Yahoo!リアルタイム検索でFacebook発言検索できるのを知らず飲酒運転を自白する人が多発しているので注意

 結構前に実装された割に全く反響がなかったyahooのリアルタイム検索、FBで身元も明らかな状態で危険な発言が多いし、そうでなくても自分の意図しないところで検索に反映されているのでfacebookで公開設定にしている人はぜひ気をつけてほしい。
http://i.yimg.jp/images/search/blog/121016/121016_01.png
Yahoo!検索 スタッフブログ
 例えば昨日「飲酒運転」検索してみただけでも5人位飲酒運転を自白した発言があった。飲酒運転自慢をして周りから諭される発言も見受けられた。
参考:「飲酒運転」のYahoo!検索(リアルタイム) - Twitter(ツイッター)をリアルタイム検索

往診完了。
酔っぱらって、真夜中の往診はきついです。
ちょっと飲酒運転でした。

http://www.facebook.com/permalink.php?id=100001573111079&story_fbid=468698989859201

お医者さんがこんな感じだったり

飲酒運転からの帰宅(*_*)笑
ビールとハイボールだけで酒に溺れかけた自分が情けない!!!
これじゃあ飲み会真っ先に潰される(;o;)
...

http://www.facebook.com/permalink.php?id=100002901534568&story_fbid=319645594808822

 と会社員もこんな感じ。ネタだと信じたい。
 中には(リンクは避けるが)小さい子どもを乗せた状態で飲酒運転で家に帰って来た、などの自白もありネタでもやめてくれ状態である。一方twitterではフォロワー増加狙いの「飲酒運転なう」が定着してしまった。また「喫煙」「タバコ」などでも未成年の発言がうじゃうじゃ出て来てエキサイティングである。
 一方海外では逮捕事例も早速出て来た様子だ。
参考:Facebookで飲酒運転を自慢したティーンが逮捕された | TechCrunch Japan
 事故発生件数については確認していないが、12年連続で交通事故死者数が減少している様子だし、気の緩む正月こそスマートドライブを心がけたいものである。
JAPAN SMART DRIVER | ミチノミクス

科学研究費事業仕分け問題を教育で解決する現時点でのたった一つの最適解

id:next49さんにIDコールされたのに気付いたので、時間を見つけてこの記事原稿を書いてきた。09年内に公開できなかったが、改善を一番要する現場からの声として「必要ありますか?」をバズワードにして終わらせるわけにはいけないので公開しておきたい。
 僕の目から見た今回の仕分け問題について。先日「事業仕分け」という会議でちゃんと科学の有用性を説明できなかったから科学研究費をカットしようって決定が行われた。浮いたお金は教育に回そうと言う決定だ。しかし、それは家庭の負担を減らすというものであって、決して教育者側にお金を回そうという話ではなかった(一部でそうした動きも出てきているけど)。
 結論から言うと科学よりもテクノロジーに関する教育をもっと増やすべきだ。
 以下の論は前提として小中高までの学校教育をベースに科学技術を切り分けて考えていることを理解いただきたい。*1

科学と技術

 科学技術という言葉の間には科学/技術という大きな溝がある。科学とは自然の法則を追求する営みであり、技術は科学を人為的に利用するためにその時代の文脈に沿って形にしたものである。厳密にはそれぞれに定義があるがここでは割愛する。
 地球が温暖化しているかどうかの分析は科学であるし、彗星や隕石がどう動いているかを観測し計算するのも科学である。
 自動車は移動するための技術だし、望遠鏡は遠くのものを観察するための技術である。
 最近では科学と技術のグレーゾーンも出てきた。農作物は科学か技術か、クローン牛は科学か技術か。
 しかしこれも作り方や育成条件の分析は科学だし、できあがったものが科学を応用して制御され生産されたプロダクトであれば技術である。
 科学は理屈であり、できあがったものは全て技術:テクノロジーなのである。
 

技術を適切に評価し技術開発を受け入れる素地がない日本

 今回の事業仕分けにおける結論に対して科学者達の発表した言葉達を見ると、その科学/技術の言葉の使い分けすらままなっていない。
 これは例えばコペルニクスが地動説を唱えパラダイムシフトを起こしたとき、望遠鏡という技術による精密な観測が可能になった事が大きい。このころから技術は科学に必須な要件となった。優れたテクノロジーが優れた科学を支えるという構図が人々に認知されたのだ。それにより科学と技術は切り離せないものになった。しかし技術はもっと厳密には大まかに次の3つがある。

  • 科学研究のための道具としての技術
  • 科学研究・技術開発の対象としての技術
  • 一般に普及し消費されている技術

 日本の科学技術についていえば、前から2つばかりを大切に扱い教育し、3つ目をないがしろにしている。この点を僕は指摘したい。
 例えば原子力発電の仕組みや原子力発電所がいかに耐震性や耐久性に重点を置いて設計されているかについて教えても、原子力発電所が実際どう稼働しているか、その設計理念や職員の規模までは教えない。自動車工場でもいい、製鉄所でもいい。もしくはウェブサービスでもい。これら理屈をどうモノにしたかは、高校までの教育では十分扱えていない現状がある。
 科学はその時代の文脈に即して技術になり、さらに科学を発展させる。現代の高度に発展した技術はすでにイノベーションのジレンマの臨界点に達しており、前2つと一般に普及している技術の間の溝、すなわちブラックボックス化は深まるばかりだ。
 ブラックボックス化によってどんな弊害が起きているか、イノベーションのジレンマイノベーションを望まない層がいるからこそ起きるのだ。すなわち、科学が発展し新しい技術が現れるとどういう利益を自分にもたらしてくれるかを一般消費者達が知らなければいけない。
 しかし現状で語られているのは科学で世の中が解明されることのロマンと、新しい技術を作らなければ経済競争に負けるという企業側の理屈ばかりで消費者の理屈がないがしろなのだ。

短期的・中期的・長期的視野でいえばそれぞれに研究成果・広報・教育が必要

 日本における科学技術研究は、競争的には負けていると言われているが、絶対的には世界に誇れるレベルをまだ保っていると僕は認識している。
 しかし、科学分野以外の仕事に就いているものでそれを詳しく語ることができる人間など一握りだ。その成果の価値を一般消費者(科学を消費するというのもおかしいが)に広報する仕事が非常に重要な役割を持っているはずであり、この部分の不足が致命的な問題である。科学ジャーナリストになりたいなら博士号いらないね、と言われたという話*2も一部では報告されているし、実際科学ジャーナリストを自称して研究者たちとケンカをしている者もいる。
 また、長期的な視野で見れば教育に力を入れなければならず、日本は曲がりなりにも理数教育に力を入れてきた。一部の学校のSSHなどの取り組みも、科学オリンピックなどで成果を上げている。しかしこれも「すそ野を広げれば天才の割合も増えるだろう」みたいな構造であること、大学に行った時そのすそ野と研究者の中間になった人がどうするか道がない(だからスポ抜けていた科学ジャーナリストという中間層を増やそう)といった理屈はこれまで何度も主張されてきたはずだ。
 そして、きちんとした広報や教育がおこなわれていれば技術を適切に評価し、科学がなぜ重要なのかを理解し、科学技術研究に寄付をしてくれる層がもっと増えたのではないかと考えている。
 だがしかし、僕はこの教育自体が理数教育≒科学のための教育に偏重していると考えている。先ほど言ったようにテクノロジーに関する教育の不足こそ今回の事業仕分けで考えるべき点ではないかと考えている。
 現状は科学分野においてノーベル賞をもらった人たちさえ科学技術の研究開発ではなく別のところに賞金を寄付している状況だ。*3

