講演を評価する6つの価値軸

 講演を評価するための僕なりの基準を書きとめておきたい。学会から研究会から講演会まで、近年では様々な情報の取得が講演をベースに行われる。本来講演は手段なのであるが、行政や教育組織がただ名のある人を呼んだというだけの形骸化した講演も多々あり、僕も大学の頃からしばしば講演会や勉強会に参加して発表を聴くのだが、インスピレーションを受け取ることができるものから無料であっても時間を無駄にしたと思えるものまでさまざまであった。
 今回語りたいのは舞台などの「公演」でなくスピーチの方の講演である。講演会やワークショップなど小学校から企業まで話を聞く機会と言うのは多いだろう。しかし一般の人に講演会を評価する基準は何かと聞けば「面白くて、ためになる」と客観的に評価しようのない基準に収まる。それはそれで基本であるが、お世話になった多くの大学の先生や研究機関の方々などからの話をシンプルにまとめて基準となる評価軸を作ってみたい。

概要について

1.目的を明示しているか

 講演は主に何か目的があっておこなわれる行為だ。ただ講演者がしゃべって聞いて終わるだけであればそれはラジオでもCDでも構わないだろう。落語であっても「今日は楽しんで帰っていただければと思います」というし漫才でもベテランは「今日は一つ名前だけでも覚えて帰っていただければと思います」と妥当性が高いか低いかは置いておいて目的を示すのだ。そうすることで講演者やその話をどう評価すべきかが分かる。落語や漫才の場合は、話を聞いてその話手が名前を覚える価値があるほど面白いのかを評価すればよい。


導入に置いて「今日は○○についてお話します」は当たり前。それは主題であって目的でない。講演の効果を高めるため、認知心理学的にも話を聞いて聴衆にどうなってほしいのかを明示すべきだし、それをしないというのは講演者がスピーチ技術を持っていないかもしくは聴衆に「お前たちは難しいこと言っても分かんないだろ」と思っているかのどちらかであると説明がつく。

目的は講演会のチラシに書くか講演の冒頭もしくは最初の方で話しておくべき。

当たり前だが「××のための□□」と記載されていた場合それは目的でなく対象だ。
「今日は私のお話で皆さんに何かえるものがあればと思います」もダメ。
「今日は○○について知っていただきたくお話をしにきました。それプラス皆様に何か得るものがあれば」位で合格点。プロのスピーチはこの時点でぐっと聴衆を引き込む技術や話術を用意している。

2.構成が目的に沿っているか

構成が目的に沿っているか、これはイベント全体の評価と考えてもいい。
講演者が「○○について知っていただきたい」と言うのであればずーっとスピーチするだけでも構わないだろうし、最近多いトークイベントのように二人以上の対談形式で話を深めていくのを聴くのも楽しいだろう。
だが「理解を深めてほしい」という場合、聴衆がなにかしらの活動をする場と言う意味でのワークショップや質疑応答などを用意すべきだし、このアウトプットとインプットのバランス調整力が実は講演のうまさであったりもする。話し合いの流れの持って生き方ひとつにも技術は必要だし、勉強会・講演会と言う名のエンターテイメントや愚痴をはき合うだけの会になってしまう方がいいのか、大部分の人が充実感や意義を感じれる場であるのか、どちらが良いかは言うまでもない。会場の空気を作るアイスブレーキングや自己紹介をさせて隣の人と関係を作らせているかなど、話の質以外の部分をもっと評価すべき。
 また対談形式の講演会、座談会なども実はシナリオは準備されている。それにプラス自分の言葉とか最近ネタ知見などを合わせてしゃべっているにすぎない。もしかしたら質疑応答のときの質問者も仕込みと言う可能性もある。話がうまくいきすぎているのはその論者たちのアドリブの技術や頭の回転が速いというわけではないことも踏まえておこう。

 スピーチの内容についても「○○の重要性を考えてほしい」と言っているのに対立概念を示さないままだらだらと重要性を説いていく説明などもってのほかだろう。インフルエンザは危険だ、ウイルスが危険だというが、インフルエンザが他の熱中症や食中毒などの病気とどう違うのかを語らないままインフルエンザウイルスの特徴を語るようなものだ。僕の経験上多いのが、とにかく年間死者数やパニックになった事例を語るだけで理解と協力をしてくれと訴えるパターンだ。僕の中で死ぬ死ぬ詐欺と揶揄された数件の募金活動の報道等がそれに当てはまる。1億数1千万円の募金を集めて一人の重病の子供の命を助けた。これ自体は非常にいい話なのだが、一方で地球の裏側では数100円で助かる命があり、1億円あれば相当数の子供の命が助かる。
これは重要なジレンマだ。社会的に重要なことと個人的に感じる重要なことはかならずずれが生じるもので、それを踏まえて重要性を訴えるスピーチであるなら評価できるものであると思う。

内容について

3.結論が明確か

注目される場に立って大勢の人に話をするということは何か伝えたいことがあるのが前提だ。
講演は時間が短い。できるだけ優先順位が高いものから語るべきだ。まずは一番伝えたい結論。明確であればあるほどいい。
僕が人前で話すときは重要なことを最低一つ伝えることができればという心持ちで話す。
明確に結論を伝えるためには具体的に「シンプルさ」が必要なのだ。
プレゼン手法にしても伝えたいことを1スライドにまとめてポイントを拡大して説明する。
1スライドに1行しか書かない。今何を説明しているか常にわかるようにしておく。様々な工夫やノウハウが蓄積されているし、そのポイントを見ながら講演を聴くだけでもかなり意義があると思っている。複雑なビジネスの世界などでは複雑なものをどうシンプルに整理したかでスピーチの質が8割決まるといってもいい。
結論を評価するということは選択肢の数と優先順位(プライオリティ)と切り分け方の斬新さを評価すればいいよと言うことである。

