未來の描く過去-メディア評-映画「陸の魚ーセイジー」

 友人数名がヘドウィグアンドアングリーインチ見に行っててうらやましいと思い、負けじと森山未來主演の映画「陸の魚ーセイジー」を見る。監督は正直どんな人か知らないし監督の良さもよくわかってない。そして本エントリはネタバレを含むがそれを知っても特に映画本編に影響はない。
http://www.seiji-sakana.com/
 物語は主人公の回想から始まる。舞台は1990年、就職が決まり自転車で日本をぶらりしていた主人公(森山未來)が速攻で自動車にはねられ、行き着いた山小屋house745でセイジという不思議な男に出会う。自転車がなおるまでの間、特に目的もなくセイジと一緒に働いて、セイジを観察しながら、徐々に事件に巻き込まれて行くと言うお話。久しぶりに宗教もテロもアダルトチルドレンもキレる若者もでてこない映画を見た気がする。クライマックスは見事にグロテスク。
 しっかしセイジと主人公役の二人の演技は見事なものの、監督がなんかよくわからないキャンペーンのもと作品を作ったらしく、脚本がぐだぐだすぎて訳が分からない。途中で動物愛護団体がでてきて人間のエゴを見直しましょう!とか言って、盲目のじいさん役の津川雅彦が「人間がココまで増えることは神様すら予想してなかった悲劇」みたいなことをボソボソとつぶやき、女の子が表情を変えなくなったからと言ってセイジは奇行に走る。ココまでする必要なかったんちゃうのん?という場面が頻出し、不器用ですらない人たちが極端な行動に走った人たちの起きるべくして起きた悲劇、みいたいな展開に成り下がってしまってるので、大手を振ってオススメは出来ない。映画のタイトルである陸の魚も、主人公の身動きが取れない状態に着いてかと思いきや、上手に生きるのをあきらめてしまったセイジの形容だそうだ。ぜんぜんうまくない。
 現在大学生っぽくキョドらせたら日本一の俳優森山未來をなぜこの主人公として用意したのか(それはある意味正解だったろうし、もしこれに中尾明慶でも使ってたなら全く別のカラーの話になっていただろう)。それから最後のシーン。ネタバレしておくと20年後にもう一度house745を訪ねるのだけれど、感動の再開はあるもののセイジがどうなったかは描かれないため非常にフラストレーションがかかる。
 前々から思っているのだけれど、この手の映画に対する賞賛は、見る側の想像力の欠如というより、むしろ想像力が豊かすぎて脳内補完してしまう能力が高い故だろうと考える。あり得ない展開に対し、もしこれが現実だったら、という想像力が過剰に機能している気がする。むしろある種のストックホルム症候群なのではなかろうか?ストックホルム症候群とは銀行強盗の立てこもり事件で人質が銀行強盗と長時間ストレスフルな時間を過ごし、銀行強盗が捕まった時人質が銀行強盗に好意的なコメントをしたと言うアレである。映画を見ている最中綺麗な景色とストレスフルな展開を交互に見せることである種の親近感を抱かせる心理効果が考えられる。
 参考:『セイジ―陸の魚―』 ご覧になった方々の感想 - Togetter
 とはいえちょいちょいパンチの効いた台詞や展開、勘違いの正義を微笑ましく見守ろうとするスタンス、小道具や映像のこだわりなどあざとく出来ているのでそれはそれで楽しめる作品。