amazonで500万円の小3漢字ドリルが発売!!これは点数取れそう!!

タイトルはまとめブログ風に。amazonで教育書籍を漁っていると遭遇。
まずは18万円の古典の参考書、28年前の。

新 古文要説 2―日記文学篇 (駿台受験叢書)
桑原 岩雄
駿台文庫
売り上げランキング: 946505

999,997万円の有名私立ガイド。微妙に100万円に達しないところが憎い。これ持ってると私立受験に成功する魔法の本なのかとおもいきやどうやら制服マニアの方々に需要がある様子。リンク先をクリックすると表紙が見れます。そんなに可愛いか?


そして560万円の小学3年生向け漢字ドリル。2003年度版。高額商品で最高値がこれでした。画像すらはってないからどんなものかもわからないけど、誰か買うんでしょうか。。。

参考:http://www.amazon.co.jp/gp/search/ref=sr_nr_p_36_0?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&bbn=3148931&sort=-price&qid=1348377641&rh=n%3A465392%2Cp_n_condition-type%3A680579011%2Cn%3A%21465610%2Cn%3A3148931%2Cp_36%3A6000000-999999999&rnid=401004011&low-price=60%2C000&high-price=9%2C999%2C999.99&x=8&y=7

メモ:なぜ日本人は戦で盾を使わなかったのか

面白かったので保存がてらメモ

日本の戦国時代等には、なぜ盾が存在しないのでしょうか?
私が知らないだけで存在していたのでしょうか?

日本の戦国時代等には、なぜ盾が存在しないのでしょうか?私が知ら... - Yahoo!知恵袋

という問いに関するベストアンサーがこちら

置き盾なら日本でも広く用いられていました
手盾も飛鳥時代以前までは使われていたようです
ここでの質問は当然手盾のことを仰っていると思いますが念のため確認しておきます

盾が無いことの「わかりやすい一番の理由」はありません
いくつかの理由が混在して手盾が淘汰されていきました
主要な理由をピックアップしましょう

鎌倉時代以降、武士は長弓による射撃戦闘をメインにしていった】

弓は当然両手で扱います
そこで馬上の白兵戦では太刀のみを用いるようになりました
白兵戦では槍を使うはずだとおっしゃる方もいますが鎌倉時代、槍はありません
盾と同様、飛鳥時代までに廃れてしまっています
日本で槍が復活するのは室町時代以降のことになります
また薙刀鎌倉時代も盛んに使われていましたが、主に歩兵の武器でした
騎乗する位の高い武士は弓を持つなら太刀を選択するしかありませんでした
最初から白兵のみの戦いを想定して薙刀を選択するものは全体からみればわずかでした
ならば弓を扱わなくなった戦国時代には盾が復活してもよさそうなものですが、まさに戦国時代には
槍が登場していましたのでこれまた両手で扱う武器の為、盾はもてませんでした

【「置き盾」をもって移動する専門の兵士がいた】

春日権現霊験記には背中に置き盾を背負ったり手に持ったりした専門の雑兵が文字通り武士たちの盾になっている様子が描かれています。
彼らは一列に並び弓で攻撃する武士群にぴったりとくっついて彼らをガードしています。

【鎧に取り付けられた大袖を盾として使用した】
太平記には複数人の武士が密集しこの大袖を使って敵の攻撃を受け流しながら
間合いを詰めていく描写があります。
また大鎧などは弓を引き絞ったときは左の袖がちょうど上半身全体を覆うように計算されています。

【少なくとも日本が遭遇した範囲の手盾は非常に脆いものだった】

日本人同士ではありませんが鎌倉時代や戦国時代、日本は
朝鮮や明と正規不正規問わず戦をしたことがありますが、ここで盾をもった兵士達とも戦っています。
たとえば倭寇と彼らに呼ばれた武装交易商人や豪族達はほとんどのものが日本刀を用いて戦っていたようですが、
盾と剣を持って戦う大陸の兵を圧倒していたと当の中国側の多数の文献に記されています。
こういった戦果から考えれば日本の武士が「なんだやっぱり手盾は使い物にならんな」と
判断しても不思議は無いといえます。