4.事実と推測と願いとを切り分けている

「教員の不祥事は人間力の問題であり教員の特権廃止と厳罰化が重要だ!!」
みたいな議論は本にせよテレビ報道番組にせよいやと言うほど見てきた。もちろん僕がそこにセンサーを貼っていてたまたま思考が偏った人がいて意見していただけかもしれない。これらの議論の問題点はニセ科学と同じで評価をしにくいところにある。
不祥事とはなにか、人間力というあいまいな言葉をどう定義するか。特権廃止と厳罰化とあるが特権とは何か、今の罰則規定は厳しくはないのか、重要とは個人的に重要と感じているのか客観的・社会的に重要なのか、など主観的な言葉が多い話は講演者の技術不足ととらえて構わないと思うし、僕は宗教的にすら感じる。

「教員の不祥事が続いている。教員のモラル低下が原因だ。教師は厳格であるべきだ。」と観測した事実、推測、願いを並べて書いてはじめて

  • 教員とは非常勤講師まで含めるのか。
  • 統計的に教員がかかわった事件が増えているか
  • 質問をした時教員のモラルは低下していることが実感できるか。
  • そのべき論で問題が解決できるか

など、その主張が妥当かどうか少しは評価が具体的になる。最低限聴き手に評価しやすい形で語っているか。違うのであれば無理やり納得させようとしたり洗脳しようとしていると言っても過言ではない。
評価の仕方として統計的/経験的か、具体的/抽象的か、社会的/個人的かなどを意識しながら聞くだけでもただの俗流若者論のような説教なのか意義のある主張なのかを切り分けることができる。

5.どれだけ聴衆の目をみているか

 これは二つの意味がある。ひとつはちゃんと聴衆の目を見て訴えかけているかという講演技術(スキル)の側面。
ひとつは会場の様子を把握しながらその場にあった話し方をしているかと言う講演姿勢の側面がある。
 仕事を始めて一番はじめに教えてもらったのは「同じ話をするだけなら大学の先生がつくったDVDを流しておけばよい。事例や経験をその場にいる聴き手に合わせて語る必要があるからこそ教員が必要なのだ」という言葉であった。
 話がうまいだけでは大高中小幼稚園と教員はなりたたない。話がうまい人は予備校で講義を行い放送大学でビデオ配信すべきだ。相手の存在を肯定すること、共感すること、評価することなど、かかわりをもって初めてスピーチの意味がある。漫才師や落語家の「今日は会場に美人が多い。手前の方から美人美人美人、一人飛ばしてまた美人」というべたなフレーズにはいくつもの技術が入っているどれだけ精錬された言葉なのかということがよくわかる。映画を見に来たわけでも演奏を聴きに来たわけでもなく、聴衆は空間を共有しにくるのだ。聴き手の立場で講演者がどれだけかかわろうとしているかはシビアに評価していい。

6.その人しか語れないことが一つ以上あるか

考えてもらいたいのだが、例えば
「本を読めばわかること」を講演の場で語る必要性とは何だろうか?
ひとつはその本を売りたい人などが本を紹介する場合。
ひとつは本を読んでいる暇がないので要約して要点を踏まえておく場合
ひとつは本がわかりにくいのでわかりやすく噛み砕いて伝えてもらう場合
ひとつはその本の前後の歴史的見解まで踏まえて語る場合
などいくつか場合が考えられる。重要なのはなにか一つ以上その人しかできないことをしたかと言う部分だ。
講演会のコーディネートでもいい、講演会はコンセプトやそれに合わせた人選が適格かなどがまず評価として大きい。非日常的な空間をどれだけ作れたかとか情報がインタラクティブに与えられていたかなど。
わかりやすい要約でもいい、その人なりの優先順位を示すことになる。多くの評論家の仕事はこれに相当する。
本について感想と違和感を示すことでもいい。それが斬新であれば語る価値がある。
ひとつでもその講演者しか語れないことを見つけること。それが自分の中で有意義な内容であったか、この新規性の評価こそが「面白くてためになる」ものかどうかをはかるポイントである。

まとめ

これらはあくまで基準である。目的を語っていなくてもいい講演はたくさんあるし、これらの条件をクリアしていても時間の無駄だったと感じるような講演は多々ある。実際に話をする時、こういう目で見られていると意識して話すように心掛けているが、それでもうまくいかない場合の方が多い。
またその話を聞くときのジャンルによっていくつか違う基準を設定することもある。汎用性の高いものだけを書き出してみたがそれぞれきれいに切り分けられているとも思わない。
見る目がなくても話は聞けるが見る目を養うことで得るものの量はかなり増えると思う。

見る基準を文章化して書きだしたあとあらためて久しぶりに故・ランディパウシュ教授の最後の授業のDVDを見直してみたら改めてすごいなと思えた。「死を目の前にした極限状態での講義」と言う部分でなく講義の内容で感動できる。また新しい発見もあった。自分なりの見る基準でいいと思う。基準を設定することで余裕がなくなる、他の発見がなくなってしまうと思いがちだが、案外評価基準を設定してみても評価基準以外での新しい発見も多いのだ。

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