キャリア教育で若者は就職で苦労しないようになるの?-書評-若者はなぜ「就職」できなくなったのか?

 いやー、めちゃくちゃ面白い。先日の就活について考えるイベントのスライド資料のベースとして使ったのだけれど、本書一冊で非常にわかりやすく若者の就職とキャリア教育について取り巻く環境について教えてくれる。
 薄っぺらいキャリア教育だの道徳教育だのの議論が若者を弾圧萎縮させる、とまでは言わなくても、それらは呪われている。安易なキャリア教育推進派こそ参考文献も含めしっかり読み込んでほしい。

一匹の妖怪が学校教育の世界を徘徊している、キャリア教育と言う妖怪が。

 と言う訳で妖怪退治。現代的には妖怪との共生を考える流れになるのだろうか。大卒時点での若者の就職(内定)率は6割である。院進学を含めても若者の就職難と労働難はどこから来たのだろう?本書の要約と、本書の核であるキャリア教育批判に答えはある。

 本書は教育社会学界のエンゲルスこと法政の児美川先生による、若者の就職難に対する処方箋各方位に対して、なぜそれが必要になったかを説いた本。今でこそ名前として定着したキャリア教育、学校は絶対的な職業レリバンス(教育内容と職業との結びつく)が少なく感じるために、学校で職業について学ぶ時間を取るべきだと、急速に推奨推進されてきた。だが、少数の実践を除いてうまく機能してないんじゃねえの?と著者は主張する。

そもそもキャリア教育とはどんなものか。

 キャリア教育と呼ばれるものは一般的に次の3つが想定される。
1、実際の現場での労働や労働の疑似体験を通して働くことを考える職業体験
2、職業人と呼ばれる人の講演やワークなどで個人の進路選択における適性を考える就職カウンセリングや進路指導を行い学習のモチベーションを高める
3、自主性やビジネスマナー、コミュニケーション能力等、就職基礎力や社会人基礎力(あわせてエンプロイアビリティ)を鍛えるワークショップ等の実践
 しかし本書で紹介される研究達ははこれらの内容に対して実践者達の善意は肯定しながらもバッシバシに批判をする。
1に対しては、先生が地元の受け入れ企業を走り回ることになり、狙いや位置づけも曖昧なまま疲労感だけが残ったと言う。また、インターン一つとっても職業体験の参加者はお客様のように扱われ、バイトレベルの雑務しか与えられないなどの声も聞かれる。
2に対しては、労働とは何かや労働者の権利、どんな職業があるのかなど、見えてる範囲なんて限られているはずなのにほとんどの場合それらを教えない。就職カウンセリングと言えば自己分析から始まり、自分がその中でどんな職業に就いたらよいかを決定し、その理由付けを行うことに大部分が裂かれている。また職業人の講演などたいていが半分は運で成り上がった人達が「昔はよかった今の学生は努力しろ」というだけの説教になっており、効果が薄い割に労力などのコストパフォーマンスがいかんせん悪い。
3については成果の測り方がわからない。例えばコミュニケーション能力と言った時、相手が何か言ったときにしゃべるのがいいか黙るのがいいかはその会話の内容や相手との関係や文脈に撚るはずだ。採点基準が曖昧で正解のない問題に対し点数をつける場合、たいてい基準は俺が気に入ったかどうか、になる。学校成績の中にある意欲関心態度しかり、曖昧な基準で測られる能力によりランク付けすることをハイパーメリトクラシーといい、ハイパーメリトクラシーがシステムとして導入された場では「俺が気に入るように行動しろ!」という実質的な行動の統制が行われる。祭典者にこびへつらうことが一番いい点が出てしまい、その行為がどんどんブラック労働化していくのである。
 こうした産業界からの要請に応じた説教や叩き上げ型の教育がキャリア教育である以上若者はどんどん萎縮していくかモチベーションを高めながらも空回りし疲弊していく。

なぜキャリア教育が必要になったの?