教育カリキュラム(≒教科ごとの時間配分)を見直そう

 そして、技術に対する教育、技術を通しての教育は今や壊滅的な状態だ。
 外国ではテクノロジーに関する教育は、10〜12年程度が基本で、テクノロジーに限らずその本質である設計についてやその周辺である労働、それからテクノロジーが社会にどういった影響を与えたかという歴史までみっちりと教育している。
 日本では技術教育については中学校3年間における技術・家庭科の技術分野(技術科)と、また方向性の違うが領域の重なる高校の情報科だけしかない。義務教育段階である中学校において技術科は、家庭科とは全く性質が正反対で免許が異なるにもかかわらず、成り立ちや教科政治の問題でいっしょくたにされている。そのおかげで現職の教員ですらその教科理念を誤解している現状がある。参考http://gijutu.blog.drecom.jp/archive/257
 最近では2009年9月から、中国の高等学校において、情報技術の教育だけでなく通用技術という教育ができ、情報教育だけでなく普通教育としての技術が高校でも受けられるようになった。行き遅れているのは日本だけであり、なぜかと言えば技術教育の内容や有用性に対する社会の理解度が不足していることや、日本の特殊な教育構造≒企業側の都合による部分もあると考えられる。参考:産業界からの俗流ゆとり批判について - 技術教師ブログ
 普通教育においては従来の職業技能としての技術教育でなく、普通教育としての技術教育が求められている。それによって技術の体験・理解・評価・マネジメントができる能力=技術リテラシーが求められている。例えばトレードオフや最適化・フェイルセーフなど、科学では求められず技術で求められる概念は多種多様だ。またそれらが個人の発達において転移できる要素も多いと考えられる。
これについては故・桜井宏氏の話が詳しい。参考:桜井宏氏 『「社会教養としての技術」の重要性を訴える』 | 日経 xTECH(クロステック)

科学教育:技術教育を2:1にし、技術開発における予算をそちらへ回すこと

 教育政策を見直すと技術立国を目指すためになぜ理数教育を充実して技術教育を充実させないかがよくわからない。*4

  • 小学校図画工作やモノづくり科、中学校技術科、高校の情報科を中心とし、テクノロジーを経営的視点から見直す実践や教科を用意することで、技術を適切に評価・マネジメントする訓練を充実させること
  • 美術科で創作品の人文的価値を、理科で自然科学的価値を、技術科で社会的価値を評価する訓練を行うこと
  • 理科数学科:技術科の割合を現在の5:1(中学校時点)から4:2にすること

若干抽象的だが以上が僕の主張だ。
 技術と言う言葉が非常にあいまいであるが、僕が主張したいのは一つ、科学技術について発展を重視した政策を行うなら、技術科に対して金と時間を増やせ、と言うことだ。日本が売ってきたのは科学でなく技術である。技術に置いて伝統工芸ばかりに頼ってきた日本が、この先まともな技術教育なしに諸外国に生産能力で勝ち続けていけるはずがない。
 もう一度技術周辺で扱う内容を精緻しなおすこと(これは今回の指導要領で大きく変わった)。
 理科や数学は時間数が週5時間であるのに対し、技術は1時間である。この1時間でよいので技術に回してもらえれば僕ら技術に関わる教師は大きく貢献する心意気はある。少なくとも僕は。技術の教師で職人と呼ばれるレベルの人たちはいとも簡単に難しい言葉や概念を用いず大学レベルの工学を子どもたちに教えてしまう。
 一方で一番の問題は技術の教員を目指す人の少なさ、および、技術の免許を持った教員が圧倒的に少ないことである。

ポスドクを教員に

 この技術科の教員不足の現状に対して考えられるのが、理・工学博士に教員免許取得のコースや仕組みを与え、技術教育に寄与できるキャリアコースを作ることである。
 現状では実は理・工学部の院から教育学部の技術教育コースに来て教員免許を取ることもできるのだが、これらの技術教育の重要な役割が周知されていない以上、直接子どもたちのキャリア(要は受験)に関連する理科や数学科、情報科の免許を取ろうとするのが普通である。また職業教育の単位を取得し、博士号を取れば、教職課程を経なくとも工業高校の免許が取れるという。そうして中学校技術科の免許所有者や教員志望者は現在大幅に不足しており3分の1から2分の1を臨時免許や副免(主免許ではない)教員が担当している現状だ。教科理念を理解し強化の重要性を訴えられる教員の絶対数が少ないこと、教科の面白みを伝えられない教員に教えられた子どもが、大人になって教員になろうとした時、技術科を選ばないといったデフレスパイラルに陥っている。よって中学校技術科は現在最悪の状態にあり、少数の質の高い教員たちが支えているという現状がある。

 博士をとっても研究者として椅子がないというポスドク問題で一時期大騒ぎしていたが、要はこの中学校技術科の椅子に座って工学研究(即ち技術)の最先端と重要概念を伝える訓練をしてはどうかと思うのだ。もしくはできたら高校に中国の通用技術に相当する技術教育科目を設置し、そこで教鞭をふるってもらうのが最適解かもしれない。中学校と大学の間に技術教科がないことは日本にとって最も致命的な教育システムの欠陥である。
 

技術教育自体の難しさ

 我々が、少なくとも僕が目指すものは「科学技術のポジティブな自発的制御」だ。人に強制される制御ではない自発的制御。使わない、といったネガティブな制御ではなく、ウマく使うといったポジティブな制御だ。しかし現状は学校でのケータイは使用禁止、ネットはフィルタリング、ナイフは刃渡り何センチ以上は所持禁止。全て強制的制御が行われ、危険なものだから使わないという選択ばかりがなされ、技術を使用しないという選択は技術の発展を停滞させるだけである。
 また、僕自身が教育としてもしくは問題提起としているのは技術と経営の問題であり、例えばニセ科学の問題。
 ドライヤーと言う技術を売るためにマイナスイオンという付加価値をつける。しかしこれは科学としては現時点では間違いであり、多くの科学者はこれはだめだ時って捨ててきた、しかし技術と経営の視点で言えば、これは付加価値としてロマンを売っているのであり、消費者は科学的におかしいとわかっていてもロマンを買っているのである、と見ることもできる。これを是とするか否とするか。(現状では知らずに買っている人が多いから問題だという意見が多数派だと考えられるし)そういった技術を売るための経営の理屈と科学の理屈とに間で大きな齟齬が生じている。これらのトピックを教育で解決しようとするのであれば、科学教育でなく技術教育、特に技術と経営にまたがった領域における実践は個人的にこれからさらに必要性を増していくと思って研究してきたし、徐々に事例が報告され始めている。*5

