科学研究費事業仕分け問題を教育で解決する現時点でのたった一つの最適解

id:next49さんにIDコールされたのに気付いたので、時間を見つけてこの記事原稿を書いてきた。09年内に公開できなかったが、改善を一番要する現場からの声として「必要ありますか?」をバズワードにして終わらせるわけにはいけないので公開しておきたい。
 僕の目から見た今回の仕分け問題について。先日「事業仕分け」という会議でちゃんと科学の有用性を説明できなかったから科学研究費をカットしようって決定が行われた。浮いたお金は教育に回そうと言う決定だ。しかし、それは家庭の負担を減らすというものであって、決して教育者側にお金を回そうという話ではなかった(一部でそうした動きも出てきているけど)。
 結論から言うと科学よりもテクノロジーに関する教育をもっと増やすべきだ。
 以下の論は前提として小中高までの学校教育をベースに科学技術を切り分けて考えていることを理解いただきたい。*1

科学と技術

 科学技術という言葉の間には科学/技術という大きな溝がある。科学とは自然の法則を追求する営みであり、技術は科学を人為的に利用するためにその時代の文脈に沿って形にしたものである。厳密にはそれぞれに定義があるがここでは割愛する。
 地球が温暖化しているかどうかの分析は科学であるし、彗星や隕石がどう動いているかを観測し計算するのも科学である。
 自動車は移動するための技術だし、望遠鏡は遠くのものを観察するための技術である。
 最近では科学と技術のグレーゾーンも出てきた。農作物は科学か技術か、クローン牛は科学か技術か。
 しかしこれも作り方や育成条件の分析は科学だし、できあがったものが科学を応用して制御され生産されたプロダクトであれば技術である。
 科学は理屈であり、できあがったものは全て技術:テクノロジーなのである。
 

技術を適切に評価し技術開発を受け入れる素地がない日本

 今回の事業仕分けにおける結論に対して科学者達の発表した言葉達を見ると、その科学/技術の言葉の使い分けすらままなっていない。
 これは例えばコペルニクスが地動説を唱えパラダイムシフトを起こしたとき、望遠鏡という技術による精密な観測が可能になった事が大きい。このころから技術は科学に必須な要件となった。優れたテクノロジーが優れた科学を支えるという構図が人々に認知されたのだ。それにより科学と技術は切り離せないものになった。しかし技術はもっと厳密には大まかに次の3つがある。

  • 科学研究のための道具としての技術
  • 科学研究・技術開発の対象としての技術
  • 一般に普及し消費されている技術

 日本の科学技術についていえば、前から2つばかりを大切に扱い教育し、3つ目をないがしろにしている。この点を僕は指摘したい。
 例えば原子力発電の仕組みや原子力発電所がいかに耐震性や耐久性に重点を置いて設計されているかについて教えても、原子力発電所が実際どう稼働しているか、その設計理念や職員の規模までは教えない。自動車工場でもいい、製鉄所でもいい。もしくはウェブサービスでもい。これら理屈をどうモノにしたかは、高校までの教育では十分扱えていない現状がある。
 科学はその時代の文脈に即して技術になり、さらに科学を発展させる。現代の高度に発展した技術はすでにイノベーションのジレンマの臨界点に達しており、前2つと一般に普及している技術の間の溝、すなわちブラックボックス化は深まるばかりだ。
 ブラックボックス化によってどんな弊害が起きているか、イノベーションのジレンマイノベーションを望まない層がいるからこそ起きるのだ。すなわち、科学が発展し新しい技術が現れるとどういう利益を自分にもたらしてくれるかを一般消費者達が知らなければいけない。
 しかし現状で語られているのは科学で世の中が解明されることのロマンと、新しい技術を作らなければ経済競争に負けるという企業側の理屈ばかりで消費者の理屈がないがしろなのだ。

