萌えと性癖と推しはやはり言葉として別れておくべきだよなあと言う話

年末年始にVtuberとファンの心理学の記事を書こうとしていたが、言いたいことはシンプルなのに補足しなければいけない情報が多すぎて筆が止まっている。

ポストコロナ(covid-19)以降の地下アイドルからVtuberへのオタク文化の主軸が引っ越した。

ひとまず地下アイドルが全国に1万人弱いるという話から統計を追うのをやめたが、そこからコロナ禍によりオフイベントが減少し、代わりにフィールドは配信に移っていったのはいうまでもないだろう。

Vtuber黎明期と呼ばれる2018~19にデビューした2025年時店で7~8年活動しているVtuberはベテラン、レジェンドと呼ばれ、一番近い声優業界や配信業界絡みても少し不思議な独自経済圏を築きつつある。この話は後日語れたら語るわ。

 

ところで大手事務所にじさんじのでびでびでびることでび様とルンルンにハマっている。人外Vtuberで人気を博し、少女漫画雑誌「ちゃお」での連載も始まっている

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ディズニーのキャラデザインの変遷の話でよく取り扱われるが、赤ちゃんや幼児のような頭身、丸さに対して可愛いと思うことをベビースキーマ、ベビースキーマを取り入れどんどんデザインが愛らしくなることをネオテニー化と呼ぶ。

 

このネオテニー化した人外たちがとぼけたキャラクターを演じながら哲学や自己啓発を叩き込むという彼らの配信スタイルは面白い。アイドルソング自己啓発労働讃歌であるという話は過去にイベントなどで話したことがあるのだが同じような構造が個々にある。

 

Vtuberを始めメディアで発信をしている人たちを応援することを推し活と呼ぶ文化がここ数年で定着したが、ふと、言葉の整理をしたいと思った。

僕がこのキャラクターたちに感じる感情は可愛いなのだが、別に性癖というわけではない。20年近く前、萌えという言葉がミームとして広がったとき、萌えって言い換えると何なのよ?という議論スレが2chで立ち上がったことがあった。

 

その中で語られた、萌えとは心の勃起である、という言葉が印象的で僕の中では腑に落ちている。今でこそ男女関係なしに普及し、何なら少し古いおぢ言葉として認知されている「萌え」は身体的な興奮でなく心の興奮を表す言葉だ。女性がBLを見て興奮するが身体的に興奮しないように、萌えは子どもに対する愛情のようなベビースキーマに対する愛情かもしれない。

 

一方性癖というと執着と身体的興奮を含むはずなのだがなぜか萌えも含まれるようになった。古のミーム、「素直に勃起です」に表されるような身体的な興奮をさせてくれるジャンルやカテゴリを性癖と呼ぶ。現在は癖、などと省略されて使われていたりする。

 

この言葉の面白いところは、自分がされたい身体的なアクションと必ずしも一致しないということだ。SMものの作品が性癖だが、自分が実際にSM的なコミュニケーションをしたい、して興奮するとは限らない。見て喜ぶ、と経験して喜ぶ、はまた違う処理経路があるのだろう。

 

好きなジャンルやクリエイターを応援することを推しと呼ぶ文化、これはSNSが変えた言葉なのかもしれないと考えた。応援してます、という言葉はべつにフラットな言葉のはずだが、余裕があるものが余裕がないものに与える言葉といったスティグマがすでに出来上がっている、認知されていることも多く、SNSでスポーツ以外で応援市に行く、という言葉を使うと上から目線だ!と叩かれる雰囲気ができあがっているように感じる。感じるだけなので勘違いかもしれない。

 

その結果あくまで信者のように、下から応援してますよ、この気持ちは一方通行でいいんですよ、という態度を表す、体裁を繕うために「推し」という言葉が浸透していったのではないか。出る杭は打たれる、打つための杭を探す人たちが一定数存在するSNSの中ではこうした「杭の下から発言」の語彙をどんどん生み出して行くしかない。

新しい言葉やミームがこの前提から、もしくはそのオルタナティブとして生まれているかどうかという視点で考察してみるのも面白いかもしれない。当てはまる事例があればぜひ教えてほしい