一番の問題は前例・慣例主義

 それとともに考えたのは、今回科学技術における予算が減らされた時、次年度以降にそれが復活する見込みがないという前提で皆が語っていることである。これらの前例・慣例に基づいて一度無くなったものを復活させるのは難しいという前提こそ打破できないか。
 今年度は教育政策の整備に力を入れる、なので1年間予算を我慢してほしい、といった決定であればまた聞こえてくる声の質も違ったであろうし、それでも賛否両論ではあっただろうが、ムダに"官僚より俺の方がうまく科学の魅力を語れるぜ"競争などせずに一歩進めた提案が浮かんできたのではと考えている。
いずれにせよこの程度の一教師一意見で何が変わるわけではないと思うが、少なくとも研究費うんぬん以前に科学技術を扱う最低限の素養を持った国民が育っていない事、理数教育を増やしたところで技術教育・テクノロジーに関する教育の方が足りていないので先が詰まっていること、1000年以上前の戦争を学ぶより産業革命などにより技術が世界を変えてきた歴史を学ぶことの方が、社会にとっても個人にとっても有益だと考えている。

*1:大学における教育と研究についてであれば科学技術立国と研究費のこれから。 - 赤の女王とお茶をあたりを読むと良いと思います。

*2:http://twitter.com/h_hirakawa/status/6046434742

*3:個人的には科学的手続きを踏まずイメージだけの俗流若者論を展開するノーベル賞受賞者がいることに対して、科学リテラシーが発達に何の影響をもたらすものか、と考えているが。http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/61a54e0ebb13b02dd8576b685156c164/

