剛力彩芽じゃなくてよかった-映画評-「さよならドビュッシー」

 いやー橋本愛の演技すばらしいよ。

「このミステリーがすごい!」大賞作品の映画化。公式サイトはすでに閉じた模様。あらすじはこんな感じ

両親や祖父、帰国子女の従姉妹らに囲まれながらピアニストを目指す16歳の少女・遥(橋本愛)。ある日、祖父と従姉妹とともに火事に巻き込まれ、ただ一人生き残った遥も全身に大怪我を負う。
それでも遥は不遇にめげずに、ピアニストになる夢を実現させるべくコンクールに向けて練習を積み重ねる。そんな中、彼女の周辺で次々と不可解な出来事が起こる……。

さよならドビュッシー | 横浜の映画館・ミニシアター「シネマ・ジャック&ベティ」

 いやすごいのなんのって。映画開始2分で両親が死んで、開始8分で従姉妹と祖父が火事で死んで火事に巻き込まれて全身皮膚移植とかしてきれいなまま生まれ変わって、ピアノ弾きたいけど指が動かなくなって遺産が転がり込んできてそのためか階段に細工されたりして何度か死にかけて、ある日ひょんなことで出会った天才でイケメンのピアニストが助けてくれて熱心に指導してくれて精神的にもフォローしてくれる。「適度に不幸な私」と「才女の私」「支えてくれるイケメン王子様」が黄金比に近いバランスでまぶされており、したたか系不幸少女役がにあう橋本愛を非常においしく仕立て上げてくれている作品。特に探偵役とヒロインが漫才をしたり知ったかぶることはない。
 橋本愛の演技力がなかったら、ぐだぐだな脚本もただおしゃれな感じのピアノクラシックで彩った世界観も厨二的刹那主義で終わっていただろう。ピアニスト役の俳優さんもガチのピアニストらしく、途中に刑事と話すところ以外は演技も不自然さがなかった。
 ストーリーはこてこてなのでだいたい展開や犯人がすぐわかるし謎解きとかなしにあっけなく逮捕された場面には笑った。「ピアニストは手首で呼吸する」という台詞位しか思想哲学っぽい話は出てこない。映画好きが見てもそこまでガッカリはしないので、見て損はない作品。唯一結論じみたことを言うとすれば、橋本愛本当に可愛い。

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レジリエンス(精神的耐久力)なんてあるわけねえだろ

 心理学界隈でこそーっと盛り上がり始めたレジリエンスという研究、”折れない心”という文言でNHKなんかでも特集された。
NHK クローズアップ現代
 実験なんかを見ててもストレスを与えて耐えれる人と耐えられない人の違いみたいなのを研究していて、耐えれた人は柔軟な思考がある、とかそういう偉そうな結論をつけている。
 だからといって僕はこういったレジリエンスの訓練が広まるのはあまり感心しない。レジリエンスを高めることとストレスをマネジメントすることは一見同じようで違う。

 心が折れるかどうかはもっと大きな要因がある。
 例えばそれがどういう意味があるのか見えないことを繰り返し行わされても人はストレスが極大化するだけ。実験者や実際の生活ならそれをやれと言った上司との人間関係の方が続けられるかどうかというのに大きく影響する。
 次に一番精神的耐久力に影響するのは利益連結性である。最近出川哲朗氏が車に落書きをされてそれを笑いにしようとした番組に批判が集まった。
出川哲朗の車にイタズラ! 全面に「バカ」落書き、ドッグフードで汚損…「アッコにおまかせ」演出に疑問の声 : J-CASTニュース
それが笑いとして成立するかどうかはともあれ、そういった一見いじめにちかいいじりを受けても耐えられるというのは、そこに金銭をはじめとした報酬や利益を生む関係性があるからである。逆に言うとわかりやすい、どれだけやっても利益が上がらない作業を繰り返させられたり、利益にならないのにいじめやいじりのようなことを行われると、耐えられる訳がないのである。コミュニケーションにも同じことが言える。居酒屋でお互いがバカにし合うようなコミュニケーションは、友人関係の維持ぐらいしか利益がない。
 日本の子供たちが特段自尊感情が少ないというのも当たり前で、利益連結的な活動というものを行わず、学校のほとんどが教師と生徒の関係、生徒同士の関係で、関係の維持を迫られるためである。対外的に利益連結的なイベントと言えば文化祭体育祭修学旅行くらいであるが、これらも学校側がある程度フレームを提供するため自由度が低い、機会不足であることが理由としてあげられる。