【鎧を着ている以上盾は必要なかった】

日本ではヨーロッパと比べると非常に古くから全身鎧が用いられるようになりました。
大鎧(大鎧は板金に漆を塗った積層装甲である小冊を重層構造にしたもので一種のチョバムアーマーでした)
が用いられていた当初、例えばヨーロッパはまだ板金鎧を実用化出来ていません。
ちなみに当時のヨーロッパで用いられていた鎧は柔らかい鉄を延ばした針金で作った鎖帷子でした。
日本の鎖帷子の鎖は一個一個叩きだされた頑丈なものですが、彼らのそれはただ鉄を引き伸ばして作るため、
余り頑丈ではありませんでした。もちろん非常に高価なものは後から焼入れしたものもあったようですが一般的ではありません。
実は鎧が発達すると盾は持たなくなるという現象は世界中でよくあることなのです。
ヨーロッパでも鎧が仰々しいものになると実際命がけの白兵戦では盾は使われなくなります。
馬上やり試合のようなセレモニーは別にして、戦場においては家柄と身分を誇示するための名札のようなものになっていきました。

【武器の扱いに長けることで盾の機能を補った】

西洋にも武器術というものは当然ありますが、日本は異様なほど武器の使用技術の昇華にこだわりました。
皆さん当たり前のように日本対世界とか日本対西洋といいますが、
これは日本一国のなかだけの戦闘技術と西洋全土を比較することに何の違和感も感じてないということです。
普通ならば日本対イギリスなどのように一国同士で比較するはずですがこれでは比較にもならないと皆わかっているからです。
さて本題に戻しますと
例えば現存する主要な兵法(剣術)では武器を防具としても兼用するための様々な工夫が伝わっています。
日本刀では鎬と呼ばれるものを使った受け流しというものに非常に深く広範囲な技術を伝えています。
槍においても巻き技や突き返しなど大半の武器においてはむしろ「どんどん攻撃してくれ。いくらでも返し技につなげて見せよう」
といわんばかりのものになっています。

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amazonが学生向けに半年間書籍を10%offにするキャンペーン!

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注意が必要なのは登録後6ヶ月すると勝手に有料会員に登録され年会費1900円が発生してしまう。単純計算で書籍をamazonで年間19000円以上購入するのであればお得であるが、それ以外の場合解除の方法はこちら

他にもキャンペーン対象の本(漫画もあるよ)ブックカバーを一緒に買うとブックカバーが無料になるキャンペーンなども行っている。9月2日まで。

それからamazonfacebookページにいいねするとお米がもらえるキャンペーンも。
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「知る人ぞ知る、ご飯にあう”おかず”」を紹介することが条件。ぜひSODを紹介していただきたい。

優しい男とセックスフレンド

 草食系男子ブームも一段落し森ガールも草食系関係なしにファッションジャンルとして独立して語られるようになって、若者の恋愛の傾向も微妙に変わってきた。いろいろな若い人たち、特に大学生から恋愛相談されるが、ちょっと気づいたので書いておく。なんに気づいたかと言うと

