でも、いまだにアクセス数トップの記事である。
クルマや洋服ならともかく、なんで借金してまで「社会貢献」を買うのか。多くの大人は理解できないという反応を示したが、逆に若者たちからすれば、なんで借金してまでクルマや洋服を買わなければならないのか理解できないだろう。今の若者と大人の間には、それほど大きな意識のズレがあるのだ。
若者たちの社会貢献熱は、その後もヒートアップ。大学生が主催する社会貢献イベントもどんどん増えている。規模も拡大するいっぽうだ。
ますます過熱する若者の社会貢献ブーム。就活シーズン直前、「社会貢献でメシが食いたい」大学生激増中! | 社会貢献でメシを食う。NEXT 竹井善昭 | ダイヤモンド・オンライン
気づいたのだが、これは簡単なことで、学生運動の代替行為なのである。
学生のボランティアがまるで学生運動の代替行為に見えるのである
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学生運動の本質
学生運動の本質とはなにか。それは既得権や流動性のない社会構造に向かって自分たちの社会正義をアピールすることにある。学生たちの普段からのルサンチマンと若いあふれたエネルギーと合わさり、社会に大きく影響を与える活動となる。時に大学を閉鎖したり、時にデモ行進をしたりといった具合である。その反社会行為を行うことで学生たちは社会参画している事を確認するというパラドキシカルなムーブメントである。
第2の学生運動
80年代以降、学生運動はどこへ行ったのか。NHKの寺山修二特集で、寺山修二が「現代の学生運動はインターネットの炎上へ逃げた」という仮説を立てたという。暇を持て余し社会に不満を持ち、自分たちの正義を発露したい大学生をはじめとした若者たちは20代に限らず10代から50代まで年齢層を広げ、匿名掲示板をはじめとした大手サイトで毎日社会正義を振りかざすカーニヴァルを行った。少なくとも90年代〜00年代半ば、SNSサイトができるまではそういう風潮であった。ヤンキーはDQNと言われ、暴走族は珍走団と名付けられ、迷惑な親がいれば家に突撃し、軽度の公開私刑が行われていた。鮫島事件などというおぞましい事件に発展した事例もある。
第3の学生運動
しかし、WEB2.0が唱えられ、情報共有でなく、コミュニケーションを目的にしたSNSが普及してくると、今度は人に迷惑をかけず社会正義を追求する方法が模索され、その結果内向的な学生たちはウェブに取り残され、活動的な学生たちが行きついた先がボランタリーや社会企業である。実際東大をはじめとした高偏差値大学の友人を見ているとほとんどがそういった活動に参加しているかそういった活動を認知し応援している状態であり、大学生の一種のアイデンティティを確立するための運動となっている。
また、社会貢献する学生を企業が応援するというのも非常に聞こえがよい。活動を行う学生の多くはボランティア、無償であるため、少ない投資で大きなイベントの企画・実行やクリーンなイメージを作ることが可能になるのである。
要は社会と企業と学生の利害が一致したため、学生の社会貢献なるものは加速的に活発になっているのである。
学生運動の弊害
これがある種の宗教的な様相を帯びだしてきているのも事実であり、僕の経験からで恐縮であるが今年度に入って20個弱の社会貢献団体のイベントに参加した。「世界を変える」「社会を変える」「教育を変える」などと銘打ってボランティア活動を行おうとするのであるが、多くの学生は例えば世界や社会や教育の現状を知ろうとしないし、現場の最前線で活動している人たちとコミュニケーションを取ろうとしない。自分たちだけで盛り上がって社会貢献をしようとしている節が見て取れた。それがただのサークル活動であれば構わないが、活動的に現場まで出向くことで、実際に現場でストイックに活動を行っている人たちに負荷を強いるような構造になっていないかは多少考えてもらわなければならない。本当にボランティアが必要な現場が人手不足で、業界によっては十分人手が足りているのに皿に参入したりと、リソースの配分がきちんと適切に行われているかも考えなければならない。その時の感想が以下である。
教育関係の勉強会とかイベントに行って若干がっかりするのは、わざわざ現場の人間であることを明示しているのにもかかわらず「教育を変える!」と息巻いている若者たちがまったくもって現場の中の話を聞きに来ないこと。教育はアーティスト活動じゃないんだから。
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社会貢献と社会起業
社会起業という言葉も盛り上がっており、いくつかの本当に必要な活動が認知されるようになってきた。友人のNPO代表に話を聞いたところ、「社会起業という言葉は白い白鳥であるとあえて言っている」と言っていた。従来の企業は、社会貢献の方法としてモノを売ったり企画する従来の仕事があり、現代ではそれに加え各会社も部署を立てて社会貢献事業を行っている。目に見えてソーシャルアントレプレナーと名乗ることで、もう一度社会貢献とは何かをみんなが見つめ直すきっかけを作らなければならないという。
この手の運動が起きるのは、不景気のせいな気がしてならない。ツイッターが出てきたとき、ウッフィーなる新通貨を導入しようというムーブメントが一瞬主張されたが、お金の価値を問い直し、経済的に不自由な状態でお金がなくても助け合いましょう!というメッセージを発信しているのではないか。そしてこれらの利益度外視の風潮が、貧困ビジネス、一部の企業による良心を装った搾取、さらに購買意欲の低下を招き消費の減衰、不景気の加速を産むのではないかという懸念もある。
また、学生たちがなぜ学生運動をしなくてはならないかは教育畑の人間としてさらにいくつか思うところがあるのであるが、そのあたりの記事は近いうちにまとめてみたいと考えている。