 レジリエンスを訓練することが叫ばれるのは後ろ向きな理由でしかない。不況で利益が出ないけど激務に耐えなければならない、そんなときレジリエンスが、といった文脈である。レジリエンスのあるなしや高低を問題にされると、それはつまり社会全体で議論すべき問題が個人の問題に矮小化されてしまう可能性がある。ブラック労働に堪えるためのレジリエンスと、リーダーシップとしてのレジリエンスではまるっきり性格が逆のものとなる。レジリエンスを叫ぶ前にちゃんと利益連結性を保つような仕組みを整備したほうがいい

これから教育したい人へ-教育実習生へ送るアドバイス その2

 前回のつづき


生徒の背景は多様

 現場に入ってコミットした後感じるのはその子供たちの個性だけでなく環境の多様さである。
 あなたは親が政治家の子供にあったことあるだろうか?親がヤクザ屋さんの子供は?親が風俗経営してる子供は?子供は皆サラリーマンの子という訳ではないし、親によって家庭の文化が全然違う。家にヤクザ屋さんが出入りしてるからかえりたくない、なんて子は学力格差が大きな地域では普通にあるし、外部の人間が「成績を上げるために学習支援!」みたいなことを言っても現実はそれ以前の問題だったりする。
 我々が意識すべきは「そういうやつもいていい。」という承認から入り、「郷に入っては郷に従え」を必要なときに行えるよう支援することである。生まれや容姿など、生まれつきでかえることが難しいもので否定されるのは、当事者にとってたまったものではないが、大人の世界ですら普通に行われているし、ある程度のあきらめを学習しながら皆成人していく現実がある。受け入れてもらえるコミュニティがある、ということをせめて教師ぐらいは示すことができるようにしたい。

生徒に惚れない

 短期的に教えにくる若い先生という存在は、学習者に取っては異質なもので、実習生はいままで経験したことないちやほや経験をすることになる。内気なセカンド童貞系男子が実習終わった後、本気で生徒を口説こうとしてどん引きされたり、理系男子が「初恋の人に似てる」といって小学生が泣いたり、結構笑えない友人たちの姿を見てきた。相手が自分に好意を抱いてくれていても、それは思春期やフロー体験による熱の延長であることを、ちゃんと引き算して考えるようにしておきたい。

3人よると嫌なやつ

 多分皆経験あるだろうが、個人ではいい子だけれど、3人よるとおちゃらけるやつがいる。2人だと対等に接してくるのにジャイアンみたいなやつがくると途端にスネ夫になってドヤってくる、といった現象がそこかしこに見られる。そういうのはたいてい関係に緊張している証拠である。教員同士の情報交換でも、生徒は誰といるときどういう顔や姿を見せる、といった具体的な形で話をする。そうした緊張感が暴走して授業を妨害することもある。
 教員やファシリテータの仕事の本懐は、場の緊張感を適度にコントロールすることにある。そのためには叱ることだけでなく、黙ることも許すことも手段としては効果的である。うまくいかないときには必ず「北風と太陽」を思い出すこと。怒る(感情の発露)と叱る(論理的なダメだし)は違うという人もいるが、それは初歩の話で、どっちにしろ強制力を用いて教師側に都合がいいように誘導しようとしている事に変わりはない。それよりも周囲の目を気にせずちゃんと能動的に自発的に学習しようとする方がよい、というのは頭に入れておこう。

