下手な哲学書より山形浩生-書評-訳者解説

 昨年発売された本の中で一番面白かったと言ってもいい本。翻訳家である著者の訳書のあとがき解説を集めた一冊。経済学はもちろん哲学・心理学・文化・数学(統計学)・情報・社会・科学技術から今流行りの開発教育まで幅広く網羅する山形浩生氏ならではの語り口調と明快な問題分析が魅力。
 個人的には10数年前に出た前作「新教養主義宣言」ほどのインパクトはなかったが、それでも読み応えと内容の深さはそこいらに売っているお手軽哲学書などとは全く一線を画する。
 それは彼の書く本たちは、哲学や心理学と実際の社会をシビアに分析し結び付けて語る姿勢にある。

訳者解説 -新教養主義宣言リターンズ- (木星叢書)
山形 浩生
バジリコ
売り上げランキング: 58912
おすすめ度の平均: 5.0
5 世界を日本に紹介してくれる貴重な訳者による解説本
5 山形さん、良い意味で変態だ〜 (^o^)/
5 これを読んで元の本を読んだ気になりそう
5 「訳者のあとがき」だけを集めた珍しい本。

新教養とは何か

 副題が「新教養主義宣言リターンズ」と個人的に非常にダサく感じてしまう。タイトルをどうするか迷って両方つけた感が満載であるが、山形浩生氏は前作新教養主義宣言で、従来の教養=「ストックしておいて必要な時に引き出す実用性のない知識」ではなく新教養=「知識と知識をつなげる価値判断のベースとなる知識」をつけるべきだと、タイトル通り「新教養主義宣言」をする。欧米は不思議の国のアリスだのシェークスピアだの全国民が知っている作品があるじゃない。日本には全員が共有している古典教養となる作品はほとんどないし、それを踏まえた作品もほとんどない。さらには共通理解している作品もアニメだの漫画だのに移っていき、世代間で共有できるものも無くなってきた。それを古今東西集めて価値判断のベースとなるような知識と知識をつなげる知識を集めてこの本にして、読んだ人の1〜2割でもいいからガツンとインストールしたい、と雄弁に語る。

新教養主義宣言 (河出文庫)
山形 浩生
河出書房新社
売り上げランキング: 150850
おすすめ度の平均: 4.0
5 高校の図書館の本棚にさりげなく置いてあって欲しい本
4 パブリックな知への信頼
3 非常に惜しい教養啓蒙への試みの欠落

 利己的な遺伝子だのガイア仮説だのテンペストだのドストエフスキーだの脱構築だのミームだのグローバル経済だのSFだのコーヒー豆だのファイナンスだのアジア的価値観だの統一理論だのテッソの檻だのファインマンだのウラジーミルナボーコフだのAIBOだの選挙権売買だのといった話がどんどんつながって逡巡していく。ちなみにここにあげた内容は前作の「はじめに」に書かれている内容の一部を並べただけ。いかにこの本の内容が濃く、そこいらのビジネス書や自己啓発書と違うかが見て取れるだろう。タイトルが啓蒙書じみててもったいないという声は方々から聞かれる。

今仕事で一生懸命計算しようとしている製薬業界の割引率を考えることと、人の失恋の悩みとに実は関係があるんだという事を僕は示してみよう。それが多分、人間の代謝機構とロールズのいう「正義」とも無関係でないことを示してみよう。そしてそれを一通りまとめて理解することが、多分今の世界のあり方を理解するうえで大事なんだってことを、ちょっとこじつけ言ってもいいから説明してみよう。だって、関係あるんだもん。大事なんだもん。植民地主義と鉄道の歴史と、さらには銀行の不良債権問題が、フレンチのコーヒーがまずいことと密接に結びついていることを示そう。情報生産性のパラドックスが、生物としての人類進化とぼくたちの自由のあり方も聞いていしているかもしれないことを、ぜひとも知っていただこう。いままでまったく関係あると思っていなかったテーマの間にある、密接な関係に気がついてもらおう。そうすることで、複雑系のブームが去った後も、もう少し複雑系の事は覚えていてもらえる。それを何か別の方向に応用することだってできる。

 そうして短絡的な結論は悪だよね。色々思考をめぐらしてなにが個人的にも政策的にも最適かを考えよう。と主張する。

 発言を見ての通りの非常に挑発的な内容で鼻をつまむ人たちや受け入れられない人たちも確実に多いだろうと予想されるのだが、当時の僕にはそれが非常に魅力的に映ったし、その後いろんな情報と出会うきっかけとなった。内容自体は書評や描き下ろしコラムをまとめたものでしかないが、一つ一つの記事がバカみたいに自分の世界の狭さや判断軸のずれを痛感させてくれる。頭が発熱しているのを感じ実際に検温しても体温が1度くらい上がっていた、それでも寝る時間も惜しんで読みこんだ記憶がある。十数年たった今も全く内容的に色あせていない、本質をついたスゴ本である。
 また、著者山形浩生氏は人の事をバカにしたり専門家をこき下ろす内容を公開しては炎上されたり起訴されたり、非常に話題性の多い人だが、一方で毎年中国や発展途上国に年収の一部をどんと寄付したり、本業では途上国支援・援助の仕事をしたりとその実態は一冊に冊の本ではつかめなように見えてがただのツンデレ

自由とは何か

 本書が前作に比べてもったいないなと思ったのは非常に頭でっかちな構成と、今回はわかりやすく哲学・心理学、環境・情報・統計、アーキテクチャと分野がわかりやすく分類されて掲載されてしまったこと。
 第1章ではひたすら自由とは何か、自由意志とは何か、人の行動に与える重要なファクターは何かと考える作品の訳書解説をつらつらと書いていくのだが、内容が他の章に比べて突飛過ぎて非常に頭でっかちな構成。理解するまでに眉間にしわを寄せ3回深呼吸をして4回文章を読み返す事もあったが、理解できるとバカみたいにおもしろい。

