最強の癒し系ギャグアニメ「聖☆お兄さん」を楽しむための10のtips-メディア評-映画「聖☆お兄さん」

 ギャグ漫画原作、サブカル育ち、世界で一躍有名になった日本を代表する漫画、聖☆お兄さんがアニメ映画化。前評判の割にぜんぜん感想を聞かなかったので原作レイプだの監督の趣味だのとこき下ろそうと覚悟してお台場のレイトショーで鑑賞。期待値低かったせいもあり超裏切られた。なにこの癒し系ギャグ映画。見事。
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 本作「聖☆お兄さん」は「荒川アンダーザブリッジ」の中村光原作。世紀末、ノストラダムスの大予言をくい止め、一仕事終えたブッダとキリストがバカンスがてら日本の立川でルームシェアをする一年を描いたもの。季節柄のイベントとそれを楽しむブッダとキリストの無邪気な姿がこれでもかというくらい見るものを笑わせてくれる。と同時にこの作品のテンポ自体が笑いの沸点を下げてくれるというのも事実だ。ほんとなんでもない一言一句でニヤニヤしてしまう。
 この手のサブカル映画特有の間みたいなものもなく、登場人物たちはテンポ良く掛け合いをしては笑わせてくれる。大家さんもヤクザも、イメージぴったりに再現されていた。
 ブッダとイエスという設定が斬新なのは、本作で見せた一年をずっとこれからも繰り返し続いていく「この瞬間がづっと続けばいいのに」を可能にしてくれる至高の刹那主義映画でもある。
 いかに俺が考えた最強の聖☆お兄さんを紹介(する体で映画のどこが面白かったかを紹介する)

1、手塚治虫ブッダを読破

 ブッダにかかわる周辺人物とストーリーを教えてくれるいわずと知れた名作。徳の高いお坊さんが空腹になったときウサギが火をつけてその身をささげた逸話や、ブッダが出家するときに息子の存在が障害になったことから息子にラーフラ(障害)と名前をつけた逸話など、本作でも取り扱う逸話がたくさん。図書館でも取り扱っている。

2、キリスト教に関する本や映像を一個。

 大体キリスト教の礼拝や、キリストが生まれ変わったこと、奇跡で水がワインに変わるネタとか、映画「十戒」のあらすじや最後の晩餐、ノアの箱舟などを押さえておけば大体笑える。正直上野でやってた版画展でのキリスト絵の解説とテレビでやってた最後の晩餐の解説番組くらいしか見たことないけど十分楽しめた。wikipediaもあるイエスの奇跡 - Wikipedia

3、荒川アンダーザブリッジを読む

 作者の奇キャラ芸をどこまでも堪能できる作品。実写化は原作レイプされまくったが、アニメを見るだけでもかなり楽しめる。ここでツボらなかったら見ないほうがいいかも。

4、原作漫画を読む

 ここでようやく原作登場。映画では間のエピソードを省略してあるので急に部屋に仏像が登場したときなどクスクスできる。webの公式サイトのドメインがsaint023だったりするのも小気味よい。

5、森山未來出演の映画を見る

 だいたいヘタレキャラ。

6、レイトショーかファーストデーレディースデーで漫画を見る

 エヴァとかジブリとかサマーウォーズとか見てると、「え、アニメのクオリティ低すぎ!?」と思ってしまうくらい作画は平凡なので1800円位だとなんか高くついたように思える。1500円位で妥当、それ以下だと超得した気分になれる。
7、特典でついてくる漫画を読む
 映画館に入ると特典のおまけ漫画もついてくる。原作ファンならうれしい。知らずにいってもらえたのでさらにうれしかった。
8、映画を声を殺しながら見る
 ここまできたら自分なりに映画を楽しめばいい。ただ前情報があればあるほど笑えるシーンが増えるように作ってある辺りニクい。ほんとに原作ファンの監督やキャストが原作ファンのために作った感じがバリバリでている。世界観を壊さないように映画オリジナルキャラやオリジナルのシーンなどが登場するし、背景に写るモブキャラにもちゃんと工夫がしてあり、いちいち気を聞かせている感がやばい。