*4:本当はわかるけど理解したくない

*5:詳しく知りたければ起業家教育などで検索していただきたい

.@sirokumacoと技術と美術についてtwitterログまとめメモ

showgo大学時代お世話になった先生と丸の内で食べてきて、情報教育の先生方の努力について話を聞いた。大学教員が現場の教員とつき添い地道に実践を積み重ね独自に学会を作り、教科として誕生させた。受験5教科は権威と惰性で何もしなくとも発展するしその他教科は大学と現場の剥離が顕著。情報はすごい。 ( 2009-12-15 20:41:13 )
showgo工学部でも教育系の大学院に来て技術の先生になるってコースも知られてるいないは別として実は用意してある。なのに技術科に来ないで数学科や理科を選択する学生も多いのはやはり教科アイデンティティの魅力の問題だという話をした。確かに技術って何?を一言で答えられる教員は実感として少ない。 ( 2009-12-15 20:45:47 )
winnieholzmanで、技術って何? RT @showgo: 工学部でも教育系の大学院に来て技術の先生になるってコースも実は用意してある。なのに数学科や理科を選択する学生も多いのはやはり教科アイデンティティの魅力の問題だという話をした。確かに技術って何?を一言で答えられる教員は実感として少ない。 ( 2009-12-15 20:47:58 )
showgo哲学的命題でもあり、現在技術科における技術は「労働手段の体系」という経済の理屈が主流です。参考:http://bit.ly/6CQTJr http://bit.ly/4QqD3O RT @winnieholzman: で、技術って何? ( 2009-12-15 21:22:31 )
sirokumaco@showgo 技術科は周辺教科、数学と理科は主要五科だからじゃないかとか ( 2009-12-15 20:47:38 )
showgo@sirokumaco 主要5教科って何ですか?技術科は主要じゃないんですかね? ( 2009-12-15 21:22:57 )
sirokumaco@showgo 英国数理社が主要5教科=入試に必要になる教科、周辺教科は芸術、体育、技術家庭だったかと。 ( 2009-12-15 21:24:57 )
showgo.@sirokumaco だから主要って何ですか?技術が必要ない教科ってことでしょうか? ( 2009-12-15 21:26:20 )
sirokumaco@showgo 現行の入試制度では技術科で養った能力が測れないので、生活知として必要であると認識されていても、生徒の多数が普通高校へ進学する事を考えると、周辺に追いやられてしまっているのが現状ではないでしょうか。 ( 2009-12-15 21:29:50 )
showgo.@sirokumaco それくらいは熟知していますが、主要と言ういい方は教科に貴賎があるということを指しますよね。我々技術教員は技術はどの教科よりも主要教科であるというプライドを持ってやっています。世間の認識はどうあれ、教育に携わる方がそのものいいはあまり好めません、すいません ( 2009-12-15 21:33:47 )
sirokumaco.@showgo 言いこぼしがあったかもしれないので、再レスご容赦ください。技術科は社会の構成員として子どもが社会に出たときに必要だから、義務教育課程に設置されています。ただ、入試を視野にいれるとそれが変わってくるという事です。 ( 2009-12-15 21:34:15 )
showgo内容に対する認知度も我々技術教員の責任。我々が伝えたいのは職業教育としての技術科だけではありません。普通教育としての技術的素養です RT @sirokumaco: .@showgo 技術科は社会の構成員として子どもが社会に出たときに必要だから、義務教育課程に設置されています。 ( 2009-12-15 21:41:11 )
showgo我々は教科を教えるのでなく教科を通して教えるし、その内容は学問的には文化・文明の評価へと収束する。ただ教科すら満足に教えられていないという言葉は少なくとも僕は甘んじて受ける ( 2009-12-15 21:36:21 )
sirokumaco.@showgo わたしの専門領域は「周辺教科」の代表選手みたいな言われ方をされる美術科なので、周辺扱いされたり授業時間が削減されたり、行事の時だけ道具として取り上げられることに憤りは感じています。 ( 2009-12-15 21:36:28 )
showgo.@sirokumaco 美術は歴史を教えるうえでも設計を教えるうえでも非常に重要な教科だと思っていますよ。技術で教えるべきことの大半が美術科に取られている現状もあります http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20091025/1256479650 ( 2009-12-15 21:38:29 )
sirokumaco周辺教科で爪弾きの憂き目にあってきた図工・美術科が、今教育学者のもてはやしに遭っているのがまた面白くない ( 2009-12-15 21:38:10 )
sirokumaco@showgo ものづくり科がどのように現場に働きかけがしうる教科になるのか、楽しみですね:-) ( 2009-12-15 21:39:59 )
showgo.@sirokumaco ものづくり科もものづくりの本質を教えられる教員がどれだけいるかという問題もはらみます。技術ですら半分が副免や臨免と言う指摘がなされています。確かに楽しみですが本当にほしいのは高等学校における技術教育教科です。 ( 2009-12-15 21:44:16 )
sirokumaco.@showgo 高校の時は技術科の授業がありませんでした・・・(たぶん女子高だったので、すべて家庭科に置き換えられたのかもしれません) ( 2009-12-15 21:47:14 )
showgo.@sirokumaco 技術科は中学校の3年間だけしかありませんよー、女子校の大半はそれも家庭科に置き換えられるらしいですね。情報も技術とは重なるけど異なりますしね。 ( 2009-12-15 21:50:56 )
sirokumaco.@showgo あー、びっくりした!w あたふたしましたw 現行では、技術科は工業扱いで専門の高校に行かないと学習が継続できない、ということでしょうか? ( 2009-12-15 21:54:13 )
showgo.@sirokumaco むしろクラフトマンシップこそものづくり科で教えるべきかなと思っているのですが。それこそ設計生産とその周辺は技術で、工芸は美術でが個人的には理想です。感性なんてほっといても身につくわけですし、作品の裏の政治的メッセージを読みとる訓練も美術でやってほしいです ( 2009-12-15 21:54:17 )
sirokumacoイデオロギーや宗教は教育から排除したけど、それでも美術の中ではのらりくらり生き残れたのかしら・・・/うー うー ( 2009-12-15 21:56:55 )
showgo.@sirokumaco 技術科の接続は工業科、工業高校、高等専門学校だけですね。普通高校ではぽっかり穴があくことも技術科教員志望が少ない原因だろうという話を今日大学の先生としてきました。 ( 2009-12-15 21:56:26 )
showgo技術を理科科に統一しちゃって科学技術にしてもいいけど、その中で技術の社会的側面を教えられる先生がどれだけいるのかという問題が大きい。理科の先生が産業革命を教えられるのか問題。 ( 2009-12-15 21:59:57 )
sirokumaco.@showgo お聞きしてもよろしいでしょうか?工業科、工業高校、高等専門学校の教員は、教育学部出の先生よりと工学部出の先生の割合はどのようになっていますか? ( 2009-12-15 21:58:51 )
showgo軽く検索して見たのですがこれ(PDF)見る限りはほとんどが工学部出身のようです http://bit.ly/7c3lwx RT @sirokumaco: .@showgo お聞きしてもよろしいでしょうか?工業科、工業高校、高等専門学校の教員は、教育学部出の先生よりと工学部出の ( 2009-12-15 22:10:37 )
sirokumaco中学校の技術科の教員も採用数少なそう...教育学部の技術科を出ても、就職する先って学校以外がメインになりそう。他教科だって、そうなんだけど。 ( 2009-12-15 22:00:52 )
showgo技術が技能教科と思われているところも微妙だな。複雑な社会科だって受験で評価できるんだから技術だってできる。ただフランシスコザビエルよりトラス構造の方が大事だ!とかいう不毛な話をするんじゃなくてするなら密接に関連してるよって話だよな。 ( 2009-12-15 22:15:06 )
sirokumaco@showgo ありがとうございます!! ( 2009-12-15 22:18:04 )
showgo数学理科のようなラジカルな教科と社会科技術科のような複雑な教科、美術音楽家庭科のようなブルジョアジーの作法(と思われてきた)教科とごっちゃになってる事はたびたび指摘されるんだけど、じゃぁ教科再編論としてどんな案があるかと言うと非常に難しい。 ( 2009-12-15 22:18:14 )
sirokumaco社会科は教科内に色々盛り込みすぎという指摘が有り、家庭科はブルジョアジーというよりも良妻賢母育成、音楽は専門外なのでわからず(これはブルジョアジーと言えるのではないだろうか)、美術はもっと反骨精神に溢れてるような・・・ ( 2009-12-15 22:20:49 )
sirokumaco音楽科は綺麗なスカートと高いヒールでバイオリン背負って楽譜持ちながら構内を歩いてて、語学の授業は甲高い声で楽しそうに話し、先生に嬌声を発しているイメージ ( 2009-12-15 22:24:17 )
sirokumaco美術科はどこでも座れるし絵の具で汚しても構わない服装、授業で夏場にハンダ付けとかバーナーを使うときがあると化粧どころではない、「個性的だよね」の一言で無難にまとめられてしまう集団 ( 2009-12-15 22:25:29 )
showgo技術の教員免許をとれるのが一県一大学とか言う現状がある。その県の技術の先生は大体その大学の派閥。ただし出身校なのにあんまり訪問してくれないとかもザラ。そして大学教員も数名(1桁5〜6名程度)とかザラ。 ( 2009-12-15 22:28:22 )
showgoRT @ts_pawn: 高専の教員は,例え一般科目といえども博士が多いという事実はあまり知られていないのだな,と再認識した.15歳に教えるにしちゃあオーバスペックだよな. ( 2009-12-15 23:36:30 )
heis101オーバースペックなのかな。それだけ高専は教育が充実している、とも取れる。RT @showgo: RT @ts_pawn: 高専の教員は,例え一般科目といえども博士が多いという事実はあまり知られていないのだな,と再認識した.15歳に教えるにしちゃあオーバスペックだよな. ( 2009-12-15 23:39:51 )
golden_wheat高専て確か大学レベルに踏み込んだ教育を行っていた気が。 @heis101
RT @showgo: RT @ts_pawn: 高専の教員は,例え一般科目といえども博士が多いという事実はあまり知られていないのだな,と再認識した.15歳に教えるにしちゃあオーバスペックだよな. ( 2009-12-15 23:43:19 )
ts_pawn目的と実態が乖離しているとは思います. RT @heis101 オーバースペックなのかな。それだけ高専は教育が充実している、とも取れる。RT @showgo: RT @ts_pawn: 高専の教員は一般科目でも博士が多い ( 2009-12-15 23:45:53 )
showgo「工業の教員免許は特例法により教職に関する科目の一部、又は全てを教科に関する科目で代えることが可能ですので、教職に関する科目を履修することなく免許が取得できます。ただし職業指導4単位が必要です。」http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2614937.html ( 2009-12-16 00:17:05 )
showgo技術教育って言葉自体が混乱させてるんだよなー、テクノロジー教育、略してテクノ教育とかにすべきだろうけど、学問的な使い方じゃないから普及しないだろうなー ( 2009-12-16 00:33:34 )
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横浜開港150周年イベント「Y150」が気持ちいいくらいひどい!!

