「態度は硬いけれど、芯がない」今マカロニ女子が急増中!!

 巷を騒がせているマカロニ女子とは、男性や仲のよい友達意外に対し

  • 乾いて頑固な態度を取ってしまう
  • 芯がないので行動に一貫性がない
  • 興奮してゆで上がるとすぐふにゃふにゃになる

 女子のことをいい、女子大生やOLに続き増殖中だ。
 以前は男子は草食化、女子は肉食化してきているという話が話題になってきたが、どうやら肉食化とは裏腹なもので、強く見られたい、芯がないのがばれたくないというマカロニ心理が働いている様子だ。
 どうやら自分を引き立ててくれる調理師系男子と相性がいい様子。熱しすぎて焦げるような恋はできないけど塩加減ばっちりのクリーミーな恋愛を提供してくれるはずだ。
 脳の専門家によると。料理ができる男性は全体を見渡したり同時に仕事をこなすことが得意な場合が多いらしい。
 外見、容姿ではなく、得意料理や仕事やサークルでのポジションを聞いてみるのもいいかも!
 同系列で、芯はあるけどねじれてるフィジーリ系女子や、芯はあるけど細くて折れやすいスパゲティ女子なんかも存在する。

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世界一あたる心理テストのからくり

 上記のような記事にあてはまる、と思った人も、またこの手の話かよ、と思ってブラウザやタブを閉じようとした人も多いだろう。適当につくった。女子でも男子でもよかった。当てはまる性格診断といえば最近はfacebookで世界一あたる心理テストが流行しており、流れてくることが多くなった。上記のような内容もそうであるが、心理テストやこうした性格判断は客観的な正確性を担保しない。
感情自体起伏のあるもので、感情をベースにした語り方はこつさえつかめば大体の人に当てはまるようになる。それが自分にものすごく当てはまって感じるような心理効果のことをバーナム効果という。

フォアの実験

1948年、フォアは学生たちに性格について心理検査を実施し、その検査の結果に基づく分析と称して下記の文を与えた。

  • あなたは他人から好かれたい、賞賛してほしいと思っており、それにかかわらず自己を批判する傾向にあります。
  • また、あなたは弱みを持っているときでも、それを普段は克服することができます。
  • あなたは使われず生かしきれていない才能をかなり持っています。
  • 外見的には規律正しく自制的ですが、内心ではくよくよしたり不安になる傾向があります。
  • 正しい判断や正しい行動をしたのかどうか真剣な疑問を持つときがあります。
  • あなたはある程度の変化や多様性を好み、制約や限界に直面したときには不満を抱きます。
  • そのうえ、あなたは独自の考えを持っていることを誇りに思い、十分な根拠もない他人の意見を聞き入れることはありません。
  • しかし、あなたは他人に自分のことをさらけ出しすぎるのも賢明でないことにも気付いています。
  • あなたは外向的・社交的で愛想がよいときもありますが、その一方で内向的で用心深く遠慮がちなときもあります。
  • あなたの願望にはやや非現実的な傾向のものもあります。

フォアはこの文章を星座占いの文章を組み合わせて作文したのであった。フォアは学生たちに分析がどれだけ自分にあてはまっているかを0(まったく異なる)から5(非常に正確)の段階でそれぞれに評価させた。このときの平均点は4.26であった。その後、フォアはどの学生にも上記のようなまったく同じ分析を与えていたと種明かしをした。<<

バーナム効果 - Wikipedia

驚くべきことにこのテストは、いろんなところで再試験がなされ、8割〜9割がたの人間が当たっている、と感じるのだという。占いも心理テストも性格占いも、こうしたあいまいな言葉を使うノウハウさえ応用すれば、主観的な正確性を高めることができ、簡単に信頼を得ることができる。別にそれ自体を批判したいわけではない。人をコントロールしようと紺もテクニックを使うのであれば批判されるべきだが、海外ではこれをわかった上で「きっとうまくいく」「慎重にやったほうがいい」など、背中を押すための占いがカウンセリングとして行われているという。

自分を消費するためのアイデンティティゲーム

 ○○ガールや○○女子のような言葉は一時期爆発的に出てきた。森ガールのようにファッションとして定着したものは珍しく、今でもたまにぽっと出てきては消えていく。
 これらの言葉は、言葉を求めている彼ら彼女らのアイデンティティを与えようとするが、バーナム効果のように誰にでも当てはまりそうなものや、自分の信条を宣言するようなものばかりである。はやり始めはセンセーショナルに感じるものの、最終的には言い訳として使われるようになり、「しらけ」がうまれ、言葉遊びとしてだれウマゲームとなり消費されていく。しかし、その消費の裏にはもっと大枠の若者のアイデンティティゲームが存在する。彼らは躍起になって個性を求め走り続けている。自己を形容する言葉を発し、自己の選民生をアピールし、必死に特別感を演出しようとする。別にそれは歌や教育が個性を求めたからそうあろうとするのではない。その裏には若者たちが個性で目立つことで大きな力に選抜されたい、包摂されたい、排除されたくないという焦燥感を生み出す社会構造がある。できるだけ斬新な自己を見出しアピールすることで、選抜可能性を高める必要があるのである。
 メディアを見る限り、頭が悪くても性格が悪くても活躍しているタレントは山ほどいる。頭が悪くても「キャラが立っていれば」「アイデンティティさえあれば」誰かテレビや新聞のような大きな力がピックアップしてくれて今とは違う世界にいけるかもしれない。新しい言葉で自分を形容し、いままで得られなかった評価を得ることで、新しい世界が開けるのではないか。そんなささやかな欲望が、彼ら彼女らに自己を形容する言葉や自己を奮い立たせる言葉ばかりを集めさせるのである。

