サブカルコンテンツとしての教師-書評-中学教師裏物語

本書は現役中学校教師が書いたリアルな現場レポート。現場を経験した人間なら頷かざるを得ない事実ばかりが網羅されている。
本書の主張は単純明快。

本書オビより

聖職だとはいうけれど、先生だって人間なのだ

とひたすら気づかせてくれる一冊。本屋の教育書の欄ではなくサブカル書の欄に置いてあったものを見つけ購入した。
特に難しい専門用語も使わず説教的な内容も少なく、誰でも楽しんで読めると言った工夫がなされていて、さすが教員の仕事だなぁといった感想。



「入るときは子ども、出ていく時は大人」という人間のもっとも特殊な時期を扱う中学校ならではの下世話な話が展開する。

  • 教師と生徒の恋愛は多いのか?
  • 教員の給与は高いのか?
  • いじめはこの10年でどうかわったのか?
  • ゆとり教育の本当の目的は?
  • 教員の忘年会ってどうなってんの?
  • 教員って副業ありなの?
  • 先生の出会いの場ってどこにあるの?
  • トンデモ教師、M教師って実際に多いの?

と言った本当に地に足のついた質問に対する一つの"事実"が本書にはつらつらと書かれている。
 その内容については本書を手にとってもらうとしてここでは一点、著者による現場からの実感を紹介したい。

公務員化する教師

 本書の内容で一番興味を持ったのは教員の仕事の評価についてである。
現場においてみんなにも知っておいてほしいのは教員の仕事はどれだけ授業技術があろうと高い評価を得ることはない

以前なら「教師は可もあり不可もあり」でいいとされた。全てにおいて不得手な先生ではもちろん問題ありですが、不得意もあるが並外れて優れたところがあれば、それでもいいじゃないかという考え方です。「優や良があればふかがあってもいいだろう」というわけです。
 ところが、それではダメだと言うのが最近の論調。よい分にはかまわないけれど、マイナス部分はあってはならない、という主張です。だから、評価が5つあったとして、2つが優で2つが可、一つだけ不可という先生と、全てが可という先生はどちらが優れているか。以前なら当然前者だったわけですが、最近では絶対に後者です。なぜなら、能力にばらつきがあり、しかも不可がある先生はそれだけで欠陥教師の烙印を押されてしまいます。

2倍3倍の仕事をしても評価が上がるわけではない(し当然給与が上がるわけでもない)、著者はこれを時代遅れの原点主義で『役人体質』の強化である、と指摘する。

校長は支店長

 僕らがドラマで見たような熱血校長はもう一握りしか居ない。生徒や学校の教員のために責任を請け負います、教員が動きやすいように教育委員会に働きかけます、という話を最近はきかない。そして校長の実態は「指導」は得意だが組織運営は苦手。

 21世紀の現在、単に「気に入らない」というだけの理由で部下である教師個人を転勤させてしまうなんて、まるで漫画家テレビドラマのようだと思うかもしれませんが、そうしたことは実際に横行している。実際の学校の現場にはそれほど前近代的なところがいくつものこっているのです。
 以前は校長が「あの先生は欠点もあるが見所もある」と評価してくれるケースもありました。デモ校長が完全に支店長となってしまった現在では、個性や主張は帰って邪魔なだけです。
 要するに、出世がしたかったら自分としての思考を停止し、決められたことだけをして、上の人の言うことだけを「ハイ、ハイ」と聞くことからはじめなくてはなりません。そうすれば、出世の道は自ずと開けていくでしょう。

と、出世するには自分を殺してしまえばよい事を赤裸々に書いている。

構造の欠陥を指摘しなければ変わらない

 結局我々がいくら教員はこれだからダメなのだ!!と叫んでも、教員は日々の書類作成に忙殺され、研修や出張に忙殺され、部活や生徒指導に忙殺され、クレーム処理に忙殺され、あまりの時間に自己研鑽しようとは思わない。休日にも家族がいれば家族サービスをしようと思うだろうし、僕の周りでは年休1日という先生も多い。その中で、とにかく保護者や近隣のクレームにへこへこ従い、決められた以上の仕事をしない要領のよい人だけが出世していく。

 決められた以上の仕事をしない人が出世していくのを見ていれば、自分なりの哲学や主張を固めた職人肌の教員でなければ、「何でおれ出世もしないのに仕事視点だろう、ばかばかしい」と思い、仕事の手を適度に抜くことを覚えようとするのは当然あり得ることだ。

 教育の世界の問題は「やらない(やるのが苦手な)人をやらせる」仕組みを重視しすぎたせいで「やりたい人がやれない」仕組みにまで発展してしまった。その結果教育の質が落ち、世間のあらゆる不満や失敗の原因が教育に向き、さらに『役人体質』を強化し、教員達は殻に閉じこもる。

 教育の専門家じゃなく、地域が学校を主導するといったばかげた会議も増えてきているし、教育なんとか会議を県単位で作ろうとしている知事もいるし、本当に勘弁してほしいと思う。何度も言う、「教員なんて○○な人種だからな」、「今の中学生は道徳が・・・」などと人を責めていても何も買わないどころか、現場は真摯に受け止めすぎるきらいがあるため、より忙しく、より質が悪化する。

 「人を責めるんじゃなくシステムを攻めること」を中間層の人間がどれだけ声高に言えるかこそが重要で、「教員の正義感」を信頼し、「教員の失敗」に寛容になり、仲間の教員が教員と生徒の「失敗をフォロー」する体制をどれだけ作れるか、「チームプレイ」や「共同体作り」が現場での再生へのキーワードとなるのだが、それは今後また記事にまとめたい。
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