短期的・中期的・長期的視野でいえばそれぞれに研究成果・広報・教育が必要

 日本における科学技術研究は、競争的には負けていると言われているが、絶対的には世界に誇れるレベルをまだ保っていると僕は認識している。
 しかし、科学分野以外の仕事に就いているものでそれを詳しく語ることができる人間など一握りだ。その成果の価値を一般消費者(科学を消費するというのもおかしいが)に広報する仕事が非常に重要な役割を持っているはずであり、この部分の不足が致命的な問題である。科学ジャーナリストになりたいなら博士号いらないね、と言われたという話*2も一部では報告されているし、実際科学ジャーナリストを自称して研究者たちとケンカをしている者もいる。
 また、長期的な視野で見れば教育に力を入れなければならず、日本は曲がりなりにも理数教育に力を入れてきた。一部の学校のSSHなどの取り組みも、科学オリンピックなどで成果を上げている。しかしこれも「すそ野を広げれば天才の割合も増えるだろう」みたいな構造であること、大学に行った時そのすそ野と研究者の中間になった人がどうするか道がない(だからスポ抜けていた科学ジャーナリストという中間層を増やそう)といった理屈はこれまで何度も主張されてきたはずだ。
 そして、きちんとした広報や教育がおこなわれていれば技術を適切に評価し、科学がなぜ重要なのかを理解し、科学技術研究に寄付をしてくれる層がもっと増えたのではないかと考えている。
 だがしかし、僕はこの教育自体が理数教育≒科学のための教育に偏重していると考えている。先ほど言ったようにテクノロジーに関する教育の不足こそ今回の事業仕分けで考えるべき点ではないかと考えている。
 現状は科学分野においてノーベル賞をもらった人たちさえ科学技術の研究開発ではなく別のところに賞金を寄付している状況だ。*3

教育カリキュラム(≒教科ごとの時間配分)を見直そう

 そして、技術に対する教育、技術を通しての教育は今や壊滅的な状態だ。
 外国ではテクノロジーに関する教育は、10〜12年程度が基本で、テクノロジーに限らずその本質である設計についてやその周辺である労働、それからテクノロジーが社会にどういった影響を与えたかという歴史までみっちりと教育している。
 日本では技術教育については中学校3年間における技術・家庭科の技術分野(技術科)と、また方向性の違うが領域の重なる高校の情報科だけしかない。義務教育段階である中学校において技術科は、家庭科とは全く性質が正反対で免許が異なるにもかかわらず、成り立ちや教科政治の問題でいっしょくたにされている。そのおかげで現職の教員ですらその教科理念を誤解している現状がある。参考http://gijutu.blog.drecom.jp/archive/257
 最近では2009年9月から、中国の高等学校において、情報技術の教育だけでなく通用技術という教育ができ、情報教育だけでなく普通教育としての技術が高校でも受けられるようになった。行き遅れているのは日本だけであり、なぜかと言えば技術教育の内容や有用性に対する社会の理解度が不足していることや、日本の特殊な教育構造≒企業側の都合による部分もあると考えられる。参考:産業界からの俗流ゆとり批判について - 技術教師ブログ
 普通教育においては従来の職業技能としての技術教育でなく、普通教育としての技術教育が求められている。それによって技術の体験・理解・評価・マネジメントができる能力=技術リテラシーが求められている。例えばトレードオフや最適化・フェイルセーフなど、科学では求められず技術で求められる概念は多種多様だ。またそれらが個人の発達において転移できる要素も多いと考えられる。
これについては故・桜井宏氏の話が詳しい。参考:桜井宏氏 『「社会教養としての技術」の重要性を訴える』 | 日経 xTECH(クロステック)

科学教育:技術教育を2:1にし、技術開発における予算をそちらへ回すこと

 教育政策を見直すと技術立国を目指すためになぜ理数教育を充実して技術教育を充実させないかがよくわからない。*4

  • 小学校図画工作やモノづくり科、中学校技術科、高校の情報科を中心とし、テクノロジーを経営的視点から見直す実践や教科を用意することで、技術を適切に評価・マネジメントする訓練を充実させること
  • 美術科で創作品の人文的価値を、理科で自然科学的価値を、技術科で社会的価値を評価する訓練を行うこと
  • 理科数学科:技術科の割合を現在の5:1(中学校時点)から4:2にすること

若干抽象的だが以上が僕の主張だ。
 技術と言う言葉が非常にあいまいであるが、僕が主張したいのは一つ、科学技術について発展を重視した政策を行うなら、技術科に対して金と時間を増やせ、と言うことだ。日本が売ってきたのは科学でなく技術である。技術に置いて伝統工芸ばかりに頼ってきた日本が、この先まともな技術教育なしに諸外国に生産能力で勝ち続けていけるはずがない。
 もう一度技術周辺で扱う内容を精緻しなおすこと(これは今回の指導要領で大きく変わった)。
 理科や数学は時間数が週5時間であるのに対し、技術は1時間である。この1時間でよいので技術に回してもらえれば僕ら技術に関わる教師は大きく貢献する心意気はある。少なくとも僕は。技術の教師で職人と呼ばれるレベルの人たちはいとも簡単に難しい言葉や概念を用いず大学レベルの工学を子どもたちに教えてしまう。
 一方で一番の問題は技術の教員を目指す人の少なさ、および、技術の免許を持った教員が圧倒的に少ないことである。