9、立川を歩いてみる

 見終わったら聖地めぐりへ。バスも走ってるらしい
スペシャル | 聖☆おにいさん

10、原作の続きを楽しみに待つ

 荒川アンダーザブリッジも含め、次巻が出るのを楽しみに待ちましょう。wkwk

福岡に帰って気づいたこと

 帰省のために福岡に2泊3日。東京とかなりのカルチャーギャップがあってしんどかった。東京の儀礼的無関心最高である。以下雑記。

1.天気予報でPM2.5予想が流れる

 空がかすんで見えるときは黄砂かpm2.5なのだそうだ。
 帰宅して風呂に入って耳をいじると黒いほこりが出てきた。これがPM2.5か!?と思ったがよく考えると花粉でさえ肉眼で見えないのにその12分の1とかの大きさのpm2.5が見えるわけもなかった。

2.ラジオでPM2.5対応家電のCM

 コジマのラジオCMでエアコンなどPM2.5対応家電セールを宣伝。そこまで過剰に反応しているというよりPM2.5が日常化していることが驚き。東京ではあまり騒いでないが、よく考えると震災後東京〜東北までが騒いでいて、福岡に避難したら「そんなに大変だったの?」と日常を送っていたのを思い出した。もう九州は本州とは別の国やで。

3.人気漫才コンビ「華丸大吉」の人気が異常。

 19時のゴールデンタイムからBGMもナレーションもなしに博多華丸大吉が県内の田舎を巡るだけという番組が放送される。たんたんと商店街のおばちゃんとかに甘えて店を紹介して、素人を地味にいじりながら仕事観と馴れ初めをインタビューする感じの番組がゴールデンタイムに成り立ってしまう。どうやら福岡では結構な人気らしくこの2人がくると取材拒否のお店も条件付でOKにしてしまうらしい。10数年前から吉本福岡の番組で活躍していて、福岡での芸風はおたこプー同様笑いのつぼが独特なので、僕のように古くから見てる人たち以外にはチンプンカンプンなんじゃなかろうか。

4.麻生グループの専門学校が増加。

 不景気で少子高齢化で介護系の職は需要が見込めるからと人気だというのは聞いていたが、麻生グループの専門学校がバカスカ建っているという。東京ではまだ先の話のように感じるが、地方では明らかに街中を歩く人たちの平均年齢があがっており、一方で九州は外食とエンタメ産業以外は衰退しろくな就職先がない。
 麻生系の学校は麻生太郎元首相のお膝元である筑豊地区から出発し、福岡市内でも見つけた。麻生家は長男はバカだから政治家にした、ほかの兄弟は賢かったから社長にした、と陰口たたかれたりしてるんだけれど、スーパーASOの経営、病院経営、セメントや建築、教育にいたるまで、筑豊は生活のいたるところにASOがあったりするし、スーパーは赤字でも遠くへ買出しにいけない老人が増えてるから閉店できないという話も昔からあった。ゆりかごから墓場まで筑豊の一生はASOと共にある。それでも発展してるあたり経営手腕サスガッス感は否めない。
麻生グループ

