ブログで鍛える小論文

 先日あるところで小論文を書く機会があり、ブログを書くことで小論文を書くトレーニングができてたことに気付いたので、ちょっとノウハウをまとめたい。
 僕の経験からではあるが、きっと多くの人がブログを不定期にでも書き続けてアウトプットすることで、書くための技術を身につけることはできる。*1これは多分twitterなどでは相当特殊な使い方をしない限り鍛えることができないのではないかと考える。

小論文の微妙な立ち位置

 小論文とは何か?と聞かれても、あまり深く考えたことがないため、言語学者とか文学者に聞いてもらった方が的確な答えが出ると思うので割愛する。
 ただ「論文」自体は論理筋の通った矛盾のない文章を指す場合が多いため、「小論文」も規模や信憑性こそ小さくなるものの筋が通った文章にすべきであるという前提で語りたい。前提が違うんじゃないかという議論はトラックバックして僕じゃなく皆に伝えてあげればいいと思います。

 論文と小論文との一番の違いといえば文章量と根拠(エビデンス*2の信憑性の高さの違いであろう。論文はなるべく"ある程度確立された検証手法で導き出された結論やデータ"を根拠として用いなければならないが、小論文は自分の経験や伝聞で語っていい(場合が多い)というのが特徴である。もちろん伝聞や経験から語る論文もあるだろうが評価は低いだろうし、緻密なデータを用いた小論文もあるだろう。

結論を最初に考える

 論文や小論文にとって「筋を通す」ことは要件である。文章の「筋を通す」ために、まず結論を最初に見据えてそこにつながるように書いた方がよい。たいていの人は書いているうちに語りたいことが増えるため結論がぶれることが多々あるのではないか。
コツは問題文の意図を理解した上で、問題文に沿ってオウム返しのように書く。それまで容姿の裏に論点整理のメモをじぶんなりにつくればよい。

Q   「子どもにネットは必要か」
一文目「私は、親がある程度かかわったうえでのネットであれば子どもに与えるべきであると考える」

 小論文の場合大抵試験で書かされる事が多いため、最初に結論を見つけ、一行目に結論を書くことが重要である。起承転結で書くのはNGであると弾言しておく。「結起承結」で書くというのは一番最初に書かれている。新聞記事などでもよく語られる逆三角形メソッドである。
 一番最初に必ず主語をつけて「私は○○は××であることから○○は▼▲と考える。」と自分の判断の帰結を書く。結論自体は主観でOK。もしくは「○○は▼▲したい」という願望でもよい。
これは論文でも用いられる手法。時間に余裕があるならブログの前置きのように「概要」を書いてもいいかもしれない。基本的には一文でシンプルに書く。時間切れで最後まで書けない事が多いためである。

論点整理する

 ブログを書くことで鍛えられる一番重要な部分がここではないかと考えている。
「論点を整理して、何が一番重要かを主張すること」が論文や小論文の存在意義となるためである。昨今の注目されるブログの多くにはそういう傾向がみられるため、ここでのブログとは「プライオリティ(優先順位)を主張するもの」を想定している。
 学校において、この論点整理の技術を教えることができていない(というより評論文と小説などの物語がごっちゃに教えられるため多くの人が混乱している)事が問題であろう。優れた教育者はこの部分を分けて語らせることから実践を始める。

 また主張の核となる言葉を再定義しておくことは進める。小論文にはわざと定義があいまいなものについてどう考えるかを問う問題が多い。最終的に自分がどういうスタンスかを示しておくとわかりやすい。

