今年もあと1ヶ月、2016年のうちに目を通しておきたい本11冊

 ということで今年見つけた本を紹介。いろいろ面白い本からおかしな本までバリエーション豊かに出版された年でした。コミックもまとめたいけどまた今度。

〈オールカラー版〉 魚はエロい (光文社新書)
瓜生 知史
光文社 (2016-08-17)
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タイトル勝ちな上に、内容もガチで、魚の生態と性態を紹介する本。エロい。

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今後も個人個人の活躍は変わらないのにSMAPが解散するとなぜ問題なのか

 国民的アイドルグループSMAPが突如解散を発表し、オリンピック中継中のNHKですら速報を出すレベルでニュースになった。
芸能記者たちはみんな気づいていたらしく、ほら年始の騒動の時に言ったろ、予言した通りだったろ、と言わんばかりの態度で連日記事をどんどん上げている。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/15/kiji/K20160815013170810.html
しかし、冠番組が減るとはいえ個人個人がメディアに出続けることには変わりはない。では解散の何が問題なのか。

ジャニーズにはグループそれぞれにファミリーと呼ばれるファンクラブへの入会の是非を問わない応援団が存在するという。その大半は女性で、彼女らはライブチケットを取ってグループで見に行くという習性を持つ。その中で、私は誰が好きだ、というのを担当と呼ぶ。例えば嵐のファンであれば、私は櫻井担、私はニノ担、といった具合にアイデンティティを持つ。そうして担当かぶりしないようにしながらグループの応援を続ける。小学校や中学校でもこの現象は変わらず、本当は松潤が好きなのに中心的な子がその担当であるから、仲間外れにされないよう自分は別の担当をやっていた、といった話もある。

ジャニーズのグループを好きでいること、はファンにとっては仲間をつなぎとめる鎖やアイデンティティとして機能する。遠方からオフ会をするノリでライブに集まって今日のライブの何が良かった、と語り合って帰る、という文化はいまやジャニーズだけにとどまらずいろんなアーティストに見られるが、SMAPが活躍をはじめた時代から、彼らは音楽市場を大きく拡大しながらファン文化の浸透に貢献したと言って良いだろう。

また、男性アイドルや韓流アイドルのファンの間では最初は担当と言いながら、徐々にメンバー同士の関係性を楽しむようになっていく「関係性消費」の傾向が見て取れる。BLを読む心理に近いのであるが、とくに恋愛要素がなくても問題はない。

例えばハワイロケでメンバーのうち二人がお出かけするだけの、何の盛り上がりもない映像がDVD化され爆発的に売れていく。ただクネクネするだけでファンたちは楽しめるのであり、この辺はモー娘。のまーどぅーのようなCP(カップリング)の方が壁ドンやアゴクイをしている分過激かもしれない。

このグループのあの二人は楽屋で仲がいい、このグループのあの二人が全く会話をしないけれど実はおなじスイーツを分け合って食べるくらい仲良し、あの二人がライブ中によくアイコンタクトをしている、などその瞬間を見るためだけにライブに行くファンもいるという。今回のSMAP解散についても、香取と草なぎが結婚するからだ、などという飛ばし記事が出たくらいである。SMAPのライブや楽曲は今後も聞けるとはいえSMAPとしてライブが行えなくなると、そうした楽しみを消費する機会が極端に減ってしまうのである。

それぞれ事務所は違うけど同じグループに所属して歌っているAKBのような事例もあるので、歌番組で今後共演が全くない、といったことはないと思われるものの、不仲や事務所NGによってメンバーのうち特定の二人が共演NGといった話は浮上してくるかもしれない。(それはそれで関係性消費の材料にはなるのであるが。)紅白で有終の美を飾って欲しいという声もあるし、ジャニーズという規制がなくなった分個人個人は活躍の幅が増える可能性も十分にある。今後も定期的に交流している写真や映像を出してファンを楽しませて欲しい。

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二階堂ふみの強烈にして官能的な濡れ場-メディア評-映画「蜜のあわれ」

 公開初日に鑑賞。軽妙、怪奇、官能。コミカル、ホラー、エキゾチック。なぜか人間になってしまった金魚と年老いた小説家の織りなすパラノイア恋愛もの、ザ、文学作品。金魚役の二階堂ふみ、日々ロックより可愛かった…。

http://mitsunoaware.com/comment/img/still.jpg

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Googleに生理周期を把握されてパーソナライズド広告が表示される未来

 FBで毎週のようにイベントを企画していて気付いたのだが、いつもイベントに招待しているのをスルーしているのに、なぜか自分が招待したイベントに対する不参加ボタンが同一人物から連続で押されることがある。

 感情の起伏が激しい女性で、機嫌が悪い時にFBに対して「いかねーわ!」と叫びながら不参加ボタンを押しているのだろうか、という雑談をしていたら、イベントの参加状況を見るだけで他人の生理周期を把握できるイベント主催者ってキモすごい、みたいな話になった。僕は別にその人がイベントに来ないのは機嫌が悪いからだろうな、という言い訳をしただけなのだけれども。

 よくよく考えれば、僕ですらそう言った行動パターンから身体の周期(バイオリズム)や感情の起伏の周期がわかってしまうのだから、アルゴリズムを組めばより細かくそう言った周期が把握できるのではないかということは容易に想像がつく。

 FB一つとっても、投稿に頻出する単語やシェアするブログや写真の質が変わったり、天気や気圧の変化によっても投稿の空気が変わる。

 そうした事例を個人のデータベースに集積すれば簡単にダウナーな時期やアッパーな時期がわかるわけで、その時期にクリックしそうな広告を出せばコンバージョンが上がる可能性がある。少なくともダウナーな投稿をしている人に転職の広告を出すようなアルゴリズムはすでに実装されている。googleで死にたいとか検索すると相談室の電話番号が表示される。多分生理周期の把握に近い実装もされてるし、最近は男にも生理周期に近い浮き沈みがあるという研究が幾つか報告されている。

 身体の状況をコンピュータデバイスやクラウドデータベースが管理する時代はディストピアなのかユートピアなのか、少なくとも日本はそれが商業に乗れば正義という国なので、ネットにおいて自分の身は自分で守るしかないという教訓しか今は出せない。

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消えたストリートの社会学-メディア評-映画「バケモノの子」

 なぜ人はバケモノにすら承認を求めようとするのか。この映画ではバケモノたちが排除された存在でなく、人間(日本人)との住み分けを進めた異文化のコミュニティの象徴として描かれる。バケモノたちには心の闇がない。バケモノたちには武器がある。
 暗殺教室の紹介の時にも書いた、リフテクティブな存在の不在、心理的欠損の充足をテーマにした王道に王道を重ねた映画。しかし映画に描かれる90年代のトラウマとしての「キレる若者」「機能不全家族」「宗教とテロ」といったモチーフを踏襲しながらも家族は多重であってもよいのではないか、親は子供の武器になるのではないか、人はトラック(進むべき道)から落ちて大きく外れてしまっても、もう一度這い上がれるのではないか、といった斬新なメッセージがちりばめられた快作であった。広瀬すずの声の未熟さは気になったものの、可愛いから許す。以下ネタバレあり。

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奇跡の嫌悪感ゼロ映画-メディア評-映画「海街diary」