5.ムラ社会と世間体

 家族と話していると終始ありもしない世間体を気にしていた。結婚がどうだ学歴がどうだ。親と一緒に僕を育ててくれたご近所のおじ様おば様方をそんな狭量な人間に仕立て上げないでくれとお願いしたのだが、この世間体の本質は自分の中の被監視意識だ。つまり自分の中のコンプレックスを他人が笑っているのではないか、他人がそれを許容せず見捨てられるのではないかという不安が内面化されたものだ。
 心理的な発達の中では、他者の批判をどうにかこうにか乗り越えて、笑われてもいいじゃん、意外と受け入れてもらえるんだ、という経験をどこかで経る必要があるのだけれど、田舎のように住宅密度が低く、移動距離が長く、必要以上に顔見知りを作らない文化の元では、そのような経験が得がたい。メディアの数も少ない分、あるべき像の多様性も小さく、コンプレックスを埋めるために手に入れてきたものもいつ失われるかと言う不安と、コンプレックスを強化する。
 ましてや経験や機会がないために今のコンプレックスだらけの自分から抜け出せない、という「トラウマ経験」を自分の中に作り出してしまうと大変なことになる。「今の環境じゃなければこんな自分にならなかった」と何もかもを常に他人のせいにする。攻撃的な人格が出来上がってしまい、それでも田舎から出るつもりがないのでお互いに自分を擁護しながら相手を攻撃するような会話ばかりが繰り返され、閉塞感に拍車をかける。家族や兄弟はコンプレックスを寛容に受け入れてくれるはずの存在であるのが理想だが、田舎の中間層の現実は、常に家族や兄弟から世間体を求められる。
 考えてみれば、近所で悪口を言う人なんて基本的に嫌われるか信用を失っていくし、平均年齢が上がっていくなかで年配の人間にそんな圧力をかけられる権力も暇もあるとは考えにくい。結局自分のコンプレックスにちかい会話が出てきたときに世間体を纏い、自分を守っているのだ。世間体は家族を経て次世代に受け継がれ、負の連鎖としてミーム化する。専門学校で学ぶ内容でこれらの世間体を乗り越えるような経験ができるとは到底思えない。
家族は東京の人は冷たいとか周りに無関心だとか言う話をしていたが、そういうムラ的な、自分の中に、過剰に自分を監視し続けるような機能を内面化してまで生きていたくない人たちが地方から流れてくるのかもしれない。

ブログよりブログ講師の方が儲けるんだよね

 twitter見てたら儲けるブログ講師だのネットコンサルタントだのがいっぱい表示されてマジ勘弁じゃん?
 あいつらなにやってるかっていうと儲けるブログのノウハウとか教えるって言って金とるじゃん?
 でも儲けるブログとかサイト作れるはずなのにあいつら講師とかコンサルトかやってるじゃん?
 ねずみ講ばりの怪しさじゃん?
 ビジネスというか儲けるのって思いついて実際にやるのはめんどくさいんだけれど、分析は簡単じゃん?
 儲けるビジネスってのはポイントがいくつかあって、元手がかからず、在庫が残らず、年中需要があるってことじゃん?
 そうするとネット使って労働力少なめで稼ぎたいって思ってる人いっぱいいるじゃん?
