「承認」についての勉強会をやりました

 毎度やっている勉強会が今回も無事終了したので報告。大学院マスターレベルの学生や社会人が15人ほど参加してくれました。やっぱり勉強会は勉強が目的である以上聞きにいくより主催するに限る。準備段階から学ぶことが多いし、講演会だと人によっては偏った思想やエビデンスのない話をえんえんと聞かされることになりかねないし、学会だと一人当たりの発表や質疑の持ち時間が少なくて詳しく聞けない。じっくり聞く場所を用意してくれる勉強会は社会人になってから本当に重宝するし、規模感も30人以下がいい。
 内容としては「承認と教育」について、アクセルホネットの研究を中心に現状を講義してもらい、皆でそれを深化するためのワークを行った。
当日のつぶやきまとめは以下
第9回持続可能な教育勉強会 #sen09 - Togetter
僕が参加者に送った振り返りを少し改変して以下に掲載する。

承認と社会

 今回承認の話を聞いて、承認と言う概念は、感情と社会システム(法・権利)をつなげる重要な概念ではないかと考える。心理的満足や安心感(愛)というミクロな問題だけでなく、集団の権利として歴史的に解決すべき問題や方向性を示しているのかもしれない。ヘーゲルは歴史は自由に向かって進むと言っていたが、自由から逃走しなければ行けない現代に、また承認は違った歴史の補助線を示しているのかもしれない。

承認とハイパーメリトクラシー

 心理や能力を扱う言葉と違って、承認はハイパーメリトクラシーに巻き込まれないしなやかさを持っている。すなわち、同じ与えるものでも「意欲」や「コミュニケーション能力」のような評価が曖昧でともすれば評価者の都合の良い方が高評価、といった形で表れるものではなく、与えたものが与えたことを受け取った本人が評価する相互承認という側面があるのではないかと思う。もちろん連帯的な意味で、大人の都合がいいように承認を行って若者を動かそうとする可能性がある。そうすると反抗とイデオロギー闘争のフィールドになるのでまた別のノウハウが必要になるのかなとも感じた。闘争回帰する学生もちらほら見ることができるけど、当時をふまえ、学生運動のときのような泥臭い闘争とは違う何かが必要なのかもしれない。

承認とデザイン

 今回のワークショップは、承認概念を深く考えてもらうためにどうしたら活発に議論が進むかと言うことで、矛盾を含んだタイトルで作った。
 承認のデザインの不可能性、活動と承認の順序、承認を自己目的化しないこと、承認を担保するためのダイナミズムをどう確保するか、教育現場でも愛だけでなく法や権利としてどう承認をパターン化するか、教育において承認は補助線でしかないこと、学校以外での承認(例えば賃金など)も並行して考えていかなければならないことなどいろんな話に発散してもらえればいいなと思いテーマ設定を行った。
 まさかモテが承認だからモテたい!って話が出てくるとは思わなかったが。
 そして@sansho26君も言っていた「承認過剰」な状態。いろんな情報が可視化され制度が自由化され逆転可能性が高まった社会はみじめに埋もれる。http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20120528/1338223844
 そんな状態なので承認に飢える承認ビジネスとしてSNSは隆盛を極めています。以前参加者に共有したポッドキャストの一番最後にチャーリーが「SNSで承認はある程度供給できることはわかって来た。でも承認が自信につながらないから、また承認を求めてSNSに戻ってくる」といった話をしていました。僕に取っては今回のグループワークは<承認>から<自信>へ、をどうやって転化するかのアイデアを出してもらうワークショップでもありました。それは強烈な承認であるのか、ある種の諦観であるのか。

承認の読み替え

承認と言う言葉をよりわかりやすくするとどうなるか、と考えていた。それは多分理想の承認の形、と相似になる気がしていて、僕は個人的に無関心とは違うタイプの「放置」ではないかと考えた。即ち存在を受け入れ、且つどこで何をしていても信頼できる、という振る舞いを想像した。しっくりこないので何か新しい言葉が必要かもしれない。これについてはじっくりかんがえていく。

 僕が感じたことの正否はいずれにせよ、同じ指向性を持った人たちが集まって馴れ合って何も得るものがないような勉強会は嫌だと思い、作り始めた場であったのに、参加者が承認される場に感じると言っていたのが印象的であった。
 参加したい、興味があると言う方がいればぜひ@showgoにご連絡を。