 久々に映画館で作品を見たけど、これほど癒し系の作品みたことない。綾瀬はるか長澤まさみ夏帆広瀬すずが四姉妹として湘南で生活するだけの作品。梅酒つけたりたまに山から叫んでみたり男に遊ばれたり。長澤まさみのびっち役も板についてきた感がある。

http://umimachi.gaga.ne.jp/assets/img/top/main.jpg
映画『海街diary』公式サイト | 大ヒット上映中

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オタクになろうとするヤンキーと、ヤンキー化する秋葉原-いまさらC84レポート-

 今更で申し訳ないが、気鋭の新人アーティスト、水曜日のカンパネラのボーカルを案内するためにC84 3日目に参加して来た。
 今回は3日間で59万人と過去最高の来場者数を達成し、また別の層を取り込みつつ市場は大きくなりつつあるのではないかと感じさせる。
 前回から変わったところと言えば、子連れや中学生や女子小学生だけの来場者が散見されたこと。もちろんアダルトじゃないブースもあるので特に批判するつもりも無い。
 それから気づいたこととしては、コスプレイヤーにちゃんと付き人がついていること、マネージャーか,専属カメラマンなのか、きわどいコスプレのお姉さんと一緒に行動しているのを記憶に残るほど見かけたのははじめてだった。
 オタクマーケットが徐々に参加型にシフトしてかなりの時間が経ち、マーケットは成熟し、オタク(コミュニティ)はヤンキーを越えた。もはやココにいるのはリア充よりリア充なオタク達だ。

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やる気のなさって、その国の経済的成熟の指標じゃないの??

 こそっと水面下で日本のやる気が問題になっていた。

 日本企業の社員の「やる気」は世界最低だという。これは、アメリカの人事コンサルティング会社KeneXa High Performance Institute(以下、ケネクサ)の調査による「事実」である。

 正確に言えば、ケネクサの調査は「従業員エンゲージメント」についての調査で、28ヵ国の社員100名以上の企業・団体に所属する社員(フルタイムの従業員)を対象に行なわれた。サンプル数は約3万3000名。ケネクサが定義する「従業員エンゲージメント」とは「組織の成功に貢献しようとするモチベーションの高さ、そして組織の目標を達成するための重要なタスク遂行のために自分で努力しようとする意思の大きさ」ということで、要するに「仕事に対するやる気」である。

 この「従業員エンゲージメント指数」、世界最高はインドで77%。以下、デンマーク67%、メキシコ63%と続く。他の主要国では、アメリカが59%で5位。中国57%、ブラジル55%、ロシア48%など。イギリス、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ先進国も40%台後半で弱い。韓国は40%でブービー賞。日本が31%でダントツの最下位である。というわけで、日本の社員のやる気は世界最低という次第である。

 実は僕自身も90年代後半くらいから、日本企業の社員のやる気、仕事へのモチベーションがどんどん下がってきたと実感していた。

世界でダントツ最下位!日本企業の社員のやる気はなぜこんなに低いのか? | 社会貢献でメシを食う。NEXT 竹井善昭 | ダイヤモンド・オンライン

ワシントンDCに拠点をおく世論調査会社、ギャラップ社が10月8日に発表した大規模な調査結果(“State of the Global Workplace”)によると、世界中で、意欲も積極性も持たず、他人の足を引っ張る従業員は、仕事に愛着があり、意欲を持っている従業員の倍も存在すると分かった。
(中略)
「意欲がない」「意欲を持とうとしない」を合わせると、世界の労働者の87%に達する。ギャラップ社の調査はこうした人々を「気持ちが職場から離れていて、生産的であろうとしない」とみる。言い換えると、世界の労働者の9割近くにとって、仕事は達成感ではなくフラストレーションの源になっている。これは、ほとんどの職場は本来もっている能力よりも生産性が高くなく、安全でもなく、雇用者は新しい仕事を作り出せずにいることを意味する。
(中略)
仕事をするうえで幸せを感じる意欲ある従業員の割合が最低だったのは東アジア地域で、全体でわずか6%となった。この数字は中国の結果でもあり、中国では、仕事で幸せだと感じる従業員がわずか6%だった。約68%は仕事から気持ちが離れていて、26%はひどく不幸だとしている。

 日本の結果にも筆者は驚いた。日本にはもっと幸せを感じている従業員が多いのではないかと考えていたが、結果は7%。中国をわずか1ポイント上回っただけとなった。69%は意欲がなく、24%は仕事が嫌いだった。
(中略)
 中南米では、経済規模が最大のブラジルが最も幸せで意欲的な従業員が多かった。驚くことに、27%が意欲があり積極的に取り組んでいる。しかし、62%は意欲がなく、12%は仕事が嫌いという結果だった。
(中略)
 この結果をどう考えるべきだろうか。ギャラップ社は120ページにわたり、多くのアイデアを紹介している。多様な手法でデータ分析しているが、多くは驚くものではない。教育水準の高い従業員は、教育水準の低い従業員より幸せだとする割合が高い、といった具合だ。

意欲なく仕事嫌いな従業員9割も 世界23万人調査 :日本経済新聞

 経営者系の人達が何かいいたそうにごにょごにょしていた。日本の特徴として、平均的な学力が世界一である一方で、人を評価する能力と言うものがメディアによりすごく偏った形になっている。心理学的には自己奉仕バイアスといって、うまく行ったのは自分のおかげ、失敗したのは他人のせい、といった、環境要因と心理要因を使い分ける傾向を見て取ることができる。日本の場合、契機の気は気分の気、などとワイドショーで文化人が連呼し、経済がうまく回らないのは気の持ちようの問題だ、と問題を矮小化する傾向が見て取れる。疲れやすさが勤勉性を示すように、やる気の無さも、報われない社会=経済的発展の停滞≒もう十分成熟しているというのを指摘しているのではないか。
元の調査はこちら
http://www.gallup.com/strategicconsulting/164735/state-global-workplace.aspx
Q12と呼ばれる12個の質問項目を聞くもので、

①自分が何を期待されているかを知っている
②必要な材料(情報)や道具を与えられている
③もっとも得意なことをする機会を与えられている
④良い仕事を認められ,褒められている
⑤誰かが気にかけてくれている
⑥誰かが成長を促してくれる
⑦自分の意見が尊重されている
⑧会社・仕事の使命・目的が重要だ
⑨同僚が真剣に質の高い仕事をしようとしている
⑩職場に親友がいる
⑪誰かが私は進歩したと言ってくれた
⑫仕事について学び、成長する機会がある

◆ギャラップQ12・・・これが答えだ! : クオリアの風景

 ほら、これって仕事へのやる気ではなく、職場のコミュニケーションや自由度を測る質問じゃないの??