ポスドクを教員に

 この技術科の教員不足の現状に対して考えられるのが、理・工学博士に教員免許取得のコースや仕組みを与え、技術教育に寄与できるキャリアコースを作ることである。
 現状では実は理・工学部の院から教育学部の技術教育コースに来て教員免許を取ることもできるのだが、これらの技術教育の重要な役割が周知されていない以上、直接子どもたちのキャリア(要は受験)に関連する理科や数学科、情報科の免許を取ろうとするのが普通である。また職業教育の単位を取得し、博士号を取れば、教職課程を経なくとも工業高校の免許が取れるという。そうして中学校技術科の免許所有者や教員志望者は現在大幅に不足しており3分の1から2分の1を臨時免許や副免(主免許ではない)教員が担当している現状だ。教科理念を理解し強化の重要性を訴えられる教員の絶対数が少ないこと、教科の面白みを伝えられない教員に教えられた子どもが、大人になって教員になろうとした時、技術科を選ばないといったデフレスパイラルに陥っている。よって中学校技術科は現在最悪の状態にあり、少数の質の高い教員たちが支えているという現状がある。

 博士をとっても研究者として椅子がないというポスドク問題で一時期大騒ぎしていたが、要はこの中学校技術科の椅子に座って工学研究(即ち技術)の最先端と重要概念を伝える訓練をしてはどうかと思うのだ。もしくはできたら高校に中国の通用技術に相当する技術教育科目を設置し、そこで教鞭をふるってもらうのが最適解かもしれない。中学校と大学の間に技術教科がないことは日本にとって最も致命的な教育システムの欠陥である。
 

技術教育自体の難しさ

 我々が、少なくとも僕が目指すものは「科学技術のポジティブな自発的制御」だ。人に強制される制御ではない自発的制御。使わない、といったネガティブな制御ではなく、ウマく使うといったポジティブな制御だ。しかし現状は学校でのケータイは使用禁止、ネットはフィルタリング、ナイフは刃渡り何センチ以上は所持禁止。全て強制的制御が行われ、危険なものだから使わないという選択ばかりがなされ、技術を使用しないという選択は技術の発展を停滞させるだけである。
 また、僕自身が教育としてもしくは問題提起としているのは技術と経営の問題であり、例えばニセ科学の問題。
 ドライヤーと言う技術を売るためにマイナスイオンという付加価値をつける。しかしこれは科学としては現時点では間違いであり、多くの科学者はこれはだめだ時って捨ててきた、しかし技術と経営の視点で言えば、これは付加価値としてロマンを売っているのであり、消費者は科学的におかしいとわかっていてもロマンを買っているのである、と見ることもできる。これを是とするか否とするか。(現状では知らずに買っている人が多いから問題だという意見が多数派だと考えられるし)そういった技術を売るための経営の理屈と科学の理屈とに間で大きな齟齬が生じている。これらのトピックを教育で解決しようとするのであれば、科学教育でなく技術教育、特に技術と経営にまたがった領域における実践は個人的にこれからさらに必要性を増していくと思って研究してきたし、徐々に事例が報告され始めている。*5

一番の問題は前例・慣例主義

 それとともに考えたのは、今回科学技術における予算が減らされた時、次年度以降にそれが復活する見込みがないという前提で皆が語っていることである。これらの前例・慣例に基づいて一度無くなったものを復活させるのは難しいという前提こそ打破できないか。
 今年度は教育政策の整備に力を入れる、なので1年間予算を我慢してほしい、といった決定であればまた聞こえてくる声の質も違ったであろうし、それでも賛否両論ではあっただろうが、ムダに"官僚より俺の方がうまく科学の魅力を語れるぜ"競争などせずに一歩進めた提案が浮かんできたのではと考えている。
いずれにせよこの程度の一教師一意見で何が変わるわけではないと思うが、少なくとも研究費うんぬん以前に科学技術を扱う最低限の素養を持った国民が育っていない事、理数教育を増やしたところで技術教育・テクノロジーに関する教育の方が足りていないので先が詰まっていること、1000年以上前の戦争を学ぶより産業革命などにより技術が世界を変えてきた歴史を学ぶことの方が、社会にとっても個人にとっても有益だと考えている。

*1:大学における教育と研究についてであれば科学技術立国と研究費のこれから。 - 赤の女王とお茶をあたりを読むと良いと思います。

*2:http://twitter.com/h_hirakawa/status/6046434742

*3:個人的には科学的手続きを踏まずイメージだけの俗流若者論を展開するノーベル賞受賞者がいることに対して、科学リテラシーが発達に何の影響をもたらすものか、と考えているが。http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/61a54e0ebb13b02dd8576b685156c164/

*4:本当はわかるけど理解したくない

*5:詳しく知りたければ起業家教育などで検索していただきたい