失礼論-なぜあなたは自分の首を絞めるのか

 結構前にFBにて書き込んだのを、もうちょっと汎用性高く書こうと思って加筆修正。

 人に対して、もしくは行為に対して失礼という言葉を使うときに、その裏側にあるメッセージと言うものがある。
 「それは失礼だ」といわれた/いわれる場面を想像してほしい。基本的に、その「失礼」論は「自分に取って都合悪い」論か「ちゃんと手続きを踏めよ」論にしか収束しないのである。
 人を叱りつけたとき、最後に何か話をまとめないとと思い、拡大解釈してどんなときでも礼儀をわきまえろ何だのって言って/言われてしまうことは多くの人が経験するのではないだろうか。その結果、そんな礼儀圧力のせいで、例えば仕事の現場で煩雑な手続きが増えて結果本当に出すべきパフォーマンスを出せてない業種や会社がたくさんある。例えば、メールや通販のプラットホームで購入の連絡をしたとき、確認の連絡でなくわざわざお礼の電話を入れてこられたことがあった。一分やそこいらの時間ではあるがこっちもあっちもその時間を別の業務に投入した方がお互いに生産性は上がるだろうと思ったことがある。こうした礼儀ベースの無駄なプロトコル(手順)というのは至る所に見られる。作法や規範は効率性をベースに作られるべきだし、「失礼」がもたらす副次的な作用についてはもう少し注視したい。

 コミュニケーションが大事とか、対話が大事とか、民主主義が大事とかって言葉も、僕やもしくは不遇な人たちの意見を聞いて、ある程度考慮して、と言ったメッセージに収束する。
 簡単に言うと他人を制御/統制したい人が使う言葉が「失礼」であり、ひどいときにはそれがあなたのためよ、なんて言い出す人もいる。しかしそれはもはや日常的で、われわれは言葉を読み解く訓練はしていても、多くの人が言葉をより中立、公正に近づけて使う訓練を経ていない。僕自身それは大学で論文を書く上で学んだし、公正な文章や言葉よりエモーショナルベースな文章や言葉の方が昨今はウケる。結果世の中はそんな、感情にあふれた、裏に怨恨が込められたルサンチマンが、まるで生得的な性格であるかのように発現する。

 結局失礼論は他人の自由を侵蝕していく。規範としてあれに気を配らなければいけないこれに気を配らなければいけない。確かに生理的な嫌悪が発生しやすい事象というのは多々存在するし、結局そういう事柄に対して無頓着であることを学ぶより他人を言葉で(しかも民衆の総意であるような言葉で)制御してしまった方が自分のコストが低くて済む。失礼という言葉自体が汎用性が高く、使用するしきいが非常に低い。失礼と言う言葉を使わなくても、ここでこう気をかければ、などと後だしじゃんけんのように他人の失礼を批判して自分の思いやりをアピールすることもできる。

 そうして思いやりという名の失礼論を語り合うことで、自分の優しさをアピールする反面、自分の首を絞めている人をたくさん見かける。僕はこの首を締めて身動きが取れなくなっていく状態をポストモダンに絡み取られているという表現を使っている。ここでいうポストモダン思想とは、絶対的正義がなくおのおのが自己の心情を正義であるように語れる状態を指す。批判のスキルがないとだんだんそういったポストモダン思想に絡み取られて何も言葉が発せなくなってしまう。気づくと袋小路に入り「宣言」しかできなくなる。自分はこういう「失礼」だと思われたくないからこういうスタンスでこういう行動をとる。それ以外の批判は受け付けない。そんな一見開き直りのような態度に収束するか欝になるしか選択肢が無くなってしまうのである。

 ブログをしばらく書かなかったのも自分にそういうスキルがないことに気づいたからだし、ポストモダンを超越するような何かがまだはっきりと見えてないからでもあった。

 少なくともわかっているのは人”だけ”を批判してもだめだということ。人の行動は環境と習慣と思考のダイナミックな作用で説明される。これを属人的な作用だけとしてとらえ批判してもまったく意味がないことは昨今の政治報道を見ていればわかるだろう。それが失礼である、という事象を引き起こす背景や構造やスキームやアフォーダンスシグナルに目を向け、常に注視し警戒しなければいけない。

 それからイテレーションのデザインの問題。イテレーションとは、簡単に言うと反復や往復のことである。自己啓発書やセミナーが「失礼」を基盤としたコミュニケーションを語るとき、多くがいかに伝えるか、いかに受け取るかばかりを語る。しかしそうではない。間違った情報や作法は数回の応答で修正されるべきだし、一回の応答で通じ合おうとすること事態が間違いである。しかし現実は時間がない、もしくはビジネスの世界では応答の回数が少ないほどコストパフォーマンスが良い。皆数回のイテレーションでわかった振りをして、コミュニケーション不全に陥る。それに気づかせず、失敗や失礼を引き起こさせては自己啓発が足りないからだ、とマッチポンプ式に追いつめる。
 そういった構造に気付き、常にアラートを鳴らし続けるしか言葉で出来ることはないのかもしれないし、言葉でそれが出来るというのは可能性として大きいのかもしれない。とにかく人を責める振りをした自傷行為ツイッターで見られる自戒を込めてと他人を批判する「大きな自戒」は大嫌いだし、どんどん皮肉っていきたい。

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