新作ラブコメSFファンタジーロボットアニメ-「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」

続々とアップされる期待裏切られたけど楽しかったというタイプの絶賛エントリーなんなの?(以下微妙なネタばれを含むかも)



ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を見てきたんだけども予想以上に「何だこりゃ」で終わってしまった。
 前作テレビ版、前作劇場版、新劇場版:序、の3つを見ていなければ、少なくとも「序」を見ていなければ本気で楽しめない内容になんじゃこりゃぁ?と思った。最初に登場人物の説明も何もない。巨乳の新キャラが出てきたりアスカが毎晩パンチラしたりお尻の割れ目が見えるようなエロ衣装を着たりやっぱりレイはおっぱい要員だったり美少女が空から降ってきたり、一方で人物の内面描写が非常に少なくなった。描かれる主人公の葛藤も従来のロボットアニメの主人公と変わらない。内容としてもストーリーや設定なんかのこまごました部分は変わったんだろうけど全体的に前作にあった「主題」とか「アンチテーゼ」みたいな主張のようなものは大幅に減った気がするのである。僕が読み取れていないのだと言われればそうなのだろうけど、前作のSFロボットアニメからラブコメSFファンタジー化してしまった。現時点ではただの萌えロボットアニメである。一部のマイノリティはここにある種のがっかり感を抱いているのではないだろうか。

変わらない構図

 相変わらずわけのわからない組織が沢山いて、説明的なセリフが続いて、よくわからない敵が出てきて人間が勧善懲悪で立ち向かって、実は人類のほうが悪いんじゃない!?みたいな空気を醸し出しながらも子どもが戦っていく。
 日本アニメの伝統的手法・構図はまったくもって変っていない。エヴァがまったくの新作だって言った奴は誰だ。
結局ストーリーが変わっただけで「地球規模の危機の中心が日本だ」とか「ロボットアニメは反戦のメッセージが入っている」というゲッターロボガンダム的構図はなにも変わっていない。
 それどころか戦闘シーンの描写はどちらかというと人間的・生物的にシフトし、ところどころに前作でも見られた「捕食」のようなグロテスクなシーンが劇場版ではミスマッチな手法で強調される。これは従来の化学兵器やロボット兵器でなく、生物兵器に対しての危機感・バイオテロに対しての危機感みたいなのが想定されてるんだろうけれども、ただ黒幕の見えない"倒すべき得体のしれない敵たち"は反戦へのメッセージ性を極端に下げ、教訓を見失う。さらに前作ではエヴァの世界観の謎を解くカギとして語られていたセリフたちが、今回は厨二病たちの教訓の押し付け合いのような、キーワードを拾って連想してしゃべる対話にならない対話として描かれてしまっている。「戦うかどうかの葛藤」や「エリートも人間だ」という戦争アニメならではの意識は前面に押し出しながらも、構成として尺の短さから世界観語りに終始してしまう。矢継ぎ早な展開でいつも突然に新しいものが手に入る。テレビ版のような特徴的な無言で、もしくはBGMで語るシーンというのがほとんどなかった。ここがエヴァの一番特徴的な部分であったはずなのだが。

エヴァとの出会い

 僕は13年前、生でエヴァンゲリオンを見ていたわけだけれども、それでも帰る時間が遅くなったりしてすべての回を見たわけではない。帰宅してテレビを見ていると、静かで無機質な背景描写の中に一人包帯を巻いた少女が林原めぐみの声でごにょごにょ言っていた。映画も劇場で見たわけではない。数年前に深夜枠の再放送で地上波放送分を補い、映画はアニメチャンネルでぼーっと見た。
 僕自身、13年前のTV版エヴァ放送当時は「アニメフリーク」というより「声優オタク」で林原めぐみの大ファンであった。その一環で林原アニメをひたすらにチェックし続けるという日々で、エヴァも当然林原アニメの一つとして認識していた。一方で「にわかアニメおたく」としてアニメの歴史も技術も裏方も知らないくせにエヴァの世界観だけ語る人のように呼ばれるのがいやで、実際にまわりにもそんな奴が沢山いて、気持ち悪いと思ってエヴァだけはわざと避けていた。エヴァが放映し終わる頃、夕方や昼のワイドショーでこの「アニメがスゴイ!」みたいな特集が組まれ、アイデンティティを模索中の多感な時期だった僕はテレビに映るあの行列に加えられることを忌避した。やがて興味はエヴァ自身でなくエヴァにはまる人たちに移ったため、純粋に受け入れるようにはなったが、GAINAXを認め出したのは「カレカノ」以降である。今思えばGAINAXに罪はなく、GAINAXは尊敬すべき対象ですらあったのだが。

