オープンウェブの終焉

RSSの終焉と言ってもいいかもしれない。
SNSにタイムラインという概念がうまれてから、もう10年以上経つことになる。
我々はプッシュ型でブログやニュースを見る時代から、更新情報が送られてくるツイッターFacebookのタイムラインの中で興味のあるものをクリックやタップして情報を得ることになった。
情報にはストック型とフロー型があり、ホームページなどはストック、ブログなどはフローとしてSEO強化やその時その時のトレンドを流すために使われてきた。しかし、企業のオウンドメディアや2ちゃんまとめブログの隆盛が、そのブログの記事のストックがその書き手の輪郭を現す時代を終わらせようとせめぎあっている。

SNSとフィジカルの逆襲

 先日話してみて面白かったのが、20代の子達はテキストサイトを知らない。ましてやブログとの違いがパーマリンクだということも知らない。僕個人も90年代までは黒い画面にいちいち数字だのURLだのを打ち込んでネットをしていたという話は、先人から見聞きしたことがあるので同じような現象だ。
 そこからmixiやFBのようなSNSが登場し、公開範囲という機能によりリアルな人と人との関係性にランクをつけられるようになる。彼が見れる記事は僕には見れない、というリアルがあらたなwebのユーザ体験として登場する。次第にmixi疲れだのSNS疲れだのという言葉が登場し、オープンウェブであるブログやバカみたいな企画を行うキャンペーンサイトが見直されることになった。
 しかし、結局それらの話題を共有することでしかコミュニティが維持できないためSNSを使い続けるしかない、そしてある程度の情報量を処理できる人でないとSNSを平衡感覚を持って使い続けるのは難しい。
 結果SNSは自慢、不服、偽善、新年の共有くらいしかすることがなくなっていく。そんな地縁でつながった人たちとの、感情の共有でしか維持できないコミュニティは息苦しい。その上共感できなければSNS八分をくらう。そこで若者は裏垢という戦略をとる。鍵付きアカウントを利用しながら、SNS上で共通の知り合いが少ない、興味範囲が近い人を探し、信頼できる人を見つけ、その人づてで友達を増やし、そこでしか出会えない人たちとネット以外の場を楽しむという選択肢を見つける。

 若者はネットを捨てリアルに戻った。皇居ラン、バブルサッカー、ボルダリングサバゲー、フットサル、カラーラン、代々木公園で鬼ごっこ、フェス、サーフィン、スキー、スノボ、ボドゲ猫カフェ、フクロウカフェ、御朱印集め、七福神巡り。10年前、皇居ランが流行った時は、スポーツ人口自体は増えていなくて他のスポーツからランニングに移行する人が増えた、という結果だったが、今は多分スポーツ人口自体が増えている。フィジカルなものを利用し、その記録としてSNSを使い、同時におもしろいフィジカルはないかとアンテナを張り、新しいSNSを利用する。
 そうしてinstagramyoutubeが使われるようになる。文章を読んで人の輪郭が浮き出ることを楽しむ人はもういない。もちろんほとんどいないという意味である。かわりに動画や画像で直接人を見る。今までテレビでしか見れなかった人たちの、テレビ以外の顔を見て、親近感を持ち仲良くなりたいと願う。200万人に届くテレビタレント一人を追いかける時代は終わり、20000人に届く100人のタレントの中から好きなものを選ぶことで自分のアイデンティティが形成され、他者と区別をつける時代に突入し、10年が経ち、ネットTVの普及に伴いそれがスタンダードになりつつある。

webディレクションの難しさ

 株式会社たかだまなみというプロジェクトのwebをつくり一瞬だけバズった(求人ページが。)。と言っても3日間で2万PV程度、駆け出しとしてはまあまあくらいの結果でおわり、それから毎日10〜100人くらいの人たちがサイトに訪れるくらいの話だ。多分リピーターは少ない。本人自体はちょうどいいブス感のある顔も話題性の強さもあり各メディアから取材が来て、インタビューされていて、その記事自体は好評なのだが、肝心のwebページに流入してくる率なんてバカみたいに少ない。yahoo砲も炸裂したのにぜんぜんPVは伸びなかった。みんなその時その時の時間を潰せるコンテンツが見つかればそれでいいのだ。
 一部のオタク気質な人やオタサーの騎士気質な人たちだけが彼女のwebの更新を定期的にチェックする。FBページのいいねも大して伸びない。ただし、そこからのイベントを立ち上げた時の参加者のコンバージョン率と言ったらなかなかのものである。みな、フィジカルなものを探しにウェブに訪れる。自分の言葉を代弁してくれる人を探してブログ記事を読む時代は終わりに差し掛かりつつある。
 次世代のプロモーションはいかに体を動かせるか、参入障壁の低いフィジカルであるか、いかに新しい人たちと出会えるかというセレンディピティにある。サロン型のクローズドなウェブサービス、アプリで更新情報をプッシュするサイトやサービス、時間が経てば消えてしまう画像や動画共有サービスなど、オープンウェブは囲い込みサービスに殺されたのだ。