怒ってもいい。ただビジョンを示すこと

 まじめに学習しない相手を、説得すれば聞いてくれると思ってはいけない。相手は集団でありリヴァイアサンである。ただ一方で、怒ったり叱ったりしてダメを言い続けても学習者は萎縮するだけである(学習性無気力)。怒り続けると面倒な先生だからと表面的に取り繕われるだけ、そういう役割の先生も必要だが、それはベテランや強面の先生の仕事。学習者との立場や年齢が近い分新しい視点や価値観を提示してあげるとよい。
 具体的には、相手の人格を否定するのでなく、どういう集団であるべきかを語る。「足を引っ張り合って成績が下がる集団と、協力して成績あげる集団とどっちがいい?」といえば、ほとんどの人が後者というし、前者と答えるようなひねくれ者は構ってほしかったり家庭環境に問題がある場合がほとんどである。メンターや指導教官にちゃんと相談して対策を考えるようにしたい。

AさせたいならBと言え (教育新書)

 同タイトルの書籍があり、僕が教育実習の際はこれを推薦書籍として提示された。今でも十分通用する原理的な本である。
 指示はぼやっと言わないこと。達成目標の目安となる具体的な数字は必須。
例えば掃除しろ、でなくゴミを30拾いましょう、といったり前を向いて、でなくへそを向けて、と言ってみたり。言葉はできるだけ少ない方がいいし、語尾一つ買えるだけでも効果が違ってくる。教育実習はそういった違いを実験できる場でもある。
 させたいことに対して時間が余ったり足りなかったり、時間はベテランでも読み間違う。時間が足りない場合は延長すればよいし、時間が余った場合にどうするかまで考えて指示を出す、といった用意が求められる。あと指示は口頭でなく板書や画用紙に書いてはったりスライドに示して常に参照できるようにしておくこと。

道具を用意していいので注意を引く方法を3つは持っておく

 これは上級者向けかもしれない。例えばベテランの先生は授業の最初に授業規律をつくる。授業の際2回手をならしたら注目するように、とか人が発言するときは最後まで聞く、とか先生が生徒の方を向いたら5秒以内に静かにする、とか人によってつくるルールは違う。このルールは3つ以上つくらないこと。先生は一人だけではないし、多すぎると混乱してよけい騒がしくなってしまう。それからルールを守るメリットもちゃんと伝える必要がある。
 ルールがあるから守るかと言われたら、守り続けるのは育ちが良い子と責められることを極端に嫌ういわゆる「まじめ系クズ」気質の学習者ぐらいである。
 注目を集めるときに言葉だけに頼りすぎないこと。なんなら踊ったり手品をしたりしても良い、ただし、その行動と学習内容を結びつけること。一日一ネタはすぐ底をつくので、乱発はしないように。

これから教育したい人へ-教育実習生へ送るアドバイス その1

 教育実習の時期だと聞いたので、これからセミナー講師や授業をする人向けに自分の経験や見聞からいくつかアドバイスを記録しておこうと思う。この手のアドバイスは細かく書き出せば100くらいいってしまうのが教師の専門性らしいのだが、ぼくは難しいことを話すつもりはないし、なによりも目的意識を持つことが大事だ!みたいな話をするつもりはない。なぜなら実は教育実習はやる気のない大学生にとってこそ非常に大きな影響を持つイベントだ。やる気のなかった学生がこのままじゃダメだと急に勉強に目覚めたり本当に先生を目指そうと決意を決めたりすることが多い。逆に少数だがこれで適正がないとあきらめる人もいる。要領の良さがものをいうし、時間をかければいい授業いい教育ができるという訳でもないので、そこらへんのバランス感覚を経験してもらいたい。

