若者論3原則

 先日就職について語るイベントにパネラーとして誘われたので資料を作っていった。
若者の就職について語る時、皆が若者を何かが不足している存在として語ろうとするので牽制としてこんなスライドを用意してみた。雑な議論がイッキに慎重になるので場によってはオススメ。

1.若者を一元化して語らない

    • 能力の高い若者
    • 普通の若者
    • 特別な支援が必要な若者
      • 悪い例:「最近の若者は〜〜」
      • それぞれにそれぞれのアドバンテージや問題があるはずなのに一緒に語ってしまいがち。多様性があるはずの存在が一元的に共通の習性で動いているのならそれこそ問題では。

2.原因を問い、責任を問わない

    • 「若者」は守るべきもの
    • もし努力不足なら努力と報酬のバランスを問う
      • 悪い例:「あいつゆとりだから仕事でわからないところがあっても先輩に聞きにこない」
      • 新人類、3無主義、しらけ世代ゆとり世代と、歴代レッテルが貼られ様々な問題が彼らの努力不足や能力不足に集約される論がはびこった。若者亡国論などは繰り返されるが、「若者」や「子ども」と言う言葉自体は、彼らが大人と区分けして保護すべき存在だからこそつけられた。考えるべきは報酬(インセンティブ)だ。努力すれば、努力しただけの報酬が確保されていれば皆努力するはずだ。原因を若者に求めて批判しても余計動かなくなるだけであり彼らが何を求めていて何が報われないと思っているかという原因を探る必要がある。

3.過去の美学を押し付けない

    • 育って来た環境が違うから。
    • マイルール宣言は既得権益の強化にしか働かない
      • 悪い例:「俺らの若い頃は貧乏でも義理ってもんがあった」「俺ならその苦難を楽しむ」
      • 地域や時代によってインセンティブ構造が違うので自分が育って来た時代環境の道徳感が現代でも通用すると思ったら大間違い。若者の貧困を問題にしているのに「俺らの時代は貧乏でも勉強してたし助け合ってた」とか言われても。。。実際ふたを開けてみたら当時は経済成長が期待できて勉強し助け合えばお互いにその先のメリットが強かった時代だっただけかもしれない。美学には実行するための決定打(報酬)が必要であり「困ってる人は助けた方がいい(し、なにより情けは人のためならずだし)」と言った形だ。情報環境も産業技術も経済も政治も当時とは違うタームに来ているはずであり、若者を分析するならその背景を分析する必要がある。