 もしくはなぜ若者は就活に苦労するようになったのか、でもよい。そこにあるのは就活構造の歪みである。日本の労働市場は日本型雇用と呼ばれる「新規学卒一括採用」「年功賃金終身雇用」「企業別労働組合」というシステムが一般的なのだが、このシステムの崩壊が大きい。
 経済成長に伴い大学卒の学生の割合は3割から5割になった。それと並行して92年から2010年にかけて、高校卒の求人数がピーク時から87%減少している。
高校で就職できなくなった=求人資格に大卒-無理矢理大学に行く必要-大学需要が増えたため無名大学が乱立-高校の先生による進路指導(就職マッチング)が行われなくなる-就活ポータルサイトによる大手一極集中-就活セミナーや勝つための就活ビジネスが横行-地方の中小企業とそこそこの学生のマッチングがうまくいかない
 と言った流れである。その上企業側は度重なる不況で新卒採用の慣例はそのままに教育費まで削減し始めた末、学生に多くを望むようになった。これが「即戦力」志向である。
即戦力を鍛える、学生を鍛え直す、そんなキャリア教育の呪いはこの構造の歪みから始まった。年功賃金の歪みについては以前書いた。
 さらに不幸は続く。「新時代の日本的経営」により、雇用ランクが出来上がり、企業別労働組合は共倒れを避けるため非正規雇用者を救わない。
 キャリア教育を促進しようとする団体は”非正規雇用にならないために”を謳いキャリア教育を進めマッチョ論を展開するし、業界によっては正規採用されても燃え尽きやすい労働環境が出来上がりつつある。
 またキャリア教育を巡る法整備は、主に中間層以下の学校に向けられ推進されている。逆転の仕組みもないまま、ハイパーメリトクラシーが学力偏差値の低い層に対して「お前ら頭悪いんだから奴隷のように勉強して奴隷のように働け」という仕組みを固定化しようとしているのだ。
参考:BLOG「芦田の毎日」: 接遇=コミュニケーション能力と専門教育と ― キャリア教育は本来の学校教育を衰退させる
BLOG「芦田の毎日」: 【第五版】今度は「後書き」(キャリア教育はどうやって断念されたのか) ― 消費偏差値と高等教育のグランドデザイン)草稿ができました ― 読んだ人は必ず買って下さい(笑)

結局どうすりゃいいのよ?

 結局構造の歪みと不景気による雇用の絶対数の激減こそ問題の根幹であるはずなのに、政府は学校段階でのキャリア教育推進と職業訓練ばかりを解決策として持ち出し就職できないのは「若者の努力不足」が原因だと決めつけた構図になってしまっている。キャリア教育の何が問題かと言うと、学校の時間割にそれを入れると言うことは、その他の教科に割く時間を削る必要があると言うゼロサム問題である。学力偏差値が低い層に対して推進されているキャリア教育で、教科に割く時間がさらに削減され説教に使われるのであれば、若者は萎縮し学力の格差はさらに広まる。就職で妻づいたからと言って、人格を否定されたとか能力がなかった等と必要以上に沈む必要はない、昔はなぜキャリア教育が必要なかったかといわれれば、雇用の数も十分にあり大学生の数も少なく希少価値が高かったため勉強量に見合った社会的地位を得ることができたからである。
 僕がイベントで提案した解決のたたき台は以下だ。

  • 正規雇用でも生きていけるよう同一労働同一賃金の原則を段階的に導入する
    • 日本では非正規と正規雇用生涯賃金の差が3倍といわれているし、これでも世界的には格差が小さいなどといわれているが物価が高いので関係ない。まったく同じ労働をしているのに正社員だから責任が発生するからと賃金が高い現状はやはりおかしい。それに責任が発生して首切られるのは非正規雇用の場合のほうが多い。
  • 正規雇用でも会社の福利厚生をちゃんと享受できるようにする
    • 日本の公的福祉は国際的にみても水準が低く、会社による福祉がそれをカバーして来たという経緯がある。保険などカバーしてあげるだけでもかなり違う。
  • 年配の人を対象に独立支援金を
    • ノウハウやネットワークがあるのであれば早期退職よりグループ会社扱いで競合しない企業をつくった方が雇用も増える。またファンドも若い人にしかお金を出したがらないという構造もある。
  • 高校段階で「技術/職業」に関する教科を
    • テクノロジーに関する教科は世界的に9〜12年行われているが、日本だけ3年しか行われておらず、大半が大学に進学する普通高校等ではものづくりを通した労働を意識した教育をほとんど受けることができない。移行のための教育どころか断絶されているのだ。本書に書いてあるオーストラリアの例も参考に、これを整備し「ゆるやかな移行」を。
  • 院進学で学歴ロンダリングではなく専門性を評価する仕組みを
    • 大学院に進んだのであれば論文は書いているはずで、従来の就活の大半を占めるESと面接だけでなく論文についてどれだけ打ち込んだかを評価する就活を。
  • コネ入社のような一本釣りの復活を。
    • もちろんすべてを置き換えるのでなく数パーセントそう言う枠があってもいいでしょと言う話。
  • 省庁がネットワーキングすることで雇用を生み出す
    • 省庁が法整備をするのはよいのだけれど、それより財界の人達を交流する場をもっと作り、化学反応と効用の創出をする場をもっと目に見える形で作っても良いのではないか。