1.自分から関わりにいかないと関係性はできない

 教育実習のとき、ろくに指導してもらえなかったという感想が一番多いのだが、実は先生方は実習生をわざと放置している。自由な時間を与えて自分から生徒や先生方へ関わりにいくようしむけているのである。実習期間の学校における関係性は3つしかない。1、先生との関係、2、生徒との関係、3、実習生同士の関係である。
 特に指導教官との関係はちゃんとつくっておくこと言われたことを待つだけでなく「相談があるんですが」「確認したいんですが」「教えてほしいんですが」と最初に言葉をつけて用件を伝えること。用件がハッキリしないと相手はアドバイスを与えられないのでお互いの時間が無駄になってしまう。話し終わった後の「ほかに打ち合わせや確認しておく必要のあるものはありますか?」は意外と効果絶大だ。お互いに取ってタスク整理ができる。メモは必ず取ること。
 生徒や実習生仲間とは空気呼んだりせずできる限り情報交換しておこう。セミナーの場合はお客さんの情報収集だ。特にクラスに1〜2人いる情報屋さんは押さえておくと人間関係まで把握できるので授業や実習に還元しやすい。

2.授業の達成目標は4つ

 授業ってのは瞬発力でできるものではない。基本的に展開を構成する必要がある。展開を記録するために指導案がある、この目的は2つ、頭の中の整理と人にこの授業で何をやりたいかを伝えるためのものだ。指導案や学習計画を練るときは、目標を「知る」「わかる」「理解する」「できる」の4つで記述すると良い。到達点が明確だからである。「知る」は授業で教師が口頭で触れるだけ。「わかる」は問題を出せば単語を答えられる状態、「理解する」は自分の言葉で説明できること、「できる」は細かな動作や習慣付けなど行動や態度を変容させたい場合に使う。授業導入でニュースについて知る、全員が跳び箱の6段をとぶことができる、などである。逆に言えば、○○力を身につけるなどの抽象的な言葉は再現性がなく冗長な害悪でしかない。客を呼ぶための宣伝文句と具体的に得るスキルや能力は必ず切り分けなければならない。
 さらに大事なのは目標を1時間に3つ以上ならべないこと。これは頭の中で優先度を整理する訓練であるし、人間(生徒や学習者)は一般的に短時間で覚えられる内容は7つ前後。大事なのは忘れないように時間を空けて復習の機会を用意することだったりする。

3.生徒の活動と自分の活動を書く

 指導案を書くことを前提に、基本的に自分(教える側)と学習者の活動を平行に考え記述していく必要がある。
 授業の留意点に「がんばる」みたいな自分の心持ちなんて書かない。教師がなにをするかだけでなく生徒が何をどういう思考過程で学ぶか、を想定して学習者の活動を書かなければならない。大事なのは何をするか、出なく何をすることで何を学ぶか、というメタ構造である。そのためには事前に学習者は何を知っていて、何を知らないか、を想定し、その想定の精度をどんどん高めていく必要がある。

4.1つの授業をつくるのに、授業時間の10倍の時間がかかる

 指導案ができたら授業のリハーサルを脳内であれ現場であれ繰り返す必要がある。なにをやるか、何をやりたいかは後回し。達成したいことの優先順位を決め、導入、活動、振り返りで1つの授業を完結させる。守破離という考え方がある。オリジナリティを出すためにはまずよしとされている伝統を守り追求することから、その伝統を破り離れて自分らしい授業を行うということだ。最初からオリジナリティの高い授業なんてできっこないので、まずはトークとチョークで一通りのことができるように鍛えること。それから学習者の机に座ったり、自分の声を録音してちゃんと伝わる話し方かを分析すること。話すスピードは自分が思うゆっくりな話し方の2倍遅い位のスピードでちょうどいい。