 例えば自由とは何か。その本来の意味・使われ方は「自由を享受できる力」であり、自由の本質とはシミュレーションである。身体には制約があり、相対的に自由な振る舞いはできても、完全な自由は享受できない。人は身体のみで空は飛べない。(いや手術なり肉体改造してやれば…というひねくれた意見ももしかしたら出るかもだがそこまでして空を飛びたいのか、費用対効果的に割が合うのか疑問。)自由の本質は頭の中でのシミュレーションの中にこそある。そう

自由とはシミュレーションのツールである。

 この文章を見ただけで薄学な僕は目からうろこ。相対的に「自由になりたい」と絶対的な「自由になりたい」は全く別の意味合いを持つし、自由を保障するということは思想や思考を制限しないことなのである。

 そしてそれに並べて山形氏が提示してくるのは「自由意志」とは何か。人間はお腹が減ったら「ご飯を食べよう」と考える。これは本人がシミュレーションして選択した自由な意思なのか、それとも胃が食べろと命令して具体的にどうするかを脳が考えただけなのか。だとするとそれは自由意志と呼べるのか。自由意志は何のためにあるのか。行動はいくらでも理由づけできる。実は動物はある関数に従った行動を取る事が実験で明らかになった。人間はそれに当てはまらないのか、など哲学を非常に明快に張り巡らせる。僕らの尊厳のよりどころとなる自由な意思だの思考だのというものをことごとく砕いていく。

環境危機とは何か

 章ごとにしかつながりが見て取れない構成こそが残念なのだが、その分一つ一つの記事は異常に濃い。2章では主に数字を扱う分野の話がつらつらと並べてあり、参考書籍だの参考文献だのがつらつらと並べられ、リテラシー必要だよね。で終わっていく。
 ただ非常に痛快であるのが「地球と一緒に頭も冷やせ! 温暖化問題を問い直す」や「環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態」における話。統計的には温暖化は怒ってるけど微々たるもので、異常気象も統計上ほとんど変わっていない。でも日本では環境商品を売るためにメディアがひたすら煽ってる印象がある。ここで主張されている議論は有名だが、「実際に計算してみると京都議定書に何億何兆もの金がかけられてるけど実際に100年後とかの成果を見てみると、100年後の温暖化が来るのを6年遅らせるだけ。ならその前に発展途上国に水道を引くとか発電所を作るとかすることあるでしょう」というもの。宮台真司氏は環境問題は完全に国際間政治におけるただの代理戦争だ、と断言するし、以前も行ったように環境問題があるとしても実際にテレビでCMされているような行動を取ってもCO2削減とかほとんど改善しないだろう(と言ってもそれを精神論でやってのけてしまう可能性があるところが日本人のすごいところなのだが。)
 この章は想定される反論とそれに対する受け答えばかりが目立ち、この本書いた奴の奇抜さすごいだろう?ちなみに理解したいならこんな本がお勧め。といった話が繰り返されるだけなので、個人的には普通だな、といった印象。

規制を規制せよ

 この章ではほぼレッシグネット規制に対するルールとアーキテクチャをどうするかといった話ばかりが並べられる。情報界隈は非常に身近な話題で、主に著作権クリエイティブコモンズ界隈の話題から、表現規制問題なども扱う。インターネットをどう認識するかという哲学と設計の話に入ってくるため、普通に話は面白いが、LINAXすごいよねとかそこらへんの話で落ち着いてしまっている印象がある。
 ただ面白かったのがこの規制を規制せよという考え方。憲法と同様、インターネットでどこまで自由を規制するかをルールとして議論する必要がある。ある程度規制されない幅があってこそ技術は進歩していくし、一方でそのグレーゾーンを狙った犯罪まがいの迷惑行為を行う人たちもいる。個人的に興味がある分野でいえばDJのMIXCDやダンスの世界なんかはこの問題に直面していて、両方とも音楽を切り張りして表現を作る文化であるはずなのに、MIXCDをDLすると違法ダウンロード、DVDを販売する時に音源をそのまま使うと著作権法違反と業界を維持するのが非常に難しい事態になっている。MIXCDは個人の配信はアウトでyoutubeやニコニコであればOKというある種寡占状態になっていたりと不思議な構造だ。

まとめ

 第一章を読むだけでもこの本を手に取った意義がある。もちろんこの解説されている訳書を手に取る方が有意義で深い教養を得る事ができるだろうが、僕が興味があるのは山形浩生氏自身の問題意識だったりするのでこの本一冊で十分満足であった。また本書で取り上げられている「ウンコな議論」などはたいがい面白いけどけっこうひどい本なので解説読む位でちょうどいい、といったものもある。
 また山形氏の翻訳は山形氏のサイトでも公開されていて読むこともできるのでお金がなければそっちで読むのもよい。ただ、それをちまちま読むよりは本を買ってガッツリ読んだ方が費用対効果も高い事は山形氏本人も主張している。この本一冊だけでなく前作新教養主義宣言とセットで読んでいただきたい一冊。また山形浩生氏の著作に出会ってから寝る間を惜しんで山形氏のサイトにある文章を読みこんだ記憶もある。文章を受け付けない、食わず嫌いは確実に損する。そこらへんの啓蒙書を3日かけて読んでいる暇があるならこの一冊とその周辺を1週間〜一カ月かけて読みこんだ方が、一年後に価値判断のベースとして役立つだろう。