  • 気の合う相手の決定打がない
  • 優しい人ほどセフレをつくる
  • 人を救うための交際がある

の3つである。もちろん全員が当てはまる訳ではないし地域差環境差は大きい。

 相性、「気が合う」というのをある種の神秘のように我々は語りがちである。初めてあった人と気があって、気づいたら恋に落ちてしまった、というストーリーを今でも信じている人たちは多いし追体験した人も少なくないだろう。恋愛のつながりのエビデンスを我々の多くは相性、「気が合う」に求める。しかし、気の合う、の意味が徐々に変わって来ている。
 江戸時代までは恋愛と言えば不倫を指していたし、明治に入ると無理心中=恋愛であった。戦後に日本では恋愛する相手とセックスする相手と結婚する相手が同じ相手、という世界でも珍しい文化形式ができあがり、法律もそれを前提に婚姻制度が組まれ、変遷して来た。もしくは仕事が生き甲斐、のようなワークライフバランスの偏りや経済原理に則って交際関係を一人の人に集中すれば経済的であることや教育費がたかいことなど様々な要素が考えられる。文化的バブルの時期にはお金に余裕がある層を取り扱った不倫ドラマがいくつもつくられた。
 平成に入り離婚理由の中で高い位置に夜の生活関係のものがあげられ、婚姻関係におけるセックスレスと、性的な経験が浅い層にすら恋愛における体の相性が重要な要素として認識されるようになった。
 並行して進んで来たフォーディズムと消費社会化も重要である。人を判断するときに、「消費」は欠かせない。何を身につけているか、どう消費しているかが人格の判断に大きな要素であった。贅沢は無駄遣いの象徴であったし今は仕事ができる人は遊びがうまいなどと称されることもある。節制は堅実かケチかは時代や人の判断によるところであるが、メディアは消費を煽るためにケチな男を批判して来た。消費は奉仕の姿勢と相関すると考えらるようになったのである。
 しかし最近を見てみると、消費で簡単に人を判断できない状態にある。テレビが好き、スポーツが好き、音楽が好き、アニメが好き、ゲームが好き、ファッションが好き、ある程度金を出せばいくつも簡単に手に入れることができ、そこそこの話術さえあればどんな内容でも面白く話すことができる。その中で人は他者に承認してもらうために他人と自分を差異化しようとよりマニアックになっていこうとするし、コンテンツもより多様化細分化テンプレ化して行くことは以前指摘した。ここでは若者の恋愛の話をしているので、成熟したマニアックすぎる人は想定していないし、そういう世界で戦ってる人は恋愛市場に参入しないパターンも結構見て来た。
 また相性を測るための<人格>も拡散している。ゼロ年代ソーシャルネットワークサービスの発生と派生。SNSをいくつか使っている人たちなら、mixitwitterfacebookなど出している顔が違うことなど様々な人が指摘しているし、ユーザがキャラを統一しづらい状況が進んでいる。人格なんてどれが本当かわからん状態が進む。本当の自分探しが進む。
 いろんな属性嗜好人格と、複雑な情報が可視化された結果、総合的な判断を行うより、いろんな要素のどれか一つあう方ことを強調した方が円滑にコミュニケーションは進む。4、5個要素があえばもう相性がいい友達、である。相性の良さは簡単に作り出すことができるようになったし、相性をあわせることが簡単であれば、あとは人との出会いの流動性次第で簡単に恋愛は成立する。逆に流動性が低い中しか恋愛は成立しないし、流動性の高い(出会いの多い環境での)恋愛においては何をベットしたかが大きな要素として働く。

