イケダハヤトとロハス

 イケダハヤト氏の影響力の武器が話題になっている。氏とは挨拶したことはないが、同じ空間にいたこともあるし、近しい人もお世話になったことがあるので特に悪口を言うつもりはないし、会った人たちは皆口を揃えて「天然だけれどいい人」と言う。
http://www.hagex.com/pic/2013/0128002.JPG
 僕も今回の記事特に批判する気はないし、いくら叩いても一定割合同じような例が沢山出て来て終わるだけなので多分本当に問題だと思っているのならブログなんぞに書かずに消費者庁が対応してくれるよう動くしかないのだと思う。(僕はそこまで思ってないけれども。)経緯は以下だ

何に言及しようと彼の自由ですけれど、なぜか物言いが自分がさもその道であるかのような上から目線なのが何とも言えない。ネイティブに自己を拡大できる中二病的イノセントさを感じずにはいられない。それが彼の商品価値と言えば、そうなんだろうなぁ。(中略)
イケダハヤト氏の文章はワイドショーとしては面白いんだけど、ドキュメンタリーとして語るべき内容に素人童貞が手を出すから現場で頑張ってる人にすごく反感を買っています。もちろんブログの記事を読んで何かを行動して思わぬ結果が出たことはイケダハヤト氏の責任じゃないけれど、トイレでう●こして流さないまま出て行きやがってみたいな怒りがあるようです。なんにせよ、フリーランスの記事については頭に来て感涙したという報告を受けております。

イケダハヤト氏の文章がなぜ不快なのかをまじめに考えた - GoTheDistance

こういったネット読者によるイケダハヤト氏批判の構造は、「影響力がありそうだ」と批判者が観測しているという話だろうなと私は推測しています。 イケダハヤト氏の文章が嫌だというよりは、イケダハヤト氏の文章に共感する人が多く登場するのが嫌だという感じです。
どういうことかというと、批判者にとってイケダハヤト氏はハーメルンの笛吹きのように映っているのだろうと思います。

イケダハヤト氏批判の構造:Geekなぺーじ

 話はそれるが僕も昔彼に共感はしないけどもっと大きな仕事をしてほしいと応援する意味を込めてこんな記事を書いたことがあるが、pvが少なかったためか相手にすらしてもらえなかった。
ノマドノマドっていうけど経団連のシナリオ通りだからな - 技術教師ブログ
 僕は昔からこの手の問題は、情報の偏りこそが問題なので、偏った情報を元に戻してあげるような情報を与えることしかないと思っている。もちろん時には書き手を指名して批判する過激な芸風が耳目を集めるのに有効なときもあるし、それはある程度知名度がある人のプロレスだと思ってやっているという周囲の理解は欲しい。
 似たようなっていったら不快に思われるかもしれないのだけれど、昔id:kentaroってはてなブロガーがいて、イケダハヤト氏のように本を紹介しては内容を要約し一言添える形のブログでブクマを集め話題になったことがあった。
彼の時は、例えば「どんなに努力しても環境に恵まれない人はいるから配慮してあげましょう」って本を取り上げて「すごい本だった。やはり個人の努力は必要だ」みたいなクソみたいな結論を出すおかしなブログだったため、内容なんてどうでもいいから結論となる一行だけ大事にしたい読者層意外から猛批判をうけてブログを閉じた。
 いまだに彼や同じ派閥らしきブログを発見したと言う報告もちらほら見るが、何にせよ学問の本をライフスタイルの本です!といって紹介する芸風はどこかで語り継がれるのだと思う。
 そしてそれは何に則ったかと言うと実はマーケティングの手法なんだよね。最近、途中まで読んで放置していたもろにイケダハヤト氏信者の人たちについて書いた本を読み直していたのだけれど、こんな一節があった。