 3連休の最後の日を使って横浜のY150に行ってきた。
会場は横浜の馬車道駅を降りて海のほうに5分位歩くと赤レンガ倉庫の隣周辺にある。
駅を降りて、街燈にY150の旗が飾ってある道が目の前にあったためその方角に歩き、どうもおかしいと思って街燈に備え付けられてる地図を見ると実は海と反対側で、引き返して会場に着くまで20分位かるはめに。

会場は万博みたいな様子。いくつかエリアが設けてあって、チケットを渡して入場するとものすごく高い技術力の展示とか横浜の歴史にちなんだものとか休憩所とかが利用できる。
正直な感想を言うともともと赤レンガやみなとみらいみたいな良質なコンテンツがあるため、総合的に比較してみてもちょっと残念な感じは拭えなかった。というよりこの残念感をメタに楽しむために行くというのが正解かもしれない。

旅行会社勤務からのタレこみでチケットがあまり売れてないとのことで、休日だけど行ってみようということになり案の定ショッピングモール程度の人ごみ。ライトアップもあるとのことで遅めに出発し夕方4時頃到着した。
http://event.yokohama150.org/

ラ・マシンはタイヤの付いたクモガタ水鉄砲


 最初に目に入ってくるのがCMでもおなじみクモガタロボット「ラ・マシン」が展示してあるエリア「はじまりの森」。レストランや歴史展示、記念品ショップなどが並び、メインはエネゴリくんでおなじみのENEOSのブースで有機EL(だったのかな?液晶パネルかも)で等身大のイチローが話しかけてきたり精油についての技術がクリアケースに紹介してあったりと技術を感じさせないおしゃれな作りとなっていた。
 2時間ごと位で「ラ・マシン」とやらのパフォーマンスが行われるということで、楽しみにしていたら何のことはない、クモのオブジェの下にトラックが付いていてそいつが動くだけであった。別にクモの足だけで飛んだり走ったりするわけじゃないということにまずがっかり。それからパフォーマンスってことで何するのかと思ったらひたすら客にミスト状の水をクモの糸みたいに吹っ掛けるだけというまさかの展開。オチが読めた時点で会場を後にした。「環境によいエネルギーを」といいつつ作ったのはでっかいクモガタ水鉄砲、コストを考えると逆に環境に悪い。もちろんラ・マシン自体の細部の技術はものすごいということは付け加えておく。機構的にはクモの足は関節ごとにモータ(もしくはポンプ)が内臓してあるわけで大人数がクモに乗り込んで一歩間違えればレストランにぶつけかねない位近いところで足を操縦していた。また足の質感などもこだわっており、木製を模した軽い素材でできていたであろうし見た目も非常に気持ち悪かった。
 

愛・地球博並みのイベント会場と自虐的技術観にあふれた映画

 次に赤レンガ倉庫によってY150にがっかりした客や名物おじさんやカップルを横目に素通りし、小学生が書いた港の絵を見物し、となりのトゥモローパーク会場へ行ってみた。
 この会場はライブステージと映画シアターと子供向けアトラクションでできており、ライブステージはソウルミュージックのライブと大道芸とチアリーダによるダンスが行われていた。愛・地球博のサテライト会場を思い出して非常に懐かしい気分になったのだが、立派なステージがあるのにやはり大して有効に使われておらず、舞台にもろくに上がれない若手芸人とか呼んでタダでライブさせてあげてギャラはライブ後に客から帽子に入れてもらう出来高制とか、いろいろ工夫のしようがあったろうに。もちろんショーのレベルはそれなりに高いのだが、バリエーションの少なさはもったいない。

 それから未来シアターではオリジナルの映画「BATON」が上映されていた。畳200枚分(?)のスクリーンとかに5.1Chの音響、技術的にはやはりすごいのだ。監督:北村龍平、プロデュース・脚本:岩井修二。それからキャストが市原隼人上戸彩大杉漣ケインコスギミムラ藤原竜也内藤剛志など非常に豪華。なのに、わざわざ実写で撮影したものをCGアニメに加工した実験的手法を取るもったいなさ。実写+CGで香取信吾版西遊記みたいな作りにでもすればいいのに、顔がドットの細かいゴールデンエッグスのようになってしまいシリアスなシーンが台無し。
 内容といえば、ロボットが普及して戦争とかしちゃう未来のお話。「惑星アベル」で市原隼人演じるロボットが舌型メモリをつけたらウイルスOS「サイファ」がインストールされてしまう。ウイルスOS入りのロボットは解体するってルールがあるから上戸彩内藤剛志と一緒に逃げるというもの。途中「ロボットは記憶じゃなくて記録、永遠に劣化しない」とか、「248種類の偽装コードが」とか「人間とロボットの違い」とか厨二病臭いセリフのオンパレード。残念ながらどんなに技術が発達してもメモリの記録はハード的にゆっくりだが劣化するし、種類は普通256種類だろ、とか、結局「愛」が大切、みたいなことを言い出す。
 ネタばれしちゃうとBATONってのはその「サイファ」自身がいろんなロボットの体をリレーのように乗り移っていく「バトン」で、最後はどうなるか映画を見てほしいのだが、綺麗な横浜港が技術や戦争によって汚くなってみたいな描写に安っぽい自虐的技術観を感じてしまった。もちろんハイビジョン技術や映像技術、音響技術などは素晴らしいことに変わりないのだが。
3章構成で、上映期間は第1章が4/28〜5/30、第2章が5/31〜7/10、第3章が7/11〜9/27となっているが今回2章と3章を交互に上映していたため今後も同様の上映スケジュールとなると思われる。

電気自動車の偽善エコロジー

 
 映画が1本35分程度で2本観たため外に出ると7時に。「Y150ドリームフロント&スーパーハイビジョンシアター」という会場へ行ってみた。「横浜発、地球への思いやり活動を世界へ」がコンセプトのパビリオンで、4つのエリアをめぐる作りとなっている。会場の裏には海があり黒船が泊まっていたけど誰一人見学者がいなかった。それから待たされることまさかの20分。会場には段ボールや紙やトレイで作られた船が展示してあるものの5分ですべて見終わる。それでスーパーハイビジョンシアターに案内されたはいいものの、仕切りのバーの高さが中途半端で、後ろに腰掛けるのか前によりかかるのか会場全体が大混乱していた。
 声のかわいいお姉さんの案内で始まった映像は、ハワイでひたすらハングライダーやサーフィンをしているのを追っかけるというもの。昔NHKが深夜から朝まで流していた景色の映像を思い出した。スクリーンは畳50枚分とやはり大きいし画質も非常に綺麗だ。もちろんでかければでかいほど電力が必要になるんだけれども。で、アメリカンフットボールラグビーかの試合の映像。すごいすごい客席の顔が一人一人見えるよ、これ普及したら逆に観客減っちゃうよなぁとか考えながら5.1chのせいで前から観客の声、後ろから観客の子どもの声が目立って聞こえてきたたため不気味でしょうがなかった。
 映像の後半はショートショート。子どもが橋から飛び降りる勇気試しの映像とか、クレーンで撮影した明らかに不自然な「自然に親しむ子供たち」の映像とか一面のヒマワリの映像とか焼畑とか蒸気機関車とか、コンセプトは未来の子どもたちに残したいギフト=記憶らしい。講演で泥団子作るシーンで後ろに明らかにミッキーの偽物の植木とかあって吹き出しそうになった。
 20分待たせて見せる映像がこれかよ感はあくまで主観なのでほっておくとしても、次に通されたのは電気自動車を絶賛するスペース。来年発売の電気自動車についての映像を見せるんだけどこれがまたツッコミどころが多すぎた。
 無邪気な子供たち3人が「電気自動車は環境にいいの?」「南極の氷が解けるとペンギンが住めなくなるね」などの会話から始まるわけだけども、ペンギン以前に毎日25000人の子どもが死んでる事実*1をこの子たちはどう受け止めるんだろうか。そしてアフリカの黒人の子供たちが「僕らは環境を良くするために木を植えているよ。学校で習ったんだ」というコメント。それに対して日本の子供が「そうか、環境について世界でもちゃんと考えているんだね」と偽善コメント。いやいやいや、アフリカで学校に行ける層はまだ裕福な層で、多くの子供はいまだに労働に駆り出されているという事実を読みとれないのか日本人。
 それから「レストランでご飯食べてるうちに充電できるよ」とか「特定の道路を走ると充電できるよ」とか、ライフスタイルが変わるねーとほのぼのした映像が流れ、その工事費の財源はどこから出るんだよとか思ってると、「タイヤが90度回転するから縦列駐車が簡単になるから便利だよー!」とか言い出す始末。確かに電化するとそういう操作機構を組み込むのは簡単になるかもしれないけど、それで縦列駐車が増えると迷惑な人も増えるだろうに。いや、もちろん技術的にはすごいこと、すごいものを組み込んでいるわけなんだけれど。