新ニッポンの逆転思想

 人の大きな判断基準はほとんどが選抜思想も含めた逆転思想から生まれていると思っている。
 漫画も音楽もお笑いもオタクもアイドルもマイナースポーツもサークル感覚起業もノマドもプロブロガーもすべて逆転を狙う人々の生み出した現象である。ましてや、若者は少子化を背景に無意識に競争を強いられ息苦しさを感じている。そんなに大きな階層上昇なんかしなくてもいい、今より他人より少しよい環境で生きれたらそれでいい。上司に自分も自覚していなかった才能を見出されて仕事を任され自分しかできない仕事をする。自分でも気づいていなかった自分の魅力を引き出されそのまま結婚。ニコ動で歌を歌っていれば業界の人が掘り出して鍛えて有名にしてくれる。大勢の人と絡んでいればいつか(ステータスの高い)王子様にあえるかもしれない。逆転したいからアイドルのように振舞う。逆転したいから意識高く振舞う。蓄積され卓越したノウハウと、一見ほのぼのした体裁で不安ばかりあおるクズのようなコンセプトでプロモーションされ続けた結果、人々は階層固定を恐怖し、万が一に備え教養を必死にためようとし、テレビ欄にはランキング番組と教養番組ばかりが並ぶようになる。学歴中は自分の逆転可能性を少しでもあげながら、排除される不安を隠すために、他人の階層を固定するような発言を繰り返す。持てる者が失っていく様をメシウマと形容し、自分の逆転の可能性があがったことを喜ぶ。別にゼロサムゲームでもないのに。
 J-POPには競争から抜け出したい、(逆転のために)決断しよう、という歌が怨嗟のように繰り返される。「最後の恋にしたい」「気持ち伝えたい」これらのフレーズを階層固定や階層逆転の視点からもう一度見つめなおすのも、面白いかもしれない。

逆転を信じるために神秘を信じる

 何もとりえがない(自己評価の低い)自分が誰かに見初められ逆転していくシンデレラストーリーは美しく映る。
 また、大学でも企業でもいい、努力をして大きな力のある組織に選抜されるストーリーも人の胸を打つ。新自由主義は、多くのことを神の見えざる手(市場原理)に任せて最適化しようという思想だが、神の見えざる手が人によって運営されている以上、たまに不思議なイレギュラーを起こし、「なんでもない私」をある日突然お姫様に変身させてくれるという逆転可能性を提供してくれる。
 長期的な努力をするには資本もいる。技術もいる。人脈も必要かもしれない。笑い事ではない、毎日15分座って落ち着いて本を読める人間は、世の中に驚くほど少ない。彼らにとってこの信仰は、昔から非常に重要な意味を持ってきた。
 神秘や軌跡が起きる、相対的に力のない若者たちは信じなければならない。信じなければ、逆転という救いがなくなってしまう。神がかり的な力は、いつか自分の階層をとんとん拍子に押し上げてくれるかもしれない。別に科学的な知識がないとかリテラシーがないとかそういう話ではないのである。奇跡も運命も神秘も、不思議な力で僕を救ってくれる可能性があるものは、彼ら彼女らはむやみに否定できないのである。
 

日本には逆転の手段が足りない

 繰り返そう、冒頭の話は釣りだし、こんな根拠の薄い話でも逆転したい境遇にある若者はむやみに否定できない、否定できないが毒にも薬にもならないまま自己アピールに使い、言葉を消費しては救いを待とうとする。
 先日行われたアイドルAKB48の人気投票でランキングを決める総選挙ではぜんぜんアイドル顔でもパフォーマンスがうまいわけでもない汚れキャラが一位になった。あの舞台を見ていると、前田敦子はキリストを超えたわけではない、ファンたちが神になったのだなと最近思うようになった。彼らは神の見えざる手で、彼女たちの逆転のチャンス作りにコミットし、アイドルに自己を投影し、自分たちの力で選抜/逆転が可能な世界を作ろうとしているのだ。
 現在の日本は、逆転の手段が圧倒的に少ないのではないかと考える。会社員も公務員も安定を揺るがされ、労働を求める人たちは安全パイを奪い合う競争に常にさらされる。競争である以上、隣の人間の足を引っ張るのも自分が逆転をするための手段となってしまう。起業リスクや金融の投資リスクも大々的に喧伝され、リスクをとらないことが賢いこととされる。
 別に仕事に限らない。

 逆転のロールモデルや多様性はもう少し、息苦しくない程度に確保されていてもいい。皆が同じトラックで競争しなくても、皆が同じラベルで個性を主張しなくてもいい。だけどもやっぱりそういう生き方はコストが高い。今日もついったーでは誰かに選抜されるために、自分を商品として切り売りしたり、共感を求めたりアクセス数を求めるような発言を繰り返す。選抜されるのが先か、競争しなくて言いと思える居場所ができるのが先か。そうして言葉たちは市場原理に乗り増産され、一部の若者だけがこうした言葉を軸に、<世界を切り開いていく自分>や<エッジのきいた俺>さらに加速させるのである。