報われない社会ならではの、心理主義への傾倒

 意識調査は意識調査で重要なのであるが、それが全てを物語ると解釈してはいけない。
 人間が一番測り間違いやすいものは、「感情」と「性格」だと考える。我々はこれらを当然のように語り、占い、共感するのだけれど、この当然さほど胡散臭いものはない。感情や価値判断に基づいた共感は人を操るために使われると、このブログではさんざん唱えて来た。
 まず、「感情」は物語の中でしか語り得ない。代表的な感情として、<喜怒哀楽>とあるけれど、それは物語の中で行動の理由として使われる道具でしかない。「殴ったのは怒ったからだ」、「泣いたのは嬉しかったからだ。」と。感情や性格という心理とよばれる言葉を使うことで、人間の行動に対していくらでも理由付けが可能だ。人々はこれに納得するように訓練を積んで来た。
 だけれど現実ではうまく言葉にできない感情がいろんな場面で噴出する。プレッシャーの中気合いを入れて準備していた発表会が延期になったときのあの開放感と喪失感。好きな子とデートをして見送った後の嬉しいような寂しいようなアンニュイな感情。
 そして最も自覚すべきは<感情>と行動や結果は、一致しないことの方が多いことである。
 顔で笑って心で泣くこともあるし、無表情で喜ぶこともある。新しい仕事に対して気合いを入れ直そうが普段通りこなそうが、やる仕事の内容は変わらない。高校野球をテレビ越しに応援しようがしまいがそれが物理的にリアルタイムに彼らに伝わることは無いし、活躍っぷりは変わらないだろう。だけれど人はなぜか失敗したら心理状態のせい、成功したら環境のせいにしようとしたがる。人の形をしているものは気持ちが伝わると考え、気持ちが伝われば全てはうまく流れ出すと思っている。

 性格となんだろうか?性格と言うのは、その人の心理と行動のパターンの傾向のことである。怒るとこうする、悲しいとこうする、嬉しいとこうする、といった一連の感情ー反応を物語としてヒモづけたものの総体である。笑いやすい人、泣きやすい人、マメな人、厳しい人。それらは外部の環境:刺激とヒモづけられるものである。泣きやすい人には、泣ける音楽、泣ける場面、泣けるパターンがなんとなく存在するんだろうな、というのは誰しも想像がつくだろう。
 けれど、<客観的>な「性格」等と言うものは存在するのだろうか。全く同じ言葉を投げかけても、時と場合によって反応は変わる。どんなに暑がりな人間でも、冬の北海道でかき氷を食べたいとは言わない。いろんな場面で何度同じ言葉をかけても毎回泣く人間はロボットか病気なんじゃないかと思ってしまう。こうした例外がほとんどない性質、というのが「客観性」である。
 人の性格として代表的な、面白い人、優しい人、のような基準はどこから来るのか。これも相対的なもので、自分の想定する平均的な人間A君と比べて優しい、面白い、と言ったものでしかない。ある小学生が、1週間練習しても覚えられない九九を、がんばったからといって許す先生と、ちゃんと全部言えないとダメ、と繰り返し課題を出す先生と、どちらが優しいのだろうか。その日単位で見ると出来なかったことを許す先生の方が優しいが、2~30年単位で見れば明らかに厳しい先生の方が子どものことを考えている。想定している期間によっても、その判断は揺らぐ。優しさの基準なんてそう言う意味で曖昧だ。短期的に見れば大人はうるさい、うざい存在だけれど、長期的にみてそれを優しさだ、と思えるかどうか、これは反抗期の経験に左右されるし、反抗期を得ない若者は教条的、刹那的な思考・結論に埋まって行く。

 こうした<性格>はその人を分析した人の<なか>に存在する。追求すればするほど、「性格」の意味は「俺からみたお前の感情の傾向」に収束する。つまり、おまえはこういう行動をしがちだからこういう性格だ、は成り立つが、お前はこういう性格だから、こういう行動をする、は成り立たないし、天気予報ぐらいの意味しか持たない。
 確証バイアスと言って、あなたはこういう性格だと言われたとき、「言われてみればそうかも!!」と当てはまる事例を脳みそがかってにサーチしてくれる機能がある。実際は当てはまらない事例も同等かそれ以上に存在する。最近ちょっとショックなことあったでしょ?とか最近嬉しいことあったでしょ?と言われればたいてい思いつくのと同じである。
 感情は、考えてみればわかるが、正反対に思える「嬉しい」と「悲しい」が同時に発生することもあるし、性格も、強い人でも弱気になることも、その逆もある。つねに起伏があり、同時に存在し、基準も人それぞれ、非常に不安定で瞬間的なものである。しかしそれがあたかも常に存在し、誰しもが同じ刺激を与えれば同じ反応(感情)が帰ってくるかのように語られることがある。例えば「幸福度」だったり、「泣ける映画」だったり、「自分が変われば世界が変わる」みたいな標語だったり。
 人は心理によって簡単に判断を誤るし、それを人間性だ、みたいな詩的な言葉につつんで正当化しようとしたがる。
 心理を目標におてしまうと、それが行動を規制する力となり、人格統制の装置として作用してしまう危険性もある。授業は楽しい方がいい、と作った授業では、笑わない生徒は指導対象となる。「泣ける映画」をみて泣けないのは人間性や人生経験が不足している、と言われる。やる気を目標に定めた会社では、やる気の無い奴は社員失格と言われる。その人が何にコミットするかなんてその人が決めればいいじゃん。やる気がなくても仕事できる奴もいるし、やる気があっても仕事できない奴や、教育を変える!とか言いながら、訓練や勉強しない奴を山ほどみて来た。
 それから大学の二次試験が廃止されて面接で「人間力」を測るなどという報道も出たけれど、結局「女子力」が男性に都合の良い力であるように、「人間力」も面接官に都合のよい力でしかない。もしくはどんなに勉強しなくても、どんなに性格が悪くても、”ポジティブな感情を引き出させる刺激”を面接官に与えるのが上手な人間が合格して行く。高卒大卒程度の人間に、その刺激の引き出しが何十何百パターンも存在するとは思えない。同じような話をされ、同じ刺激を与え続けられると、反応である感情の起伏は小さくなって行くので、後に面接する人間の方が不利になる。企業の人事達はこれを経験してか、最近の若者は画一化している、等と口を揃えて言ってきたではないか。
 心理が充足されればうまく行くと思ってはいけない。自己啓発のように、自分のなかでこうありたい!というマイルールを宣言するのはかまわないが、それを他人に押し付けるのにみんなが違和感を持つのはこうした心理主義からくるものだ。気持ちを変えれば全てうまく行く=心理主義であり、400年前とかから批判されているらしい。心理主義を許してしまうとパンとサーカスのみで生きる社会をつくることになる。そこに実存は存在しないし、実存を追求するスポーツ選手やアイドルをみてエンターテイメントとして楽しむだけの社会が到来する。心理的欠損を自覚しようとし、それを埋めるために走り回るカーニヴァル化する社会
鈴木謙介)がやってくる。心理を目標にしてはいけない。心理を正確にはかれると思ってはいけない。

報われない社会というのは、心理でなく制度の問題。

普通に若い人でも気づいてるぽよ。
自分はどんなに努力しても、これから先給料は上がらないだろうってことに。
努力で給料は上がりますか?
上がりませんよね?
じゃあ努力を強いるのはやめてくださいよ、一応頑張りますけどね?
残業します、はい、はい。
みたいな。
若さで突っ走るみたいな、そういうのあんまりないよね。
あっても最初だけ。


もうそれで病めちゃう人、多い。
だって頑張っても給料上がらないのに、嫌な上司と毎日顔あわせなきゃいけないぽよ。
残業もしなくちゃいけないんだぽよ。
夢も希望もないぽよ。
我慢して、我慢して、我慢して、鬱になるぽよ。
それで会社辞めちゃう人、多い。
そしてニート、フリーター化する人って割と多い。
(わるちゃん周辺調べ)

http://geriharawatako.hatenablog.com/entry/2013/10/30/%E3%80%8C%E5%8A%AA%E5%8A%9B%E3%81%8C%E5%A0%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%80%8C%E8%AB%A6%E3%82%81%E3%81%AE%E5%85%88%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B