たとえば「本当に環境にいい教育」をしてもらっては企業としては都合が悪い。「環境にいい車」を買うより「環境のために車を創らず公共機関を利用する」方がよっぽど環境にいい。消費者教育など妥当なところで終わらせてギャンブルのようにお金を借りる人を増やしたほうが金融市場はもうかるのだ。

産業界からの俗流ゆとり批判について - 技術教師ブログ

ケータイひとつつくるのにCo2が58Kgだったかな?空気としてCO2の重さを認識する機会なんてまずない。小学校で空気の重さをはかる実践があるくらい。だいたい容積で言うと体育館一個分。ケータイ一台で体育館ひとつのCO2が排出される計算。だからと言ってケータイを使うな、買うな、機種変更するなと言っても実行しないだろう。

自虐的技術観・環境観の話 - 技術教師ブログ

 
 そして最後に自分でできる環境に優しいことを葉っぱ型の紙に書いてでっかい風船の中に入れて飛ばすというイベント。
 「車をつくらない」
 と書いて飛ばした。環境配慮を考えるならこの吸い上げる風を起こすエネルギーすら無駄ではないか。
 
 そうして夜8時に解放され見上げた観覧車は非常に綺麗でした。
 旅行代理店からのタレこみによると現在チケットがさばけていないため利益度外視でさばこうと割引している会社があるそうです。もともとみなとみらいや赤レンガなど雰囲気や充実したコンテンツが素晴らしい上、けっこう地味さに笑えるので一度行っておいて損はないはずです。9月横浜開港150周年の記念に、是非行ってみてください。
つまらない? おもしろい? 横浜・開国博Y150を採点!(前半) - 日経トレンディネット
書いてたら興奮してきて一部普段の文体が壊れてしまいました。不快を与えてしまったら申し訳ございません。

産業界からの俗流ゆとり批判について

本日も釣り記事のオンパレードで少々腹立たしいのだが、一個だけ書いておこうと思った。

三角錐の体積が計算できない技術系新入社員---深刻な若手の学力低下 - 日経ものづくり - Tech-On!

絶句した。ある大手メーカーに人材育成に関して取材していた時のことだ(本誌2009年5月号特集「今なら間に合う人づくり」。)。最近の技術系新入社員の基礎学力の低下に関する話題の中で,「半数が三角錐の体積を計算できない」と聞いたからである。それだけではない。家庭の商用電源のおおよその電圧を尋ねる問題が解けない技術系新入社員も十数%いたという。驚くのはまだ早い。この電圧の問題はいわゆる「サービス問題」で,「○mV」や「△万V」といった選択肢が用意されている問題だったのである。いや,驚くのはまだまだ早い。この大手メーカーは,大学院修士課程修了者(修士卒)が技術系新入社員の8割を占める人気企業だったからである。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20090529/171002/

こちらが絶句である。この結果についてはいくつか考えようがあるだろうね。絶対的な学習時間による「平均的な学力低下」についてはあまり違和感はない。ただ問題は次の個所。

若手社員の学力について考えるとき,気をつけねばならないのは,単に感覚的に「最近の若手はダメだ」と決めつけてかかることだ。取材において,我々はこの点に注意した。定量的な根拠を示したかったからだ。調べていくと,技術系新入社員の学力を数年にわたって定量化し,把握している企業が複数あった。毎年同じ問題でテストを実施し,その点数の推移を調べていたのだ。結果は,見事に,いや,残念ながら右下がり。学力低下は高校生以下にも見られ,ある予備校では過去10年同じ学力テストを生徒に行わせてデータを取ったところ,平均点が毎年1点下がり,10年で10点下がったという。

いやいやいやいやいや、この時点ですでに統計的にバイアスがかかりすぎてる。技術系新入社員の学力を数年にわたって定量化し把握しようとしている企業というフィルタリングは結構大きい。予備校のテストにしても、大学進学の倍率自体が減っていることや少子化による受験者数の減少も考えられる。可能性の問題だが、予備校でのテストの対象が浪人生であった場合、大学が定員枠を減らさず上から順当に合格者を出していった場合、浪人するのはかなりフィルタリングされた成績下位層の生徒たちとなるのではないか。
 どちらにしろペーパーテストの点数はペーパーテストをどれだけこなしたか(熟練度)と相関があるという結果が出ているのであり、絶対的な学習時間が減ると点数が減るのは当たり前。それより点数の減少と人間性を結びつける記事の書き方が問題である。

読み手に何を共感させたいのか

この記事の問題点は構造である。

一行目の「絶句した」→「若手技術者の名誉のために断っておくが,今でも優秀な人はたくさんいる。」というフォロー→「ゆとり教育」への責任転嫁→「企業としては,自助努力しか方法はないのだ。」という企業は被害者という立場→ 中堅以上の社員なら,このベテランの「腹立たしい思い」に共感できるのではないか。だが,そこは「仕方がない」と“前向き”にとらえよう。その思いはきっと将来,報われる。自助努力による人材教育の強化を図らなければ,日本の製造業に明るい未来はないというのが,特集を書き終えた後の個人的な感想だ。 と、逆ハンバーガー理論でネガ→ポジ→ネガ→共感という構造でかなりネガティブキャンペーン的手法である。
 若者の特性についても「待ち」の姿勢で云々と書いているが、それは企業と若者の"関係性"の問題であり、特性の問題ではない。それだけ後輩たちを(知識だけでなく態度も)教育できない上司が増えた、もしくは教育技術が伝承されていないと言ったほうが確かだろう。
 すべてを教育のせいにするという構造が個人的にはかなり腹立たしいのだがそれ以前にいくつか考えるべきことがある。