 講師もそうだとするじゃん?ブログとかサイトとか開設してみるじゃん?
 誰しもが思いつく情報まとめてペラサイト作るじゃん?競合多いじゃん?デザインひどいじゃん?最初の労働コストが元手がかかりすぎるじゃん?ガチでやろうとするじゃん?サーバ代とかドメイン代とか固定費としてかかるじゃん?アボセンスされるじゃん?
 2〜3年やってると、テーマ選択がうまかった人以外は、コツコツ更新するよりSEO強いブログサイトやCMSサービス使った方がいいってことに気づくし、自分でなんかキャラグッズかなんか作って売った方がいいって気づくし、サイト作ってる時間バイトやパートした方がいいって気づくじゃん?
 ぜんぜんさっきの儲かるポイントに当てはまらないじゃん?リサーチサイトでアンケート答えてポイントもらった方が小遣いできるじゃん?ちなみに誠実に答える人ほどポイント高くもらえるらしいじゃん?(中の人談)
 ネットを始めとしたICTって加速器増幅器じゃん?もともとコンテンツがあればそれをいい感じに盛れるじゃん?でもぺらぺらな人は炎上マーケティングか厚顔で2chまとめサイトとかやるしかないじゃん?
 そこに気づいたら、同じ問題で困ってる人いるって気づくじゃん?だったらその人達にアドバイスした方が、いんじゃね?って気づくじゃん?
 教育とか講演ビジネスって、元手は時間と場所代だけだし、情報を得ることはあっても情報の在庫なんてないし、一定のプレゼンス(存在感とかブランド力)あれば年中需要あるじゃん?少なくとも在庫が出るブログ本かいても売れる位にはあるじゃん?
 実はSEOうまく行ってない技術的な問題に対してもあなたの努力が足りないんです!もっと面白い文章を書いて!とか言えばマッチポンプ化して気づくまでは稼げる訳じゃん?しかも最近自己啓発ブームもあってそういう叱ってほしい系の人多いじゃん?
 大手企業も新しいビジネスつくるより教育とか講演ビジネスした方が小銭稼げるからって手を出し始めたじゃん?進研ゼミとか昔からやってて成功してるじゃん?
最近だと【公式】スタディサプリ大学受験講座(旧:受験サプリ)|神授業、4万本。とかもろにそうじゃん?一定以上の規模の企業はデータセンターとか持ってるし、海外でも安いサーバ屋増えたじゃん?ゲンロンカフェとかできたじゃん?
 単純に元手と在庫がかからないじゃん?これからさらに教育ビジネス参入したいって人増えるじゃん?受験生を助けたいとかもっともらしい言葉いうじゃん?受験みたいに他に選択肢がなくて競争があることをいいことに、その制度を変えるんじゃなくその制度に乗っかってビジネスやるじゃん?その受験生はそのサービスに乗っからないと助からない感が増すだけじゃん?
 でもね、実際は金出してまで勉強したいなんて需要は限られてるからそんなに流行らないじゃん?パイを奪い合うだけなのにみんなITで教育がよくなるとか思ってるじゃん?
 個人的にはプログラミングの塾とか工作塾とか、従来の習い事の拡張くらいしか希望を感じてないじゃん?
 応援するビジネスは選んだ方がいいんじゃん?

