承認の渇望はここまで進化した-メディア評-漫画「暗殺教室」

 大人から見捨てられた子ども達はついにエイリアンからの承認すらも渇望してしまう。
話題になっていたため1巻だけ読破。教師ものとしては驚きの斬新さ。

 本書暗殺教室は、単体で月を破壊できるほどの火力を持ったエイリアンが、自分をいつでも暗殺してよい代わりに中学校の先生をやらせてくれとあり得ない交渉の末、生徒達に暗殺を通じて承認を与えていくハートフルストーリー。
物理法則は余裕で無視。毎回先生が死にそうになるけど死なない。そんでいいところまで追いつめた生徒をこれでもかと褒める。意味わからんすぎてじわじわくる。
主人公はマメにメモを取るような勤勉だけど成果の出ない中学生。この設定のあざとさもさながら、この先生、脅威でありながら自分を殺していいと言いながら、殺そうとしてくる相手を褒め殺し細かいケアを行う。脅威自体が「理由なき反抗」を正当化し推奨するトリッキーな王道少年漫画でありつつ、それをになうのは人間の親でも教師でもなく皮肉にもエイリアンという展開であるのだ。
背景にあるのは学力や素行だけで評価されるメリトクラシーであり、そこから漏れたモノ達への疎外。疎外されたモノ達が十分に増えた昨今、アウトサイダー同士での承認の共同体が一つのファンタジーとして、それでいて共感性の高い物語として成立するのはジャンプの隆盛と大きく関わっている。
毎回どんどんあり得ない設定が発覚していく段階なので今が一番わくわくである。例えるならフリーザって第何形態まであるの!?状態だ。
 そのうち同じような宇宙人が到来してもういっそ地球も破壊しちゃおうぜみたいな展開になるのはうっすら予想がつくし、エイリアンやモンスターよりも恐いのは人間だよね的な教訓を促すの展開も何となくわかる。
 エイリアンからの承認すら物語になってしまう承認の渇望は社会が豊かになった結果でもある。教師もの作品は、教師もの特有の教師側が問題を起こして生徒に無理矢理解決させて教師は説教をすると言うキンパチ先生感をどう描き直すかという段階にきているのである。