技術系教育の構造と配分

 技術系の教育は主要なものとして中学校技術・家庭、高校では工業科および工業高校、高専、そして大学の工学部および隣接学部がある。
 高専の学生が工学部の学生より優秀で使えるという話はこちらの世界では有名で、というのも普通高校から工学部へ進学しても、普通高校での教育内容は"いかに意味のないシグナルを処理できるか"という「基礎的認知能力」に対応した教育であり、また物理や化学の成績に優れていたとしても、それは科学的理解にしか反映されず、技術的理解には到達しない。簡単な言い方をすると「わかるけどつくれない」若者ばかりができる構造になっているのだ。高専は実践的なモノづくりと知識をスパイラルに高める環境であること、最近は知られていないが進級基準が厳しくなりつつあり確実な定着度が保証されていることなどがあげられる*1

15年前はそれでよかった。

理由は二つ。学校では基礎的認知能力しか求められず、同時に消費者は専門的な知識がないほうがモノが売れるのであるから。

順調な雇用機会の拡大と新規産業部門・業種の成長は、結果的に、特定の具体的な職業的技能や知識が学校教育に要求される度合いを少なくした。急速な技術革新に対応したOJTや、ジョブ・ローテーション、集団的な労働など、日本の雇用システムは、労働者の一般的な基礎的認知能力を活用する方向で組織化された。その意味で、学校は、基礎的認知能力の形成や集団生活の規律の習得など、実際には経済システムと密接な関連のある教育活動を行ってきた。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000270079/buildinordebu-22/ref=nosim/

と指摘するように、従来は企業での教育が前提であった。
 ここ数年の技術の物理的飽和、イノベーションの停滞から基礎的認知によるシグナル処理だけでなく、創造性とかなんとか言いだしたのは企業側であり、その不足分を学校側に求め、足りなければ責任を学校に求めるというのは教育側からするとナンセンスである。その上学校で教育がなされていないという論拠は個別の事例に基づいていることが非常に腹立たしい。

 そして中学校/義務教育段階で技術的素養を求める技術・家庭は「ゆとり教育」が実施される平成10年以前から授業時間の合計が315時間(昭和44年:週1.5時間)、245時間(昭和52年:週1時間)、平成10年には175時間程度と減少しており、実質週0.5時間程度である。
http://www.nier.go.jp/kiso/kyouka/PDF/report_06.pdf

技術教育が3年しかないのは日本だけ。環境をよくするために「車に乗るな」ではなく「環境にいい車に乗る」と教えることが本当に妥当か。結局企業の利益になるだけ。都合のいい教育だし、技術の先生以外が伝えることができるとは思えない。

自虐的技術観・環境観の話 - 技術教師ブログ

と、この時も書いたが、たとえば「本当に環境にいい教育」をしてもらっては企業としては都合が悪い。「環境にいい車」を買うより「環境のために車を創らず公共機関を利用する」方がよっぽど環境にいい。消費者教育など妥当なところで終わらせてギャンブルのようにお金を借りる人を増やしたほうが金融市場はもうかるのだ。
 そうでなければ少しでも使命感と教養のある人は「学校で技術教育をもっと推進すべきだ」と声を張るはずだし、実際はその教育を行うための技術教員が育っていないという側面もある。また実際は5割が臨時免許や他教科兼任などで対応した非免許教員であったりするのだ。

 そうして構造的には消費や生産について十分に知識を持っていない(そして指導要領による活動偏重の)教育を受けてきた一般消費者と、その中で円があり工学部など生産に携わる部門に向かうある意味生産エリートができる構造なのである。また高専卒などは設計・生産の計画でなく、工場での加工などの専門職として雇われることが多く、低賃金で高技能な労働力となっている現状がある。

 そういった背景を抑えた上での指摘であるなら一向に構わないが、ただの俗流若者論に産業的な視点を加えただけの記事であれば、共感したところで学生に求めるものと学生のストレスが増えるだけ。教育業界はその責任を背負わされさらに鬱病率が増加し、質の高い教員が減る。
 就職活動を困難にし、やりがいによる搾取を行い、ニートを増加させ、結果的に健康的被害や経済的貧困を招く要因にもなると考えている。最近の若者が精神的に弱いのではない、最近の年長者たちが求めるものが多すぎるのだ。これは若者と年長者の関係性の問題だけでなく社会的需要と供給などの問題も含む。すべての企業が学生に求めるものや割合を変えているという訳ではないし、昔から学生に高いものを求めていた企業もいるだろうが、あくまで傾向の話をしている。
 これらを踏まえた上でもう少し主張は丁寧に行ってほしいし、この現状を踏まえた上で人を選んだ企業がほとんどであろうからこそ、教育だけでなく何が解決策となるのかを産業界はもっと問い直さなければならないだろう。

*1:一方で高専に対する偏見も強いみたいですね http://viprole.blog53.fc2.com/blog-entry-75.htmlとか

自虐的技術観・環境観の話

先日上司と今の日本人に自虐的な環境観の話をして盛り上がった。ホント20分くらいだったけど濃い話ができたので、了解はもらってないけどまとめておきたい。

「自虐的技術史」

まずはじめに最近感じることとして日本全体に「自虐的歴史観」のような形で自虐的技術史が存在することを切りだした。

僕:日本全体に自虐的技術史みたいな空気がないか。自分たちが作ってきたものが地球をここまで悪い状況に追いやった(それはたぶん宗教的なものや終末論にも結びつく)。だから特に自分が悪いわけでもないのに環境を良くしようとか言う声が強い気がしている。もともと小学校から学校でそういう授業しか受けてこないし自分たちが悪いわけでもないのに先人たちが汚してきた地球をなぜ自分がきれいにしなければならない(贖罪の様な)義務が有るのか疑問を持たないというのが不思議。ドラえもんでのびたのお父さんが「僕が子どものころは川がきれいだった」と言っていたが今の父親世代は一番日本が汚れていた世代だったという話をラジオで聞いて思った。

上司:若者の自己肯定観の無さや自虐性みたいなのは感じる。というより団塊の世代の自己肯定観の強さというか自分は間違っていないというある種の頑固さもすごい。僕も若い人から見たらそちら側かもしれない。環境にいいことをしたいという人たちには行動主義な傾向がある。どう環境によいかより何をしたらいいかが彼らは大事。技術を教える人間は「何が環境によいか」でなく「環境にいいとは何か」を認識レベルで教えなければならない。手回し発電機一台を1分回してできる電気は微量。蛍光灯1本をつけるのに200人が回さなければできない。エネルギーを手で認知する経験は重要。そうして初めてエネルギーの無駄がわかる。