わくわく感ハンパ無い-メディア評-漫画「ドリフターズ」

 本書は平野耕太氏による歴史の登場人物を異世界に招集して国取りをさせる王道漫画。漂流者(ドリフターズ)と呼ばれる異世界から呼ばれた武将や兵士たちと、帝国と、廃棄物と呼ばれる世界を破壊し尽くしたいモンスター軍が、三つ巴で戦いを繰り広げる。漂流者として織田信長をはじめ日本の戦で活躍した人物ばかりが集まるのかと思いきや、海外からもラスプーチンだのジャンヌダルクだのが敵キャラとしてでてくるし、義経は妖怪枠で登場。エルフやドワーフ等ファンタジーでおなじみの生物達と一緒に武器を揃え戦略を立て敵陣に攻め入る演出は圧巻。最初は絵柄に慣れないかもしれないが、見慣れてくると歴史的美少年美少女が並ぶ。ハーメルンのバイオリン弾きからくりサーカスを読んでいた層にはダダはまりする感じ。古代から現代まで時を越えて歴史的武将や兵士たちが武器ととも集まってくる。集まってくる度に武器が増えたり、ゲームバランスがめまぐるしく変わっていく。続々と登場する新キャラと、それに伴って変わっていく展開が楽しみだ

イケダハヤト問題のイライラの原因がわかったので師を囲む周りの大人をぶん殴りたい

やまもといちろう氏とイケダハヤト師の対談イベントがあったらしく、ログを読んでみたけど行かなくてよかったと言うほか言うことがない。
ひとまず夏の薄い本でのCPには期待する。ブロガーBLが出来たらブログはキャズムを越えたという指標になろう。
やまもといちろう×イケダハヤト
やまもといちろう ×イケダハヤトの「ブログ論争」対談書き起こし - NAVER まとめ
【更新】「やまもといちろう×イケダハヤト対談イベント」メモ書きレポート #ブログ論争 - カイ士伝
やまもといちろう氏対イケダハヤト師観戦記 最低で最強だったイケダ師 – アゴラ
 個人的に、イケダハヤト師について、いろんな人がブログで取り上げて訳の分からないことを言っているからむかつくとか一貫性がないからむかつくとか言うけどそんな言葉ではまったくもって的確に表せないのでずーっともやもやしていたのである。
対談の内容を見てよくわかった。個別の話として、師に絡んでノマド労働問題とか、若者の意識問題についてはよく語って来た。
 ココ数年、アンテナは広いけど、それを分析する指標がポエムだったり、実績よりセルフブランディング先行だったり、本を紹介する割にその根底の思想とか詳細に触れずモチベーションを刺激する言葉だけ抜き取って本と正反対の話をしたりするものばかりだけれど若者のブログは増えて来たし沢山見て来た。
特段アンテナが広く、若手起業家界隈に顔が利いたのがイケダハヤト師だった。
皆が言う通り特段新しい思想なわけでもない、オピニオンリーダー風に振る舞っているけれど特に論壇に登れるほどロジカルでもない。ただ、ノマドのようなフリーランスの労働スタイルのブランディングには成功した。
僕のところに相談に来る学生なんかもイケダハヤト師はなんなんですか?と言われるが、この炎上劇は別にアンチが事務所やクライアントに電凸したり実害が出るような炎上でない以上ただのプロレスだから楽しむべきだと言うことを伝えて来た。
それから彼自身の発言から、「エッジのきいた俺でも受け入れてくれる社会が欲しい」と言いながら「社会が俺を理解してくれないのは、俺はエッジがきいた情報発信をし続けてるからだ」みたいな演出をし続けなければならない病気に自らかかってる思春期な傾向が読み取れる。
切り込み隊長に認められてみせた反応のように大きな承認があると微妙に態度を軟化させるし、一方でそれだけで彼が書くのをやめる訳ではないだろう。ブログが支持されるというのは支持者の思っていることを代弁しているに他ならないからだ。
現にイケダハヤト師を批判している学生もよくよく意見を聞いてみれば彼と同じような思考をしていることが多い。結果、スタイルを変えず情報発信を続けるし、誰かが批判するし、それにより彼は飛び出てる杭という自覚を強くするというループにはまる。父親に認めてもらえない反抗期の子どものように。僕はこれを「遅れて来た反抗期」として観察を続けている。
元をたどると彼がイライラするキーワードは再現性である。チラ裏か戦場かどうか、正義か悪かどうか、寛容的か排他的かどうか、自己主張かどうかなど、人格や矜持の話関係なしに、一連の問題は発言の再現性の問題だろう。皆が記事を書くためにある程度再現性を考えて書こうとするのに対し彼は自分がその場で思ったフラッシュなアイデアを実験だと言いながら書き散らす。だからみんなブクマで再現性が低い、って一言書き込めばいい。