前作との違い

キメラ的リメイク

カレカノ」こと「彼氏彼女の事情」は津田雅美原作のラブコメディ漫画だ。今回劇場版ヱヴァをエンターテイメント作品として前作から昇華させるのに取った手法が、この「カレカノ」を取りこむことじゃないかと思った。劇場版の作中「日常」のシーンのBGMは鷺巣詩郎のあれ。
 彼氏彼女の事情というアニメは「日常」の場面において、様々な出来事からの「学習」と「発達」、すなわち「成長」する心理描写を丁寧に描く作品であった。表現自体もアニメに漫画のカットを入れたり風景描写がリアルであったり、さまざまな試みが行われた作品であった。一方で前作エヴァは主人公たちは「適応」はするが「成長」はしない。少年たちは年もとらなければ性格も何も変わらない。
 ヱヴァの中で描かれるのはおおきく分けて「日常」と「戦闘」の2つであるが、「日常」は「カレカノ」を取りこんで進化した。日常の中に「適応」だけでなく「発見」と「成長」を詰め込もうとした。しかし一方でカレカノもさることながら、「日常」に使われるBGMのタイトルは「天下泰平」だったり「平穏無事」だったりするのだ。成長を求めながらもいつもどおりの平穏な「日常」を求める。音楽一つの中にそんな矛盾が込められている。肝心の場所で使われている音楽のタイトルが何であるのか、これを意識しながら「日常」のシーンを見ることも面白いかもしれない。いやアベノ橋グレンラガンもLOVE&POPも、いろんなものを吸収して捕食して出来上がったのがヱヴァだというのは、ファンでなくともすぐに見て取れた。

自己選択・自己決定の世代

 主人公シンジの性格が大きく変わったというのは鈴木謙介氏をはじめとした社会学者がとにかく語っている。昔のエヴァ機能不全家族に育てられたAC的特徴をキャラクターたちに与えたが今回のエヴァは子どもたちが自己選択・自己決定をしていくというもの。同時に自己決定自己選択を強いるオトナ達がそこに出てくるわけで、非常に不愉快極まりない、自己啓発ビデオを見ているような気分にさえなった。作中ひたすら「手を伸ばさなければ掴めない」とか「あがけば必ずいい未来が来る」的な精神論を繰り返し「自己決定せよ」とプレッシャーをかけ続けるわけである。精神論だけの教訓など僕らは欲していないのだが、一方でこのような言葉に救われるもの、触発されるものが少ないとは言い切れない。親子関係に描かれていた「主題」が「つながり」から「自己選択・自己決定」に移ったのであり、見たくもない現実に出あわされたようないやな思いをした。

変わらないもの

 気になった点は「学校」の描き方が変わらないということである。高度経済成長期に大量に建て増しされたコンクリート性の学校に、今でも学校で使われる机といす、壁には円形の掃除当番評、後ろの黒板には時間割と授業内容と落書き。違う未来っぽいところといえばPCタブレットが授業に導入されているくらいだが、これも現場教員の感覚からはしばらくはあり得ないことだろう。何年経とうと変わらない「子ども像」がそこに表現されており、ここの部分こそエヴァ全編に通じる核心、すなわちピーターパンシンドロームなのかもしれない。「大人にはなりたくない、でも成長したい」と叫ぶ子どもたち、いや大人たちの代弁とも言える。それが今回のyou can(not) advancedというサブタイトルの意味ではないか。アスカがひたすらワンダースワンで遊んでいるシーンに、製作者たちは何を投影したかったのだろう。
 思えば、学校という空間は13年前から大きく変わった。エヴァを通じてか社会現象からか、ACなどの機能不全家族の中で育った子供、池田小の無差別殺傷事件、フリースクールの増設、学校は子どもたちが「反抗しながらも統合し成長する場所」から「子どもたちを(親すらからも)守り、隔離し、アイデンティティを持つための経験を与える場所」となった。
 

振る舞いの世代

 だが一つだけ少し共感できないところは、エヴァに登場するチルドレンたちの描写である。主人公であるシンジは相変わらずなのだが現代の子供たちとまた違ったお利口さんぶりを見せる。逆に現代の子どもたちを僕は「振る舞いの世代」と呼んでいる。平成生まれの子どもたちは、皆「何が正しいかわからない」中で生まれ育ってきた。そのため核心はないが、「こうふるまえば大人たちが喜ぶ」を行動軸に据え、ひたすら大人たちが喜ぶよう振舞うのだ。それが強いて当てはまるのがレイである。レイはそれなりに忠実に現代の中高生像を描きだしている唯一のキャラである。アスカは10年前と同じ、トップであることでしか自分をアイデンティファイできない甘えん坊の子どもであるし、新キャラはひたすら独り言が多いタダの厨二病少女である。
 シンジの行動はと言えば、現代の大学生位が迫られる自己決定・自己選択しかない環境をそのまま与えられた状態となる。その中でシンジは叫ぶ。何を叫ぶかは劇場に行けば分かるしそこらへんのブログにネタばれとか言ってひたすら書いてあると思う。
 
 ともかく作者側の描く「成長したいけど大人になりたくない」ピーターパンシンドロームに踊らされ、前作を踏まえたファンにしか分からないような内輪受けの内容に終始し、結果タダのロボットフリーク、ファンタジーフリーク、巨乳萌え、婦女子向けの「アッー!!!」と、何ともクオリティの高い壮大な自分語りを見せられた気分。今の時点では評価しようがないというのが率直な感想なのであるが、次回作「Q」ではもっとトンデモな展開が来るのは目に見えているし、Q(大抵はクエスチョンを意味する)あたりからも新しい世界観の謎はとかれないままに終わってしまうことも予想される。
 少なくとも次回作を見てもファンたちの「トラウマ」とやらは改称されないだろうが、ファンたちはそれが楽しいのだろう。7月3日にヱヴァンゲリヲン:序があるらしいので


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