GIGAスクール構想に追記すべき大事な提言

久しぶりに教育関係の話を書く。教育関係の皆様は無事苦難の5年を乗り越えられただろうか。

文科省主導でGIGAスクール構想が進んでいる。詳しくはちゃんと文科省に飛んで欲しいが、簡単にいうと一人一台端末とwi-fiは最低限用意しようぜ、その上でテクノロジーを使って学習の個別最適化して行こうぜという方針のこと。予算度もどんどんついて特需状態なので、いろんなメーカーやアプリ開発者とEdtech業者とICTが得意な研究者が意気込んで動いている。

しかし当然問題点もあるので検索してみると、いろんな指摘が散見され、ノウハウ蓄積されてなくね?とか、このパッケージに対応するアプリやデバイスなくね?とか、あったとしてほとんどが素人の教育委員会が選定できるわけなくね?とか、ネットワーク通すにも工事する人や設定いじるエンジニアたりなくね?とか、だいたい実行性を懸念する話だ。文科省もその点について大丈夫だよ、重点的に予算出してくから、的な資料を出してアンサーをしている。

https://www.mext.go.jp/content/20200219-mxt_jogai02-000003278_401.pdf

個人的にはGIGAスクール構想は賛成だが、この手の教育改革話、いつも片手落ちだなと思うのは、労働問題として教育が語られないことだ。

結論から言うと、中規模の会社になれば法律の専門家と、情報システム課など、システム整備の専門家が常駐していていつでも相談できるようになっているが、公立の学校にはそれがない。分掌システムと担任制により、教師は教育の専門家であり続けることをシステム的に否定され、リスク管理とクレーム対応、偏ったジェネラリストとして特化していく。

一部の私立学校にはICT支援員や情シスが常駐配備されている。ICT環境の整備だけでなく、セキュリティや設定なども迅速に相談・対応してくれる。しかし、活用したい教育用の外部サービスは仕組みなど一長一短、ここは過剰だがここは不足している、と言うものが多く、導入のために精査し学校のシステムとマッチングさせるのは相当な困難を伴う。それと同じことを教員がリソースを割いてやるのか、と言う話は、労働問題以外のなにものでもない。

若手教員と、ICTが得意な教員たちは今日も情シスとして働かされている。Escキー一つ押せば解決する問題を、ベテランの同僚に呼ばれて仕事や作業を中断し、何が問題なのかを分析し、解決する。僕自身も同じような仕事をしていたし、そうしたコミュニケーションは楽しいは楽しいが、対応できる数、規模には限界がある。

活用スキルレイヤーの話で言えば、こんなことができます系の研修だけでなく、分からない機能は検索し、ショートカットを活用するための早見表を見つけるくらいのことができないと、多分また過労で倒れるか諦める教員が増えて終わりだと思う。

GIGAスクール構想を教員と外部業者で解決させてはいけない。ICT支援員のように、システムでなく生徒にだけコミットするような外部業者を入れても長期的視野で見れば問題の根幹は解決しない。学校の事務室やコンピュータ室に情シスや常駐エンジニアを置き、こう言うことができないか、と言うリクエストに迅速に対応できる人事配置が実施されて、初めてGIGAスクールは機能する。

COVID-19による学習の遅れや、学校自治体ごとにそれに対応できたかできなかったかが話題になって、責任を問われたり学校を批判する記事も多々目にする。内部からマッチョ教員が何故できないんだ!って精神論で批判する記事すらもタイムラインには上がってくる。それ以前に情シスとリーガルの専門家が事務室にいないことについて誰も疑問は持たない。

www.nhk.or.jp

ゆとり教育を受けた世代がゆとり世代と言われるように、COVID-19で従来の受験や教育を受けることが困難になった世代は、俗流若者論として、多分コロナ世代などと名前がつけられ、蔑称や自虐として使われる。

GIGA世代が皮肉として使われないようにするために、我々が指摘すべきは人事配置であり、学校教職員の給与は自治体が持つことになっているので、自治体が必要だと判断すれば予算を増額して人を雇えるはずだ。署名サービスなどを使っても良いし、直接地方議員にロビイングしても良い、ミドルコミュニティリーダーがどんどんそうした声を上げてセンター試験改革を止めたように、教育政策を教育産業が甘い蜜を吸うだけの農協にさせないようなコミュニケーションが必要だ。

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