  • 「『子ども』については6歳から15歳の修学児童及び生徒を想定している。また発達障害や家庭機能不全の子たちについてはここでは述べず、また別の措置が必要であると考える。」
  • 「新聞などでは子どものネットをはじめとした道徳性の低下を示す記事が目につく。ここでいう道徳性とはルールに従う態度や傾向を指す。」
  • 「ネットとは多くの場合ネット利用を通じたコミュニケーションやコンテンツにアクセスすることを指す。特にコンテンツは充実しているものが多く、シリアスゲームなど、楽しいだけでなく勉強にもなる教材として公開されているコンテンツも増えていると聞く。」
  • 「しかしコミュニケーションという視点で見た場合ネットいじめや炎上などが指摘される。一方で、ネットにおける事故の多くは、大人のネット利用こそが危険で、子どもの多くは適切に利用しているという指摘もある。同調圧力や初めての経験に対する対応ノウハウの問題もあるだろう。」
  • 「ネットという技術が調べる労力を少なくしたとすれば、興味さえ持たせることができれば通常より多くの情報を学ぶ機会にもできる。これらのことから私は適切なリスク管理さえできればネットを利用すべきであると考える。」

試験の場合は時間が限られているため、注意書きは必要のあるものだけ書いていけばよい。
会話文などを挟む必要はない。簡潔に「誰誰は○○を主張し」、「〜は○○を指摘した。」と書くとシャープに見える。

評価しにくい言葉を使わない

あまり使わない方がいい言葉が3種類ある

  • 評価しにくい言葉
  • 定義があいまいな言葉
  • その両方

である。
事実を羅列するときに「好き」「正義」「常識」などは使うべきではない。人によって定義が違ううえ、「平ら」や「かたい」などの物理的要素より圧倒的に判断しにくい。例えば「常識について」丁寧に書こうとするならせいぜい「正しいと思っている人が多いと考えられる」や「正しいと教師から教えられた経験がある」位であろう。素人はよく「常識と照らし合わせて」などと使いがち。学生や素人ならともかく実績積んできた大企業のお偉いさんが本の中で「常識を知らない」とか使ったりするから気持ち悪い。

つじつまがあうよう話をならべる

また「正しい」や「安全」や「有害情報」などの言葉は人によって違う。主観的判断を押しつけることは教育としても適切ではないと考える。ケータイをはじめとしたフィルタリングの議論もあるが、無数に存在するサイトをブラックリスト式で判断するのはコストが高くつく。しきい値から考えて解決策としては親と子どもによる話し合いで「有害情報」への対応やネットを使用する時間などの基準を決めておくことだろう。

 ここで重要になるのがつなぎの言葉である。
「また」「〜であるため」「〜なので」「〜だが」「〜とすると」など意外とパッと浮かぶバリエーションが少なく、小説とか「豊かな表現」が大事で読書感想文も「長く書く」方が大事と習った世代は多分不安になると思う。でも実は短くてよい。というかつなぎの言葉など最低限でよい。「AであるからB、なので私はBはCより重要であると考える」とかの繰り返しでよい。一番優先すべきは論がコンパクトにまとまった文章を書くことが大事。読み手の負担も減る。そして"同じ前提を共有していない人が読んでもわかる程度に論理を飛躍させること"が重要。こればっかりは経験を積むしかないかも。
 また、文体を整えるのも大事である。読書感想文ではないのでなるべく「である」体を使い、文語文を使ってください。「〜れない」は「〜することができない」と丁寧に書き、結論以外で「思う」や主語のない「と考えられるので」という言葉は極力使わない。「思う」は客観的でない言葉であるため結論以外では使う必要がないし、「と考えられるので」は「誰が?」と読み手が混乱してしまう。特に「〜と考えられるので」はついつい使ってしまうがその多くが「私たちはその認識を共有しているので」という主観的判断として捉えられやすいため文脈が相当厳密でない限り減点やツッコミをくらう可能性がある。

最後のほうで付記してもしなくてもよい情報を書いておくといいかも。

ネットで調べるよりも本を一冊読んだ方が充実した情報を知ることができることも多い。知りたい情報について書いてある本を探すときにネットは便利である。長所と短所を理解したうえでの利用を進めることも必要である。

制限時間が決められているとき、PCで書くとこれくらいの分量になるが、鉛筆やシャーペンで書くとその半分くらいしか書けないという基準は持っておいた方がいい。実際に書いている途中で時間切れになり、あつ
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*1:僕は論理的思考って言葉は嫌いで、どちらかというとシステム的思考を身につけるべきだと思っているのでこの文章自体も収束しないかもしれません。

*2:根拠って書こうとしてこんくよってなることないですか?