 全くその通りである。これが社員のやる気を下げている原因としては最も大きい。やる気があろうと無かろうと仕事をすれば同じ給料がもらえるのであれば、みなそこまで張り切ることはないだろう。勉強しても報われない、努力しても報われない社会制度の指標としてしか、この「やる気」というものは存在しない。
 まず報われると言うのは金銭的な問題を指している。単純化してお話すため漏れも多いが、社会人の大半が働けば働くだけ成果が出るわけでもなければ、成果に応じて昇進や昇給が決まる訳ではない。もっというと成果よりもコミュニケーションがうまい人が評価され(るように見えるし)、評価のためには成果につながる正しさより評価権を持つ上司の正しさを優先することもしばしば。勉強しても報われないと言うのはそう言う意味である。(断っておくが制度として完全な成果主義にしろという意図ではない)。
 かつてはそうやって学歴と収入と昇進が相関した時代があった。80年代は教育の黄金期と言われている(広田照幸)。
日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書 (1448))
 殴られようが叱られようが罵倒されようがそれは全て激励として機能し、踏ん張りがんばれば収入が増え、家族は楽な生活が出来、町並みや風景が劇的に変化し、自分たちがそれを作り上げ豊かな社会を作っていると言う効力を感じれる時代であった。バブル崩壊後、平均年収は減り、正規雇用者数が減り、労働力はダンプ(賃金が圧縮)されてきた。今度は真面目に働き続けても20年後年金がもらえるかもわからない。若者一人で高齢者4人を支える時代が来るかもしれないと言われ、競争が激化し、よい福祉を得るためにはお金が必要な時代になってしまった。念のためと言う人が増えたからこそアレだけ保険のCMが増える訳である。
 そんななか、お前は使えない奴だ!と尻を鞭で打とうが、お前はいいところあるじゃないかやればできるだろうもっとがんばれ!!と褒めようが、そのモチベートは空振りに終わることとなる。
 「がんばったけど、給料があがらなかった、でもそれは自分のためになった辛いけどいいんだやりがいのある仕事だったし、上司喜んでくれたし、明日もがんばろう」
 そうして努力や成果に応じた適切な報酬を与えず(自己)承認だけ与えることを教育(社会学)業界では「やりがいの搾取」という。最近はそう言う意味で褒める上司や先生も増えているはずである。褒めればちゃんと仕事をしてくれる若者は短期的に大人にとって都合がよい。そう言う若者を育てたと言うのも聞こえがよい。アルバイトなども時給50円しか上がらないのに店長候補にして、後は少々の褒め言葉と責任感を与えて正社員と同じ仕事を与えられる時代である。しごきもやりがいの搾取も構造的には同一線上の問題になってしまう。
 これは構造的立体的問題であって面の問題ではない。そう言う側面もあるよね、で片付けられる問題ではない。教育やコミュニケーションをいくら批判してもこれらの問題は解決しない。学校教員はこの社会背景から教科専門性だけでなくコーチング等のメンタルケアまでまかされることになった。一部の教員は昔から行っていたことではあるけれど、それがのれんに腕押しな時代になってしまったと感じている。それこそ報われない市場にモチベーションの高い学生を送り出すと言うのは、戦争に行かせるために兵士を育てる位の残酷さである。研修は成果の出る方法を教えなければならない、教育は社会と連動して報われない社会を打破するための、新しい人材を生み出す必要がある。(そしてその人物を生み出すために犠牲になるような人物を生み出さないよう配慮する必要がある)。そうしなければ、ゼロサムな利益を奪いあう組織が出来てしまう。社員が足を引っ張るのは組織がインセンティブを共有してないと言う制度的な原因にほぼ収束される。経済を回すためには無駄を作らねばならない。経済的な人間として振る舞うには無駄を消費しなければならない。

漁師とMBA

 何度もいうが、努力すればするだけ年収が上がり昇進が見込め、自分と家族が豊かな生活が出来るならみなやる気を出すのだ。発展途上国でそういったビジネスが許された人達は目を輝かせて身を粉にして働く。職場には自由度が無いし成果ばかりを求められるしそれでも消費は十分だと思っている人達が多い国≒成熟した国で、やる気を出すのは偏にコンサルが自分の仕事を売り込むための宣伝のための餌でしかない。最後にはたらくとはなにか、経済成長について考える材料となる有名なコピペを貼って終わろう。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。
旅行者が「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと漁師は、
自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

FBで犬猫の殺処分数がやべえ!って回ってきたので調べたらこの30年で約15%に減ってたんだけれども

犬猫の殺処分数に関して(なぜか犬猫だけ)環境省が統計を取っているのだけれど、昭和59年度に犬猫あわせて111.4万頭だった殺処分数は平成23年度には17.5万頭に。単純計算で約84%減ったことになる。
参考:http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/statistics/files/h23_dog-cat3.pdf
20130818141205
元の文章にはこう書かれていた

保健所の持ち込み数が多いのです。

持ち込みが減らないのです。

安楽死なんかありません。

おしっこを垂れ、嘔吐し、苦しみながら

死んでいくのです。

死に切れなかった子は、生きたまま

焼かれるのですよ。

それでも貴方は保健所へ連れていきますか?

持ち込まなければ、こんな死に方を

しなくても済むのです。

Facebook

 そもそも僕が小学生のころから動物愛護団体がこいろんな働きかけをしていて、保健所などの動物を持ち込み預かり殺処分する場所は過剰に監視が行われているためそんな残虐なことができるわけがない。
 また環境省からも「動物の愛護及び管理に関する法律」を元に

殺処分動物の殺処分方法は、化学的又は物理的方法により、できる限り殺処分動物に苦痛を与えない方法を用いて当該動物を意識の喪失状態にし、心機能又は肺機能を非可逆的に停止させる方法によるほか、社会的に容認されている通常の方法によること。

環境省_動物の適正な取扱いに関する基準等 [動物の愛護と適切な管理]

という指針を出している。
引き取り数に対しても犬、猫ともに半分以下に激減している
参考:環境省_統計資料 「犬・猫の引取り及び負傷動物の収容状況」 [動物の愛護と適切な管理]の一番下の表を参照
都内でも取り扱い数は統計上減っている
参考:動物取扱数の推移 東京都福祉保健局
もちろん殺処分される動物たちがまだ毎年20万程度いることは悲劇だろうし、だからといって野放しにして害獣となって石を投げられつづけたり車に引かれるのも問題だろう。少なくとも統計上は虐殺と呼ばれる類の殺処分もやむをえない事情で引き取ってもらう件数も減っている様子だし、それらは動物愛好家たちが一生懸命啓発を続けてきた結果としてちゃんと受け止めるべきだ。一方で内閣府の意識調査によると避妊手術などをしていない割合が60%を越える。世帯における人数が減っている昨今、ペットも家族として大事な役割を持っている。どう共生するかはいろんな意見があるだろう。
http://www8.cao.go.jp/survey/h22/h22-doubutu/index.html
また、本題に戻るがどうやらこのフェイスブックページ、元情報を調べることを知らないけど正義感がある層に訴えかけて、有料メルマガへ誘導するサイトの様子。この手の情報が回ってきたら注意喚起してほしいし、この手のページをどうにか取り締まれないものか悩ましい。

