ゼロ年代のタッチ-メディア評-映画 Rookies-卒業-を見てきた

ストーリー

 コンセプトはやはり「Rookies」である。舞台は春、卒業式から始まる。すぐにドラマルーキーズのメンバーが高校3年生になり、新一年生として団子みたいな男(彼はのちに帽子を眉毛までエロかぶりするLAスタイルへと進化)とジュノンボーイ系イケメンタラコが親友部員として双子玉川学園(通称ニコタマ)に入ってくる。特にイケメンタラコはルーキーズお得意のスゴイ夢持ってるけど認めてもらえないキャラで、入部届出したものの部活に顔出さず、一人で一生懸命練習してる系の問題児なのか中二病なのかよくわからないキャラ。彼が今回のメインとなる。立派に成長し、部の中でも全員の信頼とポジションを勝ち取った元へたれキャプテン御子柴が今回のキーパーソン。新人イケメンタラコと御子柴×タラコのへたれ攻めを繰り広げるイケメンパラダイス的展開が全編通して繰り広げられる。

構成・つくり方の話

 作中、主役の佐藤隆太演じる川藤先生のドラマ中に発した言葉、「ALL FOR ONE」という言葉が掲げられたものの作品自体はセカイ系の作りに似ていて、対戦相手のチームは安仁屋のトラウマの相手以外顔が映らないというALL FOR THEM状態。球場での試合シーン、どんなに感性があろうとも主人公たちメインメンバー以外の会話は聞こえないし対戦相手はライバル以外顔すら映らない。集英社のすぽ婚漫画特有の「正義」「友情」「努力」「勝利」以外は描かないという手法で展開する。

 ヤンキー作品特有の叙景的な描写がところどころに入り、くっさいセリフをまきちらすどこか憎めない愛すべき中二臭さと、やっぱりトラウマがあって、それを乗り越える俺SUGEEEE!的な展開は鉄板だなと思いながら見てた。劇中安仁屋がマネージャーに対し「俺がお前を甲子園に連れてってやるよ」とタッチを彷彿とさせるシーンも見どころの一つである。

 ところどころに入る遊び心もすごかった。ミニスカ率、パンチラ率の多さ、学校シーンの描写と比べて、球場シーンの応援スタンドの女生徒の金髪率の低さ、足が動かない人用のリハビリ施設で一人ヨガのポーズ取っていたり、試合中俳優たちが抱き合う感動する(であろうシーンの)時に後ろのほうであり得ないポーズで写真撮ってるカメラマン役がいたりと泣けるシーンなのについつい吹き出してしまった。

ストーリーは劇場に行くか原作を読んで確かめてもらうとして、最後に映画オリジナルで主人公に生徒たちがそれぞれ感謝を述べるシーンがある。教育に携わる者としてやはり感情移入してしまい、思わず涙ぐんでしまった。

承認活動をする人を独占したい欲。

 結局裏のメッセージとして「依存できる仲間がいるって素敵だね。自分を承認してくれる存在を独占できるって素敵だね」というのが見て取れるというか、その部分に皆共感するように作ってあるなぁというのをひしひしと感じた。

 終始一貫して描かれるのは教員が一生懸命生徒たちを信頼し応援しようとする=承認行為であり、ヤンキー青春漫画らしく「承認欲求不足なキャラクターたち」がそんな人物のもとに集まってくる。

 学校現場の先生方と話しているとやはり教員の動機としては、勉強を教えたくて仕事をしているのではない。彼らの中でも「承認活動」こそ目的であり、それに対するほんとに希少なレスポンスをインセンティブとして捉えている人が多いことに驚く。承認の形も「ほめる」「叱る」だけではない、「体罰」「ペナルティ」「ごほうび」など、承認の形は従来さまざまであったが、教育というシステムが人間関係としてでなく国家の機能として形骸化するにつれ、さまざまな手法が規制・矮小化されてきたことは重要である。

 同時に重要なのは、教師が受けるべき「承認」は生徒・学習者からのみではない。保護者が「教師を育て一緒に成長していく過程」という承認が従来はあったといわれている。教師は保護者からの承認を得て自分の仕事に自信を持ち成長し、さらに生徒たちへの承認活動を高めていく。飴と鞭のような手法は典型的だ。「お前のこの点はだめだ、この点はいい!」と言葉を投げかける。学習者たちはそれを信用したくて他の友人や親に本当にそうなのかと尋ねる。そこで友人や保護者から出てくるYES,NOの返事は「自分が本当にそうなのか」でなく「教師は自分を承認しているか」ということについての答えなのである。

 従来(今から20〜30年前)は先生が言うからそうだ、という教師への尊敬という名の「承認」が溢れており、保護者や社会的合意が形成されていた。実体験からではあるが、最近の若い子たちは中学生から大学生まで「ほめて伸びるタイプ」を自負するものが多く「自分はほっといても成長するから要所要所で鼻を折ってほしい」といったスポーツマンのようなタイプは少ない。学習活動の形骸化なのかとも思ったが、多分これらは保護者→教育者→学習者といった承認の流れがつながっていないことが原因ではないか。「教師」の(認識上の)学習コンテンツ化が進み、システムとして質を評価するばかり。

 子供たちに厳しいしつけを求める親たちや世論というのは、学校現場では会社社会では理解できないほどのストレスとして現れる。教育委員会などから直接の通達として「体罰はやめてくれ」「子供は尊重し丁重に扱ってくれ」「平等を意識し、ひいきや補習機会など差別のないようにしてくれ」と、通達システム化した教育委員会は即座に反応する。もちろん教育委員会も「自分たちの正義と判断」で動いている以上、我々はシステムを責めてもその中の人たちを責めるべきではない

 ニュースのたびに「また教師か」という世論が巻き起こるが、「教師である前に一人の人間として駄目な部分も認めてほしい」というのが現場の人間たちの本音であろう。

 「世論が許すなら熱血指導したい」という"自分の正義感から仕事をしたいが、忙殺されている(一般論で言う)手際の悪い先生"、要領の良くない先生たちも少なくない。現場では、僕たちのロールモデルとしての川藤幸一、それから熱血先生というのは今でもロールモデルとして生き続けているのだ。

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