 若者の博愛主義化が進んでいると言う。好きな相手であれば別に付き合ってなくても一夜限りの関係やセックスフレンドとして関係を持ち続けるそうである。もしそうだとしても、それはいつの間にか規範化され、少年漫画で大事にしてきた、何かプロジェクトを成し遂げ、好きな人に告白し、結ばれる、というプロトコルを踏める人が限られていることに由来するとしか考えられない。大学生なんかに自己が成長し恋愛に影響するようなプロジェクトなどめったに与えられない。この相手を救おうとしてそのうえ好きかもと思える相手との相性はいいと思えるが、本当にこの相手でいいのか、常に不安がつきまとう。
 何か大きなモノをベットできる環境も相手もそうそういないのである。そうすると不思議なことに自己肯定感の低さからか、このことについて交際相手に申し訳ないと思う若者は多い。お互いに「付き合って」と言うことに躊躇するのである。もしくは付き合っている状況に不安や申し訳を感じる。「もしかしたらもっと相性の良い運命の人がいるかもしれない。相手もそう思っているかもしれない。自分でいいのか自信がない、束縛するのはおこがましい」自覚的か無自覚かは別だがそんな感覚が若者にはある。それが臆病とも言えるし優しさとも言える。なので付き合うことには躊躇しつつも、やっていることは恋愛の様式、というパターンが増えているように感じる。旧来のセックスフレンドのように、お金に余裕ができた管理職クラスが愛人を囲ったり、都合のいい相手に都合の良いタイミングで呼び出され、ことをすませて終わり、と言うドラマのような関係は前時代的で、いまや一部のメンヘラが自尊心を維持するか自傷行為の代わりにセックスを行っているだけにすぎない。
 セックスフレンドと一緒に食事に言ったり、ディズニーデートをしたり、ドライブに行ったり、嫉妬をしたり、足りないのは「付き合ってください」という儀礼や「付き合う」という契約なのである。
 では付き合うと言う契約はいつ行うか。その不思議なことにこれらの優しい人たちは優しさを発揮できたときに、付き合う。先ほど言ったプロジェクトを成し遂げたときなのだが、これがまた変わっている。精神的に安定しない子が泣いているときや、失恋の慰めの代わりに「俺が付き合うから」というパターンが散見される。俺がいるから、俺がお前を支えるから、と言うタイミングに告白する。それが一番お互いの承認を満たせるタイミングであり、場合によっては恋愛の様式で付き合っていたセックスフレンドすら切って別の恋人と付き合ったり結婚したりする。
 彼らは人を救いたいのである。社会貢献意識や学生運動マインドの延長で、長い期間、人生の一部を賭けて人を救おうとする。しかし、社会貢献と違うのは、相手と二人キリの関係、共依存関係を結ぼうとする。冷静にそういう状態じゃないか?と問いかけてみると、確かにそうだ、少しおかしい気がする、と抜け出そうとするのだが、彼らにとって恋愛が人を救うプロジェクトでフロー状態である以上なかなか客観的に自分を見れず、常に違和感を抱えながら恋愛をし、衝動的にわかれと出会いを繰り返す。
 まだまだそういうクラスタがいると気づいただけなので経過観察を続ける必要があるが、付き合う、の意味が変わった世代が存在することを受け入れ、その意味がどう変わったかを生暖かく見守っていく必要がある。

こだわらなければ40型テレビは4万円以下で手に入る

40型テレビが届いた。3年ぶりくらいにテレビのある生活をする。しかしこの映像の見やすさと安さはもっと知られるべきやでホンマ。
 7月末くらいから秋葉原の中古家電屋をほぼ毎日回り、webでの価格チェックも1週間くらいしてみたが、テレビは24型を越えると1インチあたりの値段が1000円を下るものはコストパフォーマンスがよいと判断できる。また、薄型テレビは液晶とプラズマがあるのだけれど、特にプラズマテレビは危険で、中古で安いものが出回っているものの消費電力がエアコン並みやそれを越えるとの報告もあるためあまりオススメできない。
 また、国内産メーカーのテレビのほとんどはHDDやblu-rayプレーヤなどの機能がついている分高いと言うものが多い、モノにもよるが、外付けHDDやプレーヤを別で用意して備え付けた方が安くついたりする。今回購入したのもそんなやつだった。

 テレビだけは大きなモノが欲しいと思い、思い切って購入したのはこちら。amazonだと手数料込み4万を越えるが、価格コムだと代引き手数料込み37k前後で購入できた。ただしamazonより安いサイトは会員登録が必要なので少々面倒くさい。あと面白かったのが37型の方が値段や相場が高く、この一品だけストンと値段が落ちてるのでまさに掘り出し物状態。
価格.com - オリオン DU403-B1 [40インチ] 価格比較
 アンテナケーブルは別売りだったが、それ込みでも国内産40型以上で4万円を切るコスパのテレビは今のところ他に見当たらない。microSDサイズのB-casカードもついて来た(中古で買う場合は2000円かけて申請しなければならない)。
 VGAコードでPCの映像を映してみたが、長い辺が1mの大画面はとても快適。土台がプラスチック製で少し心もとない部分と、電源ボタンを押して映像が表示されるまで3秒程度、チャンネル買えるのも1秒くらい末のは少しストレスだが、あまりテレビ番組にこだわりがないので映画を見たりニュース番組や放送大学を垂れ流しにするくらいで、今のところ快適に使えている。市場に出回っている32型と同じ値段で40型が買えることやこのコスパはもっと知られるべきだと思う。何か不具合が出たらまた報告エントリーをあげたい。
 