むしろアニマルホーダーに注意

環境省が犬猫の飼育についてパンフレットを出し、その中で指摘しているのがアニマルホーダー(劣悪多頭飼育)である。

米国では劣悪多頭飼育者のことを、アニマルホーダーと呼ぶ。「ホーダー」はごみや物を捨
てられずに集めてしまう精神的病理のある人に対して使われる専門用語であり、これが劣
悪多頭飼育者に当てはめられ、アニマルホーダー(以下ホーダー)と呼ぶようになった。

環境省_平成21年度 動物の遺棄・虐待事例等調査報告書

実際にあったことはないが、SNSで殺処分されそうな犬猫を正義感から引き取りにいき、それを繰り返し異常な密度の中動物たちを飼育している事例があるときく。動物愛好家たちのブログを見てもひそかに危険視されている様子だ。動物を飼う余裕も経済的余裕に左右される。近所で動物の虐待事例を見つけたら、ぜひ市町村の役場にでも知らせてあげてほしい。
 また、動物実験の世界でも、普通に手足を拘束したり切り落としたマウスが条件を変えて何秒で溺死するか、などの実験が行われているらしい。平然と学会や研究会などで涼しい顔で発表する姿は今でも見られるという。監視が効かず、実験室という特殊な環境下での論理に従ってしまう分、こちらのほうが取締りが難しい。

「絆」はあなたになにをもたらすか、あるいはなぜ転職したい人は現れるのか-書評-パーソナルネットワーク

 すらすらよめてかなり面白い。震災後に「絆」という言葉が流行し、人とのつながりはどうあるべきかという議論が盛り上がり、仲間とは何か、親友とは何かなど、誰しもが関係について悩んだことはあるはずだ。そして本書はそれが何であるかはわからないが、人と人とのつながりにはちゃんと作用副作用があることが研究の世界で数値的に実証されていることを示してくれる。ソーシャルキャピタルからSNS,マルチレベルマーケティングまで、学術と経験を交えて著者のノウハウと魂がこめられた一冊。

 本書はネットワーク研究の今とこれからをつづった初心者向けの本。(文系教科であったという意味で)社会科学でありながら数理統計なども応用せねばならず、難しい領域であるはずのネットワーク研究を初心者向けに解説している。基礎や考え方、倫理や限界や研究方法の暗黙知(の一部)、これからのネットワーク研究についての希望までしっかりと書いてある良著。多くの人間の思考や決定は個の傾向を分析するだけではわからず、周囲の人間との関係やつながり方、職場の雰囲気や流動性などさまざまなパラメータによるダイナミックなものだし、そういったネットワークをベースにした分析に本書は解像度を与えてくれる。

ネットワーク研究でなにがわかるか。

例えば本書第3章では実際にネットワーク研究を行ってわかった面白い例を5つ紹介している。そのうち2つを紹介しよう

3年でやめる若者の転職しやすさ

 若者が就職後3年以内に3割(大卒)が離職する現象がここ10数年ほど続いている。著者はネット調査を利用し22〜29歳の若者で、転職希望者と非希望者計1000人にアンケート調査をし、若者が強い紐帯を好む結束型か弱い紐帯を好む橋渡し型かどうか、上司が結束型か橋渡し型かを判別できるようにし、分類して傾向を調査した。結果は以下だ。

上司結束 上司橋渡し
本人結束 △高職場満足、人間関係悩む、転職意向低い ×低職場満足、人間関係悩む、転職意向強い
本人橋渡し ◎高職場満足、人間関係悩まず、転職意向低い ○中職場満足、人間関係悩まず、転職意向弱い

こうして実はコミットメントや結束を求めてくる上司はうっとおしいかと思いきや意外と働きやすい、という結果が出た。一方橋渡し型の(要はいろんなコミュニティを飛び回るタイプ?の)上司と結束型の若者では相性が悪く、(すべての若者が辞めたいわけではないが)転職希望率は高まる。離職する若者は個人主義で職場適応能力が高いかと思われていたが、研究の結果で見る限りは職場に帰属意識を持ちたい若者ほど転職希望率が高いことが示された。
 詳細は元のレポートを見てほしいが、研究はこれだけでは終わらず職場の雰囲気が結束型か橋渡し型かまで含めたオクタント(8つの分類)を分析する。

結婚願望とネットワーク

 「パラサイトシングル」という言葉がセンセーショナルにひろがり、親に経済的に依存し結婚しない若者が一時期話題になった。少子化問題もあわせて恥の文化が消えたから悪い、親が悪いなどとステレオタイプをぶつけてくる論者も後を絶たなかったのであるが、実際にどうかをネットワーク研究の手法を用いて分析した野沢慎司氏の研究を紹介している。
 25〜34歳の未婚男女にアンケート調査を実施、有効回答数は703。結婚意欲に対して、親との経済的、心理的関係、恋人や友人との関係がどのような影響を及ぼしているかを検討している。重回帰分析を使うのだけれどうまく説明できないので結果を鵜呑みにする前に本書を参照してほしい。
 結果5つの結論を得た。

  1. 親への経済的依存が高いほど、結婚に消極的ということはない。
  2. 友人中心のネットワークは恋人のいない女性の結婚意欲を低める
  3. 恋人を含む高い密度のネットワークは女性の結婚意欲を高める
  4. 同僚中心ネットワークは、男性の結婚意欲を低めるが、女性の結婚意欲は高める。
  5. 恋人のいない女性は、仕事に満足しているほど結婚意欲が低くなり、仕事に不満足であるほど結婚意欲が高くなる。男性はこのようなことはない。

 パラサイトシングル論で言われた親との経済的関係はあまり意味を持たず、友人関係などのほうが影響を与えやすいことが示唆された。

ネットワーク研究の限界

 本書の一番の魅力はここである、ネットワークとは存在すれば大きい小さい強い弱い一方向双方向など分析できるものの、孤立や関係なさを証明することができない、「悪魔の証明」が存在する。ソーシャルキャピタル論の誤解や、強い紐帯と弱い紐帯を巡る議論、観察しにくさから認識に依存せざるをえないことなどを、1章と数項裂いてちゃんと説明してくれている。
 ネットワークを使う上での倫理として、ネットワークビジネスなどに加担しないことや、ネットワーク分析を使って一般市民から無理やりテロリスト候補を抽出したり、インフルエンザの感染源を特定して名前を公表したりすること。また、流動性が低い土地で近隣の人をどう思っているのかなどを聞き出しその結果を研究結果などとして公表すれば、近隣関係が悪くなりかねない。ネットワーク研究自体がネットワークを変質させたり、最悪壊しかねないことを指摘している。
 ネットワークに最適化はあるか、情報を紐付けることは監視かなど刺激的な問題提起がちりばめられているところも本書の魅力である。