具体的な方法の話をしよう。
再現性をふまえて問題解決を語るのなら、本来解決を目指すべき問題の所在は3つのレイヤーがある。
1,価値判断や心持ちの問題
2.個人のスキルセットやテクノロジーの問題
3,社会構造の問題
これらを3から1へ往復して語らなければいけないはずの問題であるが、意識の高い学生含め多くが1から2を素通りして3へ飛ばしてしまうのだ。彼らの中で社会構造は意識の総体という認識であり常に連動しているらしい。だいたいスキルセットを語らないマインド変えろ系の自己啓発も同じような書き方がされる。
「努力は実を結ぶ」「覚悟ある自己表現が人を動かす」とか、「楽しい活動が教育を変える」とか、「嘘のない新しいサービスが福祉システムを変える」とか。そんないい風に紹介されても、現実はいす取りゲームなのでどんなに楽しくても努力しても誠実でも誰かがワリを食らう。誰しもがその方法に準じれる訳ではない。
そして共感を求めるクラスタがよく勘違いしているが、感情や価値判断ほど再現性が低いものはない。だが感情や価値判断が必ず付加され、インセンティブとなりキャズムを越え、みなレミングのように同じ方向に流れると(そしてそれが円満解決の方向だと)思っている。
もっというとこれらの価値判断を含む言葉と言うのはバーナム効果やコールドリーディング等の技として、占い師やカウンセラー、ナンパ、キャバ、宗教等でフックとして使われる常套手段だ。
もしくはスキルがなくてもテクノロジーがあれば何とかなるでしょうという楽天的な記事は昔から叩かれて来た。完全なる進歩主義の議論であり、テクノロジーは人を自由にすると同時に人を支配する。もしくは日本のwebは残念、なんて発言も飛び出す。
そう言った進歩主義な人達のフォロワーは、たいてい主語が大きかったり結論が大きかったりする。なにかことがあっては日本人が、世界が。怠惰か勤勉か、誠意か失礼か、自由か責任か、生きるべきか死ぬべきか。そんなことを問うては病んでいく若者にとって、アンテナが広く断定的な文章が特徴的なイケダハヤト師はよくも悪くも特異な存在に映る。
そうして注目の数がキャズムを越え、ブロガー達の目に触れ、今度はその記事を読んだ人たちがあまりに再現性が低いため困惑するのだけれど、どう突っ込んでいいかわからない。
それでも突っ込もうとし落としどころとしてスキルセットへの言及が足りないでしょおかしいでしょという話になり「なにいってんのこいつ」状態になり会話はすれ違いになっていく。それこそボランティアしてる人にもっと「国家資格取らないと質が担保できないよ!」とか学生運動してる人に「ちゃんと投票行かないとなにもかわらないよ」とか、そういう類いのすれ違いレベルなのである。だんだんのれんに腕押し感が面白くなって来て、突っ込み大喜利が始まる。
 問題はこれもありなんだ、といって追随している大人や、フォロワーが多いからついていけば甘い蜜がお裾分けしてもらえるだろうと思っている大人達だ。話を聞いてやっぱり彼は幼稚だった、と自分の優位性を主張する。どう役立つか、のベクトルが違う!と(白熱教室を絶賛しながらも)功利主義に立脚したまま議論をしたりする。
ノマド論壇が盛り上がっても未だに皆勝ち逃げの方法を教えるだけで非正規雇用が対等に取引される仕組みとか誰も検討しない。
今回のイベントも「僕は修行僧で高みを目指すために滝に打たれてるんです!!」「そ、そうか!?俺はmixiがつぶれてほしい」みたいな不毛な会話で終わっていった。
その後の反応も多くの大人達が罪人かどうか、サンドバッグかどうかみたいな話で個人にばかり責任を帰属させて語るばかりで、彼を始めとした若者をそこに至らせたリソース不足やライフイベント事態の変容に全く目を向けない。全員が共犯者だよ。
今回の件、もっと寄付先についての話をしてほしかったし、芸風についてよりなぜその芸風に至ったかを深堀してほしかった。
今現在、目立たないところで小規模のメディアサイトを立ち上げて俺流正義感を発露しようとしている若者は山ほどいるしポテンシャルもすごい。これから爆発的に増加する彼らの正義感の発露を、芸風の問題として捉えてもしばらくは楽しめるんだけれど、精神論から社会を語る輩達にスキルセットがうんぬんと指摘する構造がそのまま続き、発電できるまでにマッチポンプ化していくブログ界隈を僕はあまり魅力とは思わない。
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尊敬しているからこそ、親を越えなければならない 反抗期の王道映画-映画評-「荒川アンダーザブリッッジ」