5.言葉を言葉どおり受け取らない

 言葉を額面通りに受け取っても傷ついたりぬか喜びするだけ。嫌いな先生に嫌いとはいわないし、基本的にはこのタイミングでこの相手が言葉を発するという行為を分析した方が良い。憎まれ口が助けを求める心の叫びだったりすることもままあることなので、学習者と対峙する自分に実存をおいてはいけない。常に客観的な目も同時に持つ必要がある。
 現場の先生たちは学習者たちが憎まれ口をたたくのをわかっていてわざと先生も憎まれ口をたたきながら生徒との適切な距離を保てるよう振る舞っているし、何かあれば就業規則を破っても生徒を守ろうとして行動に出たりする(そういった武勇伝もたくさん聞かされてきた)。詳しくは死にたい奴は勝手に死ね - 技術教師ブログを参照にされたい。
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うはwww大島優子から間違いメール北wwwww

 という訳で前田敦子から間違いメールを装った迷惑メールが来るとNHKで紹介されていましたが、僕のところにも大島優子から迷惑メールが来ました。

件名:昨日はAKB卒業のこと。。いいアドバイスできなくてごめん(*>_<*)
私もまだ卒業セレモニー終わってないし。。。微妙な時期ではあるけど、またい つでも相談に乗るからいつでも話してね(*^^*)☆
完全にグループ抜けたらにゃんにゃんに会える機会もかなり減っちゃうのか な。。寂しいよ(*>_<*)
離ればなれになってからも、いっぱいごはん行ったりしようね(*ノェノ)
akbakb_yukoyuko@ezweb.ne.jp

にゃんにゃんはAKB48のこじはるさんのあだ名。あの二人ってそんなに仲良しなの??

おまけ

なんかすげえなれなれしいメールがきて、意識高い友人がたくさんいる僕個人としてはびっくりした

from:wholeheartedly.nt@docomo.ne.jp-sp.net
件名:直人です�見覚えありますか?
2014/04/10 13:03:25

電話帳を整理をしてたら誰か分からないアドレスを発見したので メールしてみました!知り合いだったらごめんなさい�すみませ んが、名前を教えて下さい糕



from:wholeheartedly.nt@docomo.ne.jp-sp.net
件名:さっきメールした直人です�
2014/04/10 14:08:00

どうしても思い出す事が出来ません糕このアドレスはあなたので すよね↓
xxxxxxx@x.vodafone.ne.jp (伏せてあります)
お名前だけでも教えてくれませんか?

wholeheartedly.nt@docomo.ne.jp-sp.net
件名:知り合い.じゃなかったらアドレス消去します�
2014/04/10 16:12:18

何度もごめんなさい�どうしても誰のアドレスか気になってしま って…糕名前を聞けば分かるかもしれないと思ったんです! もし,お互いに身に覚えがないならアドレスは消去します�一度 返事して貰えませんか?

あざといDocomoまがいのメールアドレスとこの適度にスペースや.が入ったメールは基本的にスパムメール。返信すると生きてるメールアドレスとして業者の名簿に登録されるので注意


嫌われる勇気
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話がらっと変わるけどBATHTOROGYを結構気に入っている

 さっき風呂に入ってそういやこれ気に入ってる割に紹介してないなと気づいた。
花王から出てるBATHTOROGY、名前の意識高そうで高くできなかった感じとかパッケージやプロモーションもいまいち振り切れずに話題に上らず終わっていった感じで、取り扱ってる店舗が少なくて困っているのだけれど、これが意外と男子的に使い勝手がいい。
ライオン株式会社|【販売中止のお知らせ】
 まず泡で出てくるので泡立てタオルを1~2回クシュってするだけで見事に泡が増産される。液体ボディソープとかだとこれが5〜6回クシュクシュしたりすりつけないといけないので時短がありがたい。忙しいときはそのまま手で全身に塗りたくってる。
 それから洗い心地も(なんか肌に優しい大きさの泡ができるらしいんだけれどそんなのは自覚できない代わりに)女性向けボディソープ特有のしっとりぬるぬるしてる感じが少なくて、意外とさっぱり感を感じれるようになっている。
 においもトイレの芳香剤みたいに安っぽくない感じだし好みに合わせて選べるので気に入っている。
 あたらしいパッケージだと男性的に手を出しづらい感じになってるのだけれど、ぜひ試してみてほしい一品。