萌えと寛容-C82参加記録-

 夏コミ3日目に参加して来た。忘れないうちに簡単にメモ。
 ツイッターでオタク研究家を名乗りだして2年、その実最前線でオタクとして情報戦を戦うことを離脱したただのヲッチャーなのだけれど、オタクが変わったと言うよりはオタクを取り巻くものが次々と分析され徐々にデザインとしてブラッシュアップされているのであるなーと感じる。企業ブースなどは売り物だけでなく売り方までちゃんと考えて作られているし、コスプレも無理矢理ガムテープで谷間つくって女子同士で触りあったり、スク水の下に縞パン履いちゃう、くらいにこれでもかと言うくらいにブヒり要素を突っ込んで来てこれって素直に興奮していいの?と考えさせるほどであった。
 それから商業的経済学的な力学は強いなと思うのである。万単位で生産される「限定版」とか、欲しいものを手に入れるためのチーム戦や情報戦など、その力学が、楽しみ方の幅をこれでもかと言うくらいに増やしているし、とはいっても従来的な楽しみの発想から飛び抜けるようなアーリーアダプターなヲタ層もまだ少ない。

オタクはエコノミックアニマル

 コミケは生き生きしている。多分それは普段抑圧とか阻害とかにさらされているヲタにとっての、あらゆる欲望の解放区であるからという形でよく語られるのだけれど、ある種の規範からの解放と自分達でルールを作り自分達で守ると言う承認のマッチポンプが程よくデザインされた場であり、そこで創作や消費を行い、それとお金を交換できる究極の市場であることが大きい。マジで自分の利益に対し合理的に働いている数少ない市場だ、エコノミックアニマルここに極まれり。
 そもそも「萌え」という言葉の浸透が大きい。変遷をたどると、元々NHKの恐竜アニメの主人公の萌えチャンに対しての、当時はブヒり言葉の一つとして派生したというジュラトリッパー説から始まり、可愛い以上性欲未満を表す言葉としてあった「萌え」は、ゼロ年代半ばから、次第に可愛くて性欲を喚起する記号としてテレビに取り上げられ一般に普及し今に至る。この勘違いが大きい。
 「萌え」は記号であり、記号はデータベース化される。昨今のコンテンツでは、女の子が出てくる作品で中高生〜青年向けのものであれば、どの作品もかならずユーザが気に入る女の子が入るよう計算されてキャラ設定がなされている。作品論を語りたいのではない。
 これがよりマスな商業主義に載ることで、ある種「萌えるよね?だから買ってね、好きなだけ萌えていいから」という寛容の構造を生み出した。ある種の欲望の喚起がデザインされ、欲望の解放をお金と交換することで包摂する。このキャラ可愛いよね?グッズ揃えませんか?というメッセージが強力に発信され、それらを持っていることがオタクの世界やそれと親和性のあるネットの世界ではある種のステータスとして機能する。別に萌えに限らずともコンプガチャの流行だってこの仕組みがうまく取り上げられ、かつ参加の敷居が下がったことが大きい。拝金主義と思うなかれ、安いお金で承認が買えるのであればそれは社会が豊かな証拠でもある。