 漫画原作、アニメ化された荒川アンダーザブリッジが、実写ドラマ化。よく見てみたらキャストもおかしく、小栗旬がカッパ役だったのは声を出して笑った。山田孝之城田優林遣都桐谷美玲安倍なつみ。今をときめく舞台俳優や映画俳優、モデル、ミュージシャンと、何かおかしなことになっていて原作を見たあとだとかなり楽しめる。
 ただ、実写化は大切なものを盗んでいきました。演出や脚本のおかげで原作の破天荒さがなくなり、登場人物達はみな牙を抜かれてしまった。舞台でのお芝居のような世界観であり、わざわざ映画館で見るようなものでもないし、一方で原作になかった「同意」と右肘をあげる合図を含めた演者達のこだわりの演技は見ておきたい。
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http://autb.jp/

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アウトサイダーコミュニティとの付き合い方-メディア評-漫画「荒川アンダーザブリッジ」

 連載が再開して今月新刊が出るらしいので紹介。ナルシストで会社経営者の主人公がある日突然ホームレス達と川の下に住むという破天荒漫画。
 ガンガン漫画のくせに登場人物達のキャラ付けがファンタジーの領域を越えない、絶妙なギャグ漫画。カッパの背中にはチャックがあるし天狗は催眠術を使う。
荒川アンダーザブリッジ | ヤングガンガン | SQUARE ENIX

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なんだかんだ少し異常な位が人に受け入れられるよね-メディア評-漫画「ニコイチ」

 ベッドで足バタバタさせながら読破。いっぱいマイノリティ出てくるし、去年終わった作品だけれどやっぱり金田一蓮十郎は面白い。

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コミックの半分は優しさでできています-メディア評-漫画「さらば、やさしいゆうづる」

 あー、こういう作品好きだわー。青年期特有の、他人の善意に対し偽善ではないかと疑いのまなざしを向ける主人公と、それをものともせず優しさに巻き込んでいく登場人物達。綺麗な吉本ばなな感すら感じる。ちょっと特異な環境で相互承認を与えあうストーリーを描くコミカルでハートフルな短編集

 本書は漫画家歴2年と噂の米粒自画像の作者が書いたSF(少し不思議)漫画。主人公達、もしくは登場人物達は少し不思議な力、もしくは少し不思議な環境で起きる少し不思議な事件に巻き込まれながらアイデンティティを獲得していく作品。横道過ぎるからこそこのジャンルは力量が求められるのだが、収録されている4話はどれも物語のテンポや設定も綺麗にまとめられている。
 1話目はある日突然妖怪が見えなくなった主人公の話。2話目は彼氏と別れた女の子の話。3話目は星に願いをかけた生で弟の顔が見えなくなった女の子の話。4話目は幽霊の話。幽霊の話はご都合主義感があるが、どれも喪失が原体験となるのだが、どれもそれを埋めようとする話ではない。喪失を埋めるべきなのかと焦燥感や強迫観念を感じるのだが、だんだん冷静になり、自分が何に恵まれ何を失ったかに気づき、自分の中のルールや秩序、すなわちこだわりを再構成する。
 人や権威に依存したこだわりが削ぎ落とされ、ある程度自立独立したこだわりに変わっていく。最近のラノベ原作のアニメも層であるが、ある種厨二的でもある、イベントによる反抗と承認とが同時に得ることができる青年期のユートピアがこれらの作品には描かれているのである。主人公達は周囲の優しさに巻き込まれ、このまま苦難があっても乗り越えていけるんだろうなと思える後味のよい作品だった。

キャリア教育で若者は就職で苦労しないようになるの?-書評-若者はなぜ「就職」できなくなったのか?

 いやー、めちゃくちゃ面白い。先日の就活について考えるイベントのスライド資料のベースとして使ったのだけれど、本書一冊で非常にわかりやすく若者の就職とキャリア教育について取り巻く環境について教えてくれる。
 薄っぺらいキャリア教育だの道徳教育だのの議論が若者を弾圧萎縮させる、とまでは言わなくても、それらは呪われている。安易なキャリア教育推進派こそ参考文献も含めしっかり読み込んでほしい。

一匹の妖怪が学校教育の世界を徘徊している、キャリア教育と言う妖怪が。

 と言う訳で妖怪退治。現代的には妖怪との共生を考える流れになるのだろうか。大卒時点での若者の就職(内定)率は6割である。院進学を含めても若者の就職難と労働難はどこから来たのだろう?本書の要約と、本書の核であるキャリア教育批判に答えはある。