僕:そう、環境にいいことをしないといけないという焦燥感のようなものがある。そして環境にいいことをしたことで安心感を得る。しかし実際に環境にいいわけではない。学校で教える3R(reduce,reuse,recycle)にしても僕はreduceしか認めないという立場。それを伝えてきた。reuseはフロンガスを出すようなクーラーやエネルギー消費効率の悪い家電を長く使い続けても逆効果だし、リサイクルにおいては再生産エネルギーのほうが高くついたり再生産の需要がない場合もある。

環境に良いことという短絡的思考

上司:確かにそのとおり。入学したての中学生に「なぜ技術を学ぶのか」と聞かれたとき「例えば環境問題を考えるときどうやって環境にいいこととはなにかを学ぶのか、技術でしか学べない」と答えた時「我が家はプリウスに乗っている」とにこやかな顔で答えられた。単純に環境にいい技術を使えば環境にいいという考えはある。


僕:短絡的な思考と、あとは同調圧力のようなものがあるのではないか。京都議定書を批准した国でまじめにやっているのは日本とヨーロッパ数カ国。アメリカやロシアのような大国は無視していると捉えられる空気すらある。というより日本が騒ぎすぎという気持ち悪さを感じる。僕らの受けてきた教育は資源を少なく使えとか技術が悲劇を起こしてきたから僕らはもっと自粛しろ、使うなと言う教育ばかりだった。本当に環境にいいことを求めるのであれば昔の生活水準に戻る必要がある。


上司:技術に対して自虐的にでも学ぼうとしてくれたらいい。例えばケータイを分解させた時、「このケータイの中にこれだけの部品が入っているとは思わなかった!」という感想が多い。表示部、アンテナ受信部、送信部、中央処理部、etc...すべてモジュール化してあって、それはわかるけど、中央処理装置がダイオードとか(記憶があいまい)を何百個も組み合わせたなんて意識はない。何万個の部品が使われていて、ケータイひとつつくるのにCo2が58Kgだったかな?空気としてCO2の重さを認識する機会なんてまずない。小学校で空気の重さをはかる実践があるくらい。だいたい容積で言うと体育館一個分。ケータイ一台で体育館ひとつのCO2が排出される計算。だからと言ってケータイを使うな、買うな、機種変更するなと言っても実行しないだろう。(ちなみに上司はいまだに2色画面のPHSを使用)

Googleは悪か

僕:結局昔から技術と環境についてはそういった歴史の繰り返し。新しい技術が起きた、悲劇が起きた、だから規制しようといった議論ばかりが強まる(活版印刷著作権が生まれたり、ダイナマイトは鉱山での採掘時の死者を減らすために作られたのに結果として戦争に使われノーベルは非難を浴びたり)。結果何も進展しない。昨今のケータイ議論もインターネット規制の話もそうではないか。しかも政策レベルで反映される。技術立国を進める一方で既存の技術や新しい技術については害として排他しようとする姿勢をどうにかしたい。技術が悪いのでなくそれを扱う人が悪いという側面の方が強い気がしている。

上司:しかし僕はそちらのインターネットが悪だという側。世代による古い考えと言われても仕方ないかもしれない。しかし、技術者が規制も何もしていない技術に対して法的規制が何もかけられていないというのもおかしい。Googleなんかがそうだ。すべての情報をキャッシュするというのは支配的な考え方。古い本や手に入らない本を公開しようと言って結局手に入る本まで公開されていたりする。大阪に別分野でそういう会社があったがそれはローカルで規模が違う。そうやって暴力とか性的な情報に子供が(フィルターなしで)晒される社会が健全だと思えない部分もある。

僕:たしかに手に入りにくい本を公開するというのは理念としてはよいものの、現実をみるといろんなデメリットがある。僕は技術は増幅器という考え。悪意(例えばストレスや悪口を言いたい欲求)があってインターネットを手に入れて初めて悪意が増幅されてアウトプットされてしまう。車もそうで悪意のない人はスピード違反しない。ヤフーなんかは自主規制をしているがGoogleは逆行している。使い分け方は自然に身に付くものじゃない。

環境問題は理数教育だけでは解決できない

上司:家族内での規制も無理になってきた。四六時中監視するのもおかしな話。環境の話に戻る。結局理数教育を進展しましょうとか理科や数学の教育だけでは環境問題を解決できない。あれは評価の仕方を学ぶ教科でしかない。フィールドワークで河がどれだけ汚れてますねと知ったところできれいになる使い方をしましょうという結論はスローガンでしかない。生産現場までフィードバックしないと本当の環境実践なんかの効果は得られない。もしくは学校で植物を植えたところで変わらない(場合が多い)という現実もある。

僕:聞いた話だと会社側が社内研修で技術的なことを教えるから学校教育側は余計なことはするなという圧力があるという話もある。確かに会社側で研修でノウハウを伝えていく方が洗脳しやすいし都合の悪い情報を与えなくて済む。技術教育が3年しかないのは日本だけ。環境をよくするために「車に乗るな」ではなく「環境にいい車に乗る」と教えることが本当に妥当か。結局企業の利益になるだけ。都合のいい教育だし、技術の先生以外が伝えることができるとは思えない。

上司:僕が知っているのは大学側に理科ですら間違った概念を教えられると困るから数学だけしか教えないでいいという人がいるという話を聞いた。技術はもっと上の概念だから教えなくていいという立場もあるのだとおもう。生産についての視点を知らなければ(技術者倫理だけでは限界があるため)環境を変えようがない。政府が本気で解決したいと思うのなら「18歳未満インターネット禁止、25歳未満は車に乗るな」って法律で決めるしかない。それができないのであれば技術を週5時間に増やすしかない。現在の理科の教員には教えることはできない。

まとめ

結局同調圧力とか自虐性(承認不足)とかいろんな要素が技術に対する目に反映されているんだと思う。この世界に正解はないので少なくとも"妥当な"、望むらくは"最適な"技術の使い方を追究する姿勢という部分に目を向けていきたい。自虐的技術観の払拭はこの先の課題かもしれない。と言っても問題意識なしに技術を使うようにしたいという意味ではない。

他にも電気の概念をどう伝えるかとか"職人"は工芸や生産の世界では尊敬の対象であるものの電機や機械の世界での職人は尊敬されない、エンジニアや科学者という認識だという話もしたが割愛させていただきたい。本当に短い時間だったが楽しかった。僕らはお互いに偏った部分がある中での会話かもしれないが、技術の先生や教育の世界での認識が上司位になればよいのにと本気で感じた。

好きだった教科

J-WAVE別所哲也氏の番組でアンケートを行った模様。
技術・家庭科がダントツで1位です。記念に魚拓
http://s02.megalodon.jp/2009-0421-1029-27/www.j-wave.co.jp/original/tmr/index.htm

ただ技術科と家庭科って一緒にされてるけどやる内容とか重点置いてるとことかは全く別の点なのでさらに分けて集計してほしかったなとも思います。