奨学金を自己責任の問題にすると日本が滅ぶ

 もう若者にホームレスになれと言っているとしか思えないのでまとめてみたよ。

「雇用情勢の悪化」「賃金の目減り」…長引く不況で我が子の学費を出す親の収入は少なくなる一方だ。当然、子ども(学生)はアルバイト収入や奨学金を頼りにせざるを得なくなる。
 日本学生支援機構の調べによると奨学金を受給している大学生の割合はうなぎのぼりで増える一方だ。1996年には21・2%だったのが2010年には50・7%となった。2人に1人以上が奨学金を受けていることになる。
 ところが日本の奨学金は、前途ある若者の学業を援助するためのお金ではない。前途ある若者に多大な借金を負わせる、とんでもない制度なのだ。
 景気のよい時代なら働いてなんとか返せた。ところが不況で就職難の時代にあっては、とてもじゃないが返せる金額ではない。1千万円を超える現・元奨学生もザラにいる。返せなければ金融機関のブラックリストにあがり、クレジットカードも作れなくなる。
 もう我慢できない。奨学生(現役の学生)と奨学金の返済に追われる社会人がきょう、「教育の機会均等」を訴えて文科省財務省に向けてデモ行進した。(主催:全国学奨学金問題対策委員会)

田中龍作ジャーナル | 「奨学金」という名の学生ローン 1,000万円超す借金抱える若者も

 このデモの記事もいくつか事実誤認や誇張表現がある様子で、彼らは全員が奨学金給付者であるわけではなく、あくまで「教育の機会均等」を訴えているという。
 しかし奨学金を返したくないって訴えだと読み違えた人達から自己責任論が広がっている

わかってて借りたものをなぜ返さないのか・・・

大学いかなかったらよかったんじゃないかな

奨学金未返済者がデモ行進 「これは奨学金ではなく学生ローンだ」「バイトなんてしたくない」「勉強させてくれ」 : はちま起稿

2: ターキッシュアンゴラ(チベット自治区):2013/07/15(月) 21:18:52.41 ID:cG/eW2QK0

返せないじゃなくて返したくないだろ・・・やる気見せろよ

3: ハバナブラウン(やわらか銀行):2013/07/15(月) 21:19:04.43 id:irzBqYh+P

ちゃんと返せや
俺なんて頼み込んでバーチャンに500万返してもらったぞ

4: ジャガー(東京都):2013/07/15(月) 21:19:36.64 id:crK8pgvW0

銀行の学資ローンを使わないのはバカ

6: アメリカンワイヤーヘア(埼玉県):2013/07/15(月) 21:19:55.63 id:mjbL/aUW0

教育は投資ですから

http://www.tokuteishimasuta.com/archives/7222699.html

このデモに参加する人たちに共通するのは
「知らない、調べない」という事じゃないでしょうか。
ちょっと調べれば、経済的に困難な学生に対する、
授業料免除制度がある大学を見つける事はできます。
奨学金の返済が困難であれば、猶予期間を設ける事もできます。
画面に向かってキーボードを数回叩くぐらいの手間だけれど、彼らはしない。
「面倒臭い」「後回しにしよう」
そんな考えが彼らの根底にはあり、ズルズルと大学まで来てしまった。
楽な方に、楽な方に逃げた結果が、これ。
Aさんも(25歳・女性)も、こんなデモに参加するぐらいだったら、転職先を探せばいいのに。
結局彼らは「私達、こんなに頑張ってるのに世間は厳しい」という、
可哀想な自分たちを認め合うための居心地の良い共同体を作りたいだけなんでしょうね。

http://bayaread.hatenablog.com/entry/2013/07/16/170605

偉そうに書きましたが、僕は生活保護ギリギリの貧困世帯出身です。
親の援助は受けられないため、大学における生活費と学費は全て自分でまかなっています。
そして、奨学金も頂いていますし、授業料免除も受けています。
僕みたいな貧乏人が大学に行けるのは、この2つの制度のおかげですから、
本当に感謝しています。
お金が無くても大学で勉強したいんだったら、
「借金」というそれなりのリスクを覚悟するべきじゃないのかなぁ。

自分は奨学金もらったけどがんばってるからお前らもへらへらせずにがんばれよ、というエントリ。若いながらに老害感があって素晴らしい。

被差別階級作って叩き合いさせてたら矛先が体制に向かないしマジでチョロすぎワロタwwwという日本の伝統的分断統治に忠実な馬鹿であります。

もう少し大きい枠から物事を見ようか。
今の環境は適切なのかについて、知らない・調べないのは例の大学生と君は大差ない。
奨学金制度を利用する以前に奨学金制度そのものがおかしい。
つーか大学教育がクソ過ぎですね。
(以下目次抜粋)
費やした教育費と学歴は比例する
費やせる教育費は所得に依拠し、所得は居住地域と職業に依拠する
他の国では自動車を買うよりも遥かに少ない価格で提供されている大学教育について、いかに大金を突っ込んで搾取される事を美化するマゾの国が東アジアにあるそうですね?
苦労したから質の高い大学教育を受けられて上記の国々よりも経済的に豊かになったニダ!・・・と思ったら

http://anond.hatelabo.jp/20130717154434

 もう問題はある程度出ているが、id:bayareadの「デモしてる暇があるなら勉強しろ」という意見もわからんではないのだけれど、それは第三者効果というのだけれども、そこを取り出すなら二つの問題がある。
一つは就職活動の採用基準が真面目に勉強すれば採用されると言うものではないと言うこと。もう一つは俺が苦労してんだからお前らも苦労しろやというメッセージは他者の権利を奪い既存の権力構造を強化してしまう性質のものであると言うことだ。

誰が「自分が正規雇用されない」なんて気づくんだよ

日本の就職と教育が乖離してると指摘されて久しく、いまや親が就職活動にしゃしゃり出てくる時代になったと指摘されている。
「親活」の非ススメ “親というキャリア"の危うさ (徳間ポケット)
によると、いかに示すように1984年と2012年の大学を巡る状況を比べて大学に進学する者がエリートだけではなくなったこと、その裏で高卒での求人が10分の1に減り就職が困難になったことを指摘している。

1984 2012年
18歳人口 約168万人 約120万人
大学の学校数 460校 783校
大学進学率 24.8% 53.5%
大学の学生数 約184万人 約288万人
就職率 76.7% 63.9%

 背景には求人に大卒資格が書かれるようになったことが大きい。つまり、就職するためには大学に行かないと行けない状態で大学に行くには金が必要で、学費も高騰し、しかも大学に行っても3割強の人が就職できず進学か非正規雇用を選択しなければならない。
正規雇用から正規雇用に上がることもまれであるし、正規雇用の採用基準も曖昧で学歴や心象によるところが大きく、勉強するくらいならサークル活動に力を入れてチャラチャラしながら体育会系に気に入られるようコミュニケーション能力をあげた方が採用されやすい制度になっている。
大学に行ってしっかり勉強してまで自分が非正規雇用奨学金を返すのが困難な状況になると誰が予想できるか、こそが問題であり、その不安定を前提とするのであれば国がセーフティネットをもっと用意すべきだし、そもそも努力すれば報われる(この場合は完全雇用)が確保されてない状態で努力や個人の判断ミスに帰着させるのはいずれ人に迷惑かけるし死ぬんだから産むな、くらいのばかばかしい議論であるこには気づいておきたい。このトラウマ思考からぬけださないと大変なことになる。
教育と労働を取り巻く環境を勉強すれば「貧困の中苦労して大学に入学し奨学金をもらって大学卒業させてもらったから、これから社会に貢献するために働きたい」という物語すら夢見ることができないものが4割くらいいる社会、と言うのが日本の現実だ。
なお平均仕送り額もガッツリ減っており、ココ数年で家賃込み月10万円を切ったと言う話も聞いた。奨学金を学費に充てずに生活費に充てる学生も増えている様子だ。お金がない学生は資本が少なくてすむ教育業界に流れ込んでくるので教育関連サークルがけっこうな盛況である。

教育の二つの機能

 学校教育には二つの相反する機能がある。一つはトラッキング機能、もう一つは階層逆転機能である。
ラッキングとは、最終学歴が就職、年収等に直接結びつくという考え方で、中卒、高卒、大卒ごとに求人条件が違うし生涯賃金等も大きく変わってくる。
逆転機能というのは、そもそも学力は家庭の年収と相関することが指摘されており、義務教育はその家庭の教育力の格差を埋めることに意義があった。

教育の原理は市場原理とは違い、競争からはみ出そうな者をうまく社会化していくことに意義がある。そこに気づかなければいつまでたっても失敗を繰り返すだけである。

校長の役割って何なの?経営と運営の違い - 技術教師ブログ

センター試験はその象徴のようなもので、教科書の範囲をしっかり勉強すれば(国立)大学に行ける、わからない選択肢が出て来てもマークしておけば数分の1の確率で得点し、ランクの高い大学に行き年収の高い仕事に就ける可能性がある。
これらをまとめてパイプラインシステムと呼ばれていたが、2000年代から実はパイプに穴が開いており、その穴からパイプの外に排除された者達がニートや引きこもりとして社会復帰できないままくすぶっていることが問題になった。
このニート引きこもり問題は面白くて、彼らの9割は仕事をしたいと望んでいたり、親が裕福だから引きこもれるが、海外ではそこまで裕福ではないので若年ホームレスが増えたりと、世界的に社会の歪みとして噴出している。
詳しいことは以下のエントリに書いてあるが、結局今の日本は誰かの犠牲の上に生産性を維持している、世界的にも異常な状態である。
キャリア教育で若者は就職で苦労しないようになるの?-書評-若者はなぜ「就職」できなくなったのか? - 技術教師ブログ

若者に襲いかかる無限のリスク管理

 今回の騒動でわかるように、結局大人達は若者達に賢く生きなさいというダブルバインドをひたすら投げつける。
 中卒高卒で成功できるのは高く見積もっても1割くらいだ。就職できるのも2割位。10人に1人しか成功できない道と、借金が必要だけれど10人に9人(大学が公表している内定率)が成功している道があるなら、後者を選んだ方が賢い。
 そのため若者の多くは進学を選択する。最近は進学すれば就職できる訳ではないことも共有されて来たので、大学の卒業要件の単位とともに教員免許や簿記など資格を取ることに奔走し、もはやモラトリアムが亡くなりつつある。これが世の中の歪み更にひどくしているのではないかと個人的には考えている。少なくとも自己責任で叩いてる層はこのモラトリアムの時期にちゃんと考えてこなかった層だ。ろくに最後まで記事をよむ習慣もなく条件反射のようにコメントをする。
 それでいて大学では真面目に勉強しても、内定が先に出るのはコミュニケーション能力がある若者だったりする。就職できなかったのは決して勉強をまじめにしてこなかったせいではないのだ。起業と言う選択肢もあるが、起業はさらに借金が増える。
 くじけなければどこかに内定がもらえるかもしれないが、そこは日本の7社に1社と言われるブラック企業かもしれない。くじければ非正規雇用に落ち着かなくてはいけないかもしれない。ベーシックインカムワークシェアリングやもう少し働かなくても生きていける社会とかそう言う選択肢があってもいいはずなのにそう言った議論は起こらない。
 そんな状態で奨学金を借りなければいい、無理して大学進学するな、とまで言われると、ほぼ選択肢は全滅である。別に貸与型の奨学金を返さなくてよいといっているわけではない。なお、転職を1回するごとに生涯賃金が8割になると言われている。
 若者が欲を持てないというのは、偏にこうしたもっとリスク管理をしろ、という声からだ。責任を追及されることを恐れてテンプレ化された行動しかとれなくなってゆく。さらには自己啓発や根回しなどリスク管理のためにばかり時間を使わねばならず、結局勉強や研究等<これからの生産>に必要な時間を確保できないことになる。もうすこし若者にモラトリアムかそれに代替するような経験を用意してあげたいし、若者の首を絞めることは日本全体の足を引っ張ることになることも踏まえて皆で解決策を考えていきたい。

関連エントリ

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校長の役割って何なの?経営と運営の違い

大阪市の民間人校長が速攻で辞めたといって話題になっている。
1290人の中から選ばれた精鋭だったのに非常に残念。「自分の活躍できるフィールドではなかった」と、そんな準備されたフィールドが私立の進学校以外にあるのか疑問である。

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「態度は硬いけれど、芯がない」今マカロニ女子が急増中!!

 巷を騒がせているマカロニ女子とは、男性や仲のよい友達意外に対し

  • 乾いて頑固な態度を取ってしまう
  • 芯がないので行動に一貫性がない
  • 興奮してゆで上がるとすぐふにゃふにゃになる

 女子のことをいい、女子大生やOLに続き増殖中だ。
 以前は男子は草食化、女子は肉食化してきているという話が話題になってきたが、どうやら肉食化とは裏腹なもので、強く見られたい、芯がないのがばれたくないというマカロニ心理が働いている様子だ。
 どうやら自分を引き立ててくれる調理師系男子と相性がいい様子。熱しすぎて焦げるような恋はできないけど塩加減ばっちりのクリーミーな恋愛を提供してくれるはずだ。
 脳の専門家によると。料理ができる男性は全体を見渡したり同時に仕事をこなすことが得意な場合が多いらしい。
 外見、容姿ではなく、得意料理や仕事やサークルでのポジションを聞いてみるのもいいかも!
 同系列で、芯はあるけどねじれてるフィジーリ系女子や、芯はあるけど細くて折れやすいスパゲティ女子なんかも存在する。

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世界一あたる心理テストのからくり

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「ポストモラトリアム時代の若者たち」は僕の中で2012年一番のスゴ本だった-書評-ポストモラトリアム時代の若者たち

 いやー面白い。心理学、社会学、哲学を往復して現代の社会構造と若者の心理と問題を鳥肌が立つくらい綺麗〜に洗い出した一冊。なぜ腐女子が増えるのか、引きこもりは本当にわれわれが想像しているとおりのキャラなのか、イケダハヤト氏や家入氏はなぜ生まれたかなど、これが答えであるとしか思えない内容が書かれている。

ポストモラトリアム時代の若者たち (社会的排除を超えて)
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世界思想社
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 本書、「ポストモラトリアム時代の若者たち」は、さまざまな社会背景の下、<モラトリアム>を自由に謳歌できなくなった若者たちの心理、環境、事例をあつかったもの。ちゃんと若者論3原則に則りながら、現在の若者について、教育や就職、価値観やヒエラルキー心理的葛藤を淡々と描き出す快作だ。第5章で急にテンポが悪くなるのだけれどそれをさし引いても面白い。どうやら大学のゼミの輪講などでも扱っている模様。多少専門用語がでてきてもググれば高校生でも読める上参考文献もしっかり書いてあるので初心者から中級者まで非常に刺激的な読書体験を提供してくれるだろう。