コミケと第3の波

 コミケは普段マイノリティと思われるオタクたちが主役として活躍できる場である。誰しもがコンシューマーとして、誰しもがクリエイターとして参加できるようになっている。同人誌でも、グッズや製作物でも、コスプレでも、売り子であり買い手としても参加する姿は古くから見られる。技術の発達によりその参加人口は年々増加しているし、最近の一眼レフカメラの流行もあって、カメラぶら下げてコスプレ写真撮られて少ししたらカメコに回る、みたいな楽しみ方をしている人たちが割と沢山いる。これらのプロシューマーとしてのコミケ参加者が年々徐々に増えて来ている印象で、買う側と売る側、と言う単純な構造ではもう語れない。
 この誰でもちょっと訓練すれば売る側に回れる、という逆転の可能性がコミケ参加者にもたらすものは大きい。ヒエラルキーは場に宿り、コミケの場のヒエラルキーではクリエイターが一番上に来て、その次に情報に強い人たち、そして買いに走る人たち、がくる。普段学校や会社のヒエラルキーの中でそこまで目立たないオタク達があるジャンルの貴重な情報を得たり、作り手に回ることで自分の部屋にしかなかった王国の領地を増やせるどころか一攫千金のチャンスさえも開かれている。いわば少し訓練して発想を形にするために最低限テキストさえ打てれば逆転を目指せる場、という側面もコミケは有するのである。しかも参加者の母数が桁違いなので、参加して間もない状態で予想以上に売れると言うビギナーズラックも存在するとかしないとか。
 

中くらいの物語

 10万人単位で現実に同じものを求めて人が集まる場は、いまや地方の花火大会なんかの祭りか音楽フェスかコミケか、特例として教育現場くらいしか存在しない。その中でもフェスやコミケは趣味という内的動機付けのために集まった同志がいて、それぞれが自由に消費しながら大きな市場を形作る。大きな市場によるおおきな収益は国にも(例えば税金や特需などの)富をもたらすことで歓迎される。最近は大手企業もブースを出展し、売り上げ総額は数百億と言われ、その数パーセントが税金として入ってきても数億円の税収が見込める。
 国ほどの大きな共同体を動かせる訳でもないが、個人個人の志向があつまって相当数の人たちが逆転の機会を手にする、いわば大きな物語でも小さな物語でもない、中くらいの物語がそこに存在する。ヒッピー文化と形容するのは語弊があるがある種の自由と解放と逆転への期待がまだまだ存在する場として、これからも大きくなって行くだろうし、オタクの社会的な認識も徐々にまた変遷をたどるだろう。
 余談だがコミケ会場やコミケ後の秋葉原には子連れの姿がちらほら目立った。徐々にオタク文化が家族で楽しむもの、として形を変えてくるころだと予想しておこう。


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25年位前の日本

まだ読書中だけど冒頭の文章に笑ったので紹介。この文章が書かれたのが1983年だという。

 いま、世界不況は相当に厳しいようです。すでに経済低迷の時代が長く続き、先行きの明るい見通しもなかなかもてそうにない。その不況が他人事でなく、日本に波及してきました。直接の原因は、周知のように輸出の伸び悩み、どころか減少傾向さえ出てきたことにあります。つくづく、日本経済は輸出依存体質なのだと改めて思い知らされます。
 いっぽう、内需も思わしくない。金はあるはずだけど、消費者はなにしろ買ってくれないのです。すでに必要なものはほとんど揃って、家の中に"物"は溢れており、買っても、置くスペースもない。それに、どうしても買いたいという魅力ある商品がなかなか生まれてこないのです。
 この経済の低迷が、学生の就職にも大きな影響を及ぼし始めました。この二〜三年、大学新卒を採用するのにとても積極的であった企業が、一転して慎重になってきたのです。前年よりも採用人数を減らす企業が大半です。

 昨今の経済ニュースと見比べてみると非常に感慨深い。出典は以下。本書は文系理系問題も扱っているので(といっても昨今の綺麗に切り分けられないブログ論談と変わらないレベル)また後日書評したい

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