DJ系男子が唸るアイドル楽曲4選

【注意】動画記事なので多分動作が重くなりますが、曲のよさは保証しますのでぜひ最後まで聞いてください。

 DJ系男子とは、他人に自分の自意識に大きな影響を残した曲を紹介したがる男子のことで、例えば青春時代にMONDO GROSSOを聞いて自意識を拡張させたような人々のことを想定しています。彼らは業界では有名だけれど、一般的には知られていない、人に言うと「こいつ、できる!?」的な音楽を発掘することを生き甲斐としています。
 アイドルについていろいろ研究しているのですが、ほんとにテレビで放送されないような名曲が多々出て来ては解散や大人の事情で取り上げられずに終わって行く楽曲も多いので、今回スタンダードから解散したものまでオススメを4つ紹介します。

Juice=Juice 『イジワルしないで 抱きしめてよ


テレビ番組ゴッドタンでも文句なしで注目アイドルランキング首位を会得した佳林ちゃんさん率いるジュースジュース、コンセプティッドな可愛い新曲も続々出ているけれど、やっぱりこの曲のイントロが最強。lisaやm-flo、クラシックハウス系の初代ビーマニ楽曲を聞いてガチのほうの厨2病をこじらせたタイプの音楽好きはツボること間違いなし。僕の音楽系の友人たちはイントロでテンションが上がり歌が始まってイヤホンをはずしたけども。ダンスもwaack(ワック)の要素を取り入れたオールドスクールで、ピアノハウスとsaxのBGが本当にニクい。PVだと分からないけどこの後完成度がかなり高くなっているのと、サビの途中の両腕を揃えてぶりっ子ポーズも破壊力が高くてヤバい。今回は紹介しないけどハロプロ研修生の「YouTube」も中毒性高すぎてヤバいので合わせてチェックを。

Negicco「トリプル!WONDERLAND」


 いやまじでネギッコアゲ。アイドル歴10年で地元以外でそんなに目立った活動をしていなかったネギッコが、ある日突然ピチカートファイブ小西康陽氏にピックアップされプロデュースされるという展開に業界が騒然。アイドルがアイドルばかり聞かないでと歌うパラドクス満載の曲もtokyoは夜の7時感があってよかったのだけれど、この曲もポップ!×3。今回は元シンバルスがプロデュースとうことで、大画面で動画をずーっと見てるとそんなに可愛い訳じゃない3人がだんだん可愛く見えてくる!!同じような路線でバニラビーンズの曲も可愛いんだけれど、こっちは元から可愛いからダメ。それからいずこねこの変調ばりばりの曲を紹介しようと思ったらyoutubeなどに曲だけの動画が無いのと、ライブ動画は楽しそうな一方声がつらそうなのでDJ系男子が好むかどうかは相性がありそう。

乃木坂46 『でこぴん』

 
 一日3時間位ループできる、ただでさえ可愛い乃木坂46の、選抜5人が歌うでこぴん。本来はお笑い担当の高山さんが℃-ute鈴木愛理さんばりに可愛く見えるのが非常にくやしい作品。前出のnegiccoのごとくピカピカでファッショナブルで超カラフルポップなPVによって友人が何人か乃木坂ファンになったらしい。攻撃力とか殺傷力と言うより治癒力高い一曲。この曲だけポップな側に振り切ってるのが素晴らしい。

Tomato n' Pine 踊れカルナヴァル


Tomato n' Pine 踊れカルナヴァル 投稿者 minitomato617
 もう解散してしまったトマパイから一曲。存外に名曲が多い彼女