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若者論3原則

 先日就職について語るイベントにパネラーとして誘われたので資料を作っていった。
若者の就職について語る時、皆が若者を何かが不足している存在として語ろうとするので牽制としてこんなスライドを用意してみた。雑な議論がイッキに慎重になるので場によってはオススメ。

1.若者を一元化して語らない

    • 能力の高い若者
    • 普通の若者
    • 特別な支援が必要な若者
      • 悪い例:「最近の若者は〜〜」
      • それぞれにそれぞれのアドバンテージや問題があるはずなのに一緒に語ってしまいがち。多様性があるはずの存在が一元的に共通の習性で動いているのならそれこそ問題では。

2.原因を問い、責任を問わない

    • 「若者」は守るべきもの
    • もし努力不足なら努力と報酬のバランスを問う
      • 悪い例:「あいつゆとりだから仕事でわからないところがあっても先輩に聞きにこない」
      • 新人類、3無主義、しらけ世代ゆとり世代と、歴代レッテルが貼られ様々な問題が彼らの努力不足や能力不足に集約される論がはびこった。若者亡国論などは繰り返されるが、「若者」や「子ども」と言う言葉自体は、彼らが大人と区分けして保護すべき存在だからこそつけられた。考えるべきは報酬(インセンティブ)だ。努力すれば、努力しただけの報酬が確保されていれば皆努力するはずだ。原因を若者に求めて批判しても余計動かなくなるだけであり彼らが何を求めていて何が報われないと思っているかという原因を探る必要がある。

3.過去の美学を押し付けない

    • 育って来た環境が違うから。
    • マイルール宣言は既得権益の強化にしか働かない
      • 悪い例:「俺らの若い頃は貧乏でも義理ってもんがあった」「俺ならその苦難を楽しむ」
      • 地域や時代によってインセンティブ構造が違うので自分が育って来た時代環境の道徳感が現代でも通用すると思ったら大間違い。若者の貧困を問題にしているのに「俺らの時代は貧乏でも勉強してたし助け合ってた」とか言われても。。。実際ふたを開けてみたら当時は経済成長が期待できて勉強し助け合えばお互いにその先のメリットが強かった時代だっただけかもしれない。美学には実行するための決定打(報酬)が必要であり「困ってる人は助けた方がいい(し、なにより情けは人のためならずだし)」と言った形だ。情報環境も産業技術も経済も政治も当時とは違うタームに来ているはずであり、若者を分析するならその背景を分析する必要がある。

 

別に反デジタル派ではないけれど考えてみたいので10の質問に答えました

デジタル教育に対する批判はあります。デジタルのメリットとデメリットの議論、やるかやらないかの議論を続けているのは日本だけだという揶揄を海外から受けておりますが、そうは言ってもまだ残ってる。ぼくはメリット99:デメリット1と見ているので、「やる」と決断して動いています。これに対し反対派は、デメリットばかりを拡大・指摘する傾向にあり、バランスを欠いていると見受けます。まぁそれはいいんですが、じゃぁどうするか、が不足しているんです。
(中略)これからは、反対派に対し、そのリスクやコストについての説明責任を問いたいと思います。こちらから質問をしていくことにします。

デジタル教育反対派への10の質問 ~ Ichiya Nakamura / 中村伊知哉

 この質問と言うのが小町並みに意見をぶつけて来ただけというずるい質問ばかりだなと感じてデジタル化賛成派がそうだそうだとはやし立てている感じなのでナンじゃこりゃと思い採択。しかし教育の情報化に携わる先生方の地道な調査研究には頭が下がります。以下で質問に回答していこうと思うけれど喧嘩を売っている訳ではないのでご理解ください。今の教育がよかったとか昔の教育がよかったとかこれからの教育がいいとかそう言う話をするつもりはありません。その時代によって教育に帯するインセンティブの背景が違うんですから。

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