 ちょっと前に流行ったロハスと言う言葉がありました。これは「life style of health and sustainability」の頭文字を取った言葉で、アメリカのマーケッターと社会学者が一緒になって作った、マーケティングの用語です。
 要は健康で持続可能な生活を送るために、高い野菜でも厭わずに買う裕福層がいると言うことから、彼らのライフスタイルに見合った、健康的で身体にいいもの、ナチュラルでスタイリッシュなものを作れば売れますよと言う話です。あくまでも消費の側に立ったマーケティングの概念なので、エココンシャスではあっても環境の持続可能性とはあまり関係ないものなんですね。しかし日本ではこれが環境保護と同じような意味合いの言葉として定着し、広まっていきました。
 一方で、スローフードと言うイタリアの地域の食文化を守ろうと言う運動が90年代以降盛り上がり、(中略)日本でも知られるようになりました。スローフードの場合は、伝統的な農業や食品加工のあり方を、グローバル起業に撚る食文化の侵蝕から守っていこうと言う政治運動なのですが、これは逆に中流層、裕福層のライフスタイルに結びついた消費のあり方として喧伝されていきました。
 どちらの言葉も、あべこべな形で輸入され流通していったんです。
 エコをブランディングの一環としてくっつけて売り出された製品を買うことと、持続可能性を考慮して作られた製品を買うことでは、その意味合いは全く違うはずですが、日本においてはロハススローフードも、エコと言う同じボックするに入れられてしまったんです。
もちろん消費者一人一人は、ほんとに環境保護に参加したいと思って、消費活動をしているのかもしれません。けれども、結果的にそれが個人をターゲットにしたマーケティングの戦略になってしまいました。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4799310836/buildinordebu-22/ref=nosim/

 またこのあとも、環境に悪いもの作っても植林してたらいいみたいな話になっていて、チェックのはなしになってないじゃんというツッコミと、エコならモテる、見たいな価値観が「かっこいい車に乗ればモテる」と同じように働いている、という指摘が続きますが、この辺りの下りは非常に面白いのでぜひ本書を手に取って読んでいただきたい。
 つまりマーケティング用語に、それは科学的じゃねーだろ!って突っ込んでも、何言ってるのこの人たち、みたいな感じになってしまう。SF魔法映画に科学的じゃない!ってツッコミをしてしまうひとみたいな感じになってしまう。信じてやって見たらうまく行きました、って言ったブログばかりが注目される。人は信じたい情報を集めるバイアスとかカラーバス効果いう心理効果が働く。
 もしくは必要なのは成果チェックであり、検証したら騙された!という記事は面白い。面白いが元記事の言葉を使って検証しようとすると正確な検証が出来ないから大きく空振りしてしまう。だってマーケティング用語だもん。
 マーケティングの仕事は新しい欲望(desire)を喚起することであって、それが科学的であるかどうかは関係ない。もちろん霊感商法のような極端に再現性のないものは問題だが、フックをかけ心理を参照させるマーケティングはやはり人が食いつく。一歩間違えればカルト宗教の使う手法と酷似してしまうので自覚は必要だけれども。
 昔からこのマーケティングvs正確さ(再現性)議論は様々なパターンがあったし、マーケティングなんて目立ってなんぼだからあいつ中身ないしビジョンも貧弱なくせにイキりやがって、みたいなツッコミをしたところで、バキュームカーに変な臭い出しやがって、というツッコミをするようなもので、本人が自覚的であろうがなかろうがそれが仕事だから仕方がない、のである。
 むしろいまだにブログのような目立つところでマーケティング目的で一生懸命考え方を変えてがんばろうぜってメッセージを送るのは良心的な方で、おかしいところ正しいところ周囲が指摘してバランスを取って来た。しかし昔からネットの表に出てこないような情報商材サイトで5000円〜数万円の内容のない商材を売りつける商売がえんえんと繰り返されて来た。
酷いときはモテて意識を変えよう、と800円で買えるモテ本の内容の要約を9800円で「彼女を100%落とせる人心掌握術」みたいなタイトルを付けて売りつけるような話もある。
 彼の役割は欲望を刺激して経済を回す所だからビジネスクラスタに持ち上げられるのだし、啓発的な内容にしても、気を持ち直すことは短期的な解決にはなりうる。ただ問題自体が解決する訳ではないのである程度科学的な(再現性の高い)解決手段の提示の方が長期的には有効なのだけれど。それは彼に違和感を持っているブロガーの皆さんの役割じゃなかろうか。
 以前の記事で書いた若者達が行き着く先こそがイケダハヤト氏なのであり、radwimpsみたいなもんだ。それをマッチョ論で切り捨てるのでなく、適切な方法やシステムの改善もイケハヤ批判と同時に展開していかなければ意味がない。駆け込み寺が無くなったらノタレ死ぬで。
 話してみると、新しいライフスタイルを批判する一方でマッチョ論で駆け込みたい人たちを増産している人たちも多々いる。そんなん新しいライフスタイル派のひとたちと共謀してるんと同じやで。
 さ、わかったら皆さん仕事仕事。これからも変わらず生暖かい目でネットヲッチしながら実況をおもしろおかしく書き続けましょう。

年収150万円で僕らは自由に生きていく (星海社新書)
イケダ ハヤト
講談社
売り上げランキング: 4,664