 それから本書に書いてあった生涯教育の充実やキャリアコースの多様化等。グローバル化も進み技術発展も進む中、資本主義である以上非正規雇用をこれから減らすことは不可能なので、非正規でも生きていける仕組みを整備していく方向に舵取りすべきだし、海外の同一労働同一賃金の原則がしっかり機能している社会では週3でA業界で働き週2でB業界で働く、と言った働き方もあると言う。正社員を確保するのが難しくボーナスや報奨金は彼らを会社に引き止めるための手段だと言う。

第4のキャリア教育

 会で言わなかったがもう一つ、職業体験、キャリアカウンセリング、ビジネスマナーについで4つ目のキャリア教育と言うのを提唱したい。
 都内では多くのNPOや社会教育団体がキャリア教育だと言って児童生徒達に率先して教育活動を行っており、しかし一方でそれらが教育としてどう評価していいものかをずっと悩んでいた。例えば若者熟議のように若者で制度を考えて社会をよくしよう、と言ったものであるが、それが直接的に社会をよくするとは考えらず、なんの意味があるのかと考えていたときに気づいたのだ。彼らはキャリア(官僚育成型)教育をしているのだな、と。
 これは芦田先生の講演会でインスパイアされた言葉でもある。
 
 ルールを整備するという活動を経て、専門的な情報を集め、誰よりも高い視座から、各種ステークホルダーの意見をまとめ利害調整を行う経験はキャリア官僚の仕事の大部分と一致するはずだ。学校教育は適切な情報処理が出来ることが一番に求められ公務員育成に相性がよく、親和性もある。社会教育の場は現在はまだまだ情報のアンテナが高い層にしか届いておらず、自分の学んで来たことと正義感を発露して終わるだけの場となる場合が多い。しかしどのような利害関係が働いているかを知ることは、自分や自分に近しい人の身を守り、よりより労働の権利と社会利益を追求することにもつながる。教育の出口が就職、労働である以上「自分探し」中心のキャリアカウンセリングよりこういった実践の方が多いに期待できる。
ただし、だれがそれを指導できるのかと言う問題は大きいだろう。そして情報収集と利害調整にばかり長けた大学生はたいていの場合、専門的な勉強をせず口のうまさだけで乗り切ろうとするのでこれも一長一短ではあることも声を台にして言わなければならない。ツイッターでソーシャルグッドを叫んでいる意識高い大学院生達の学部論文をぜひ読んでみてほしい。僕は特に教育系に触れることが多いのだけれど、「この実践は必要です!偉い人もそう言ってます、賢い子達に実践を行ったらこういう反応が返って来て嬉しかったです!だからこの実践は必要です!」みたいな結論ばかりで教育学で一番最初に学ぶポジティブリスト問題のようなものを知らなかったりする。そう言う「ボランティアしてきました口だけは達者です」みたいな学生ばかりが就職の面接で勝ち残っていき、目立たずコツコツとやって来た学生達を評価する軸があまり語られないのは日本の歪みとしても大きい。(人事の人達はそれはわかると言うけど本当にわかっているのかは疑問。就職できなかったという友人達はたいていそう言う面接が苦手な層ばかりだった)

 僕の言う第4のキャリア教育は、本書を読んでキャリア教育的なものが必要だとしたらそう言う方向がいいよね、と言うだけの話でこれを必修化義務化した方がいいと言う話ではない。そもそも教育が悪かったから就職できなかった、なんて因果関係は存在しない。教育がよかろうと悪かろうと人は皆学習する。教育がいいとさらに効率的に学習できる、それだけである。
 本来は学校で教師の専門性を信じ、専門性を存分に注入された上で柔軟な専門性を持って社会に出ることができるのが理想ではあるし、キャリア教育なる呪いにまみれた妖怪が必要になってしまったこの歪みは雇用の歪みから来たことを本書から読み取った上で教育も含め皆がしたたかに生きていける解決策は何かを皆で考えていきたい。次の勉強会は議員さんを呼びたいと思う。