 第1部では就職難の話アイデンティティ拡散の話やフォーディズム体制、パイプラインシステムの崩壊の話など。実はこのブログでもインスパイアされて過去に言及して炎上した内容である。
意識の高い人追悼2012 - 技術教師ブログ
 そこから導き出される結論は「再帰性の内面化」である。再帰性とはすなわち「自分はどうか?」という問いかけが自分に飛び掛ってくる頻度のことで、たとえば教室で誰かが人をバカにしたとき、笑いながらも自分はどうか?彼にバカにされる領域にいないか、自問自答する経験は誰しもがあるだろう。
 メディアなど種類や語り口が変わることで自問自答の頻度、すなわち再帰性は格段に高まった。たとえば近所で事故や事件が起きた場合、あなたは安全ですか?とワイドショーは問いかけてくる。例えば成功者の体験を語るようなテレビや本は、あなたはどうですか?と問いかけてくる。ネットでニートをバカにしながら、「(俺は大丈夫か?)俺はまだ大丈夫」と自分に言い聞かせる。とりわけ社会の発展に関連してメディアだけ取り出しても、ここ15年で個人メディアが爆発的に普及し、SNSで僕がマイルール宣言と呼んでいるような「ありえない」「面白かった」「これが好き」「本当にひどい」といった言葉が発せられるたびに「あなたはどうですか?」というメッセージが飛んでくる。
 通り魔のような、もしくは原発事故のようなイレギュラーが発生し、<信頼性>の高かったはずの専門家たちがつくってきたシステムが揺らぎ、常に監視と警告を必要とし再帰性が高まると、結果として若者は再帰性に苦しめられ、どの場所にいれば安全か、どの行動をすれば安心かを考えコクーニング(さなぎのように閉じたものに)する。
 これらの話をギデンズの脱埋め込み化やエリクソンアイデンティティの話、リキッドモダニティなどを引用しながら説明する。地域や国を超えて標準化が進むと共に目的論的な世界が出来上がり、目的にそぐわないものが排除される。目的を見つけることが目的だった「モラトリアム」はいつしか消えていき、目的もあいまいなまま、プレゼンテーション能力や資格や飛びぬけた経験が求められるポストモラトリアムがそこに聳え立っている。

 第2部は、1章の再帰性の高まりと社会の変化から、若者の心理モデルがトラウマ化、スティグマ化していくというものである。トラウマとは、過去の失敗や環境に問題の原因をおき、そのせいで現在の自分は理想とはかけ離れた状態になってしまった、という心理状態を指す。スティグマ化とは、ここではもともとの社会からの汚名やレッテルという意味合いとは違い、自分の内面に「その行動をすると他者から異常とみなされてしまう」というモデルを内面化してしまうことをいう。
 この二つは理想どおりに振舞えない原因を外部に求め、過度に行動や発言を恐れ脅迫化、不自由化するという共通点を持つ。いわゆる世間体のように、変に思われてしまうと排除されてしまうのではないか、と自分で自己を過度に監視し、徐々に自身を失っていくのである。もともとひきこもりなどに見られる特徴的なメンタリティが、強弱はあれど若者に浸透しつつあると筆者たちは指摘する。何度開き直っても再帰性は頻繁に襲ってくる。ビジネス書ではかっこよくメタ認知として扱われ、ひとつ上の視点を持ち分析することで仕事を効率的に活性化しようと書いてあったはずだが、一部の若者たちは過剰にメタであることを求められ、結果的には逆に去勢されてしまったということであろう。
 その後は著者たちがやっている若者ミーティングの事例や腐女子のコミュニティの話がつづく。若者ミーティングでは、若者たちが心地よい距離をとりながら自主的に関われる場を提供することでひきこもりなど社会不適応から徐々に回復していく事例を解説。社会からの孤立は過剰にかかわりを求めない共同体で直していくのだという。
 また腐女子と呼ばれるメンタリティも、消費するコンテンツとしてそこにあった親殺しや思想としての男装や男殺しの物語から、徐々に自分なりに創作をして楽しむという消費に変わっていく。オタク趣味であると後ろめたいものというスティグマを抱えながらも自己を強化しオタクコミュニティという共同体の中で同じ趣味を共有しあいながらも差異化しながら自分なりの楽しみを見つけていく
 
 第3章は、第6部で急にテンポが悪くなりびっくりしてしまうことは指摘しておきたい。事実をよりわかりやすく説明するために喩えを使うが、6部だけはなぜかその喩えを使いたいがために関係ない話を引っ張り出して、今までの話で十分わかりやすかった喩えをもう一度別の喩えにおきなおすという作業を延々と繰り返す。
 話の整理自体は非常にわかりやすい。生きづらさ、息苦しさを感じている若者(別に若者に限らないのだが)は内部と排除された外部との間をさまよっているのだという。社会的に見ると若者にとって過剰に市場に適応することが現代の自分探しの行き着く先であり経済活動に取り込まれることが内部である。例えばイケメンだの巨乳だので人の価値を語るようになったり、コミュニケーション能力やプレゼンテーション能力など、パーソナリティと関係なく優劣の曖昧なもので合格不合格が決められてしまう。そこに適応できない若者は内部からすこし距離を置くのであるが、一方で不登校やホームレスやニート、貧困など、社会から排除された外部に行きたくはないため、内部と外部の間で葛藤が起きるのである。
 軍国主義時代は軍国青年が良しとされたように、高度資本主義経済時代には市場青年とでも呼べる若者が良しとされ、一方で学生運動のような反抗ができない若者は、ひきこもるか無理やり市場に適応するか、「<新しい世界>を産み出す存在」としての<自分>を構築する。すなわち意識高い学生のように自分たちが「未来(という名の自分を中心とした世界)を切り開く!」存在として振舞おうとし、感情を中心に世界を語り共感してくれる人たちを巻き込みながら<新しい世界>を産み出す<自分>という自己を強化する。過剰に市場原理や資本主義経済に巻き込まれながらも、「評価経済が大事」「ルールに囚われない面白いことをしよう!」などと叫び内部の世界観に囚われない自己の世界観を演出しようとする。
 終章では自然状態=隷属からの自由として社会契約があったはずなのにまた自然状態に戻ったよねという辛らつな話をして終わる。教育も労働も再帰性と排除されないためのルーティーンで満たされ心理的スティグマと現実的排除の間で身動きが取れない若者はこれからも再生産され続ける。
 個人的にはこれらの圧力や自己に対する無限の監視であるスティグマに対抗するスマートな反抗をどうにかデザインできないかとこの半年間試行錯誤し続けている。ようやく数値的に景気が上向いてきているとはいえ、社会の排除のシステムはどんどん強化され続けている。うんたら再生会議が一応耳障りのいい言葉を使いながら、経済団体と組んでさらに強者の理論排除の理論隷属のための教育を強化しようとしている。教育現場は混乱と監視が続き平静を装いながらパノプティコン化を進める。混乱した現場から逃げてきた若者たちはモラトリアムをすごすこともできず労働の現場に投げ出され、去勢されながら市場に適応していくか、意識高くあり続けようとありもしない自己を演じ続ける、ある日燃え尽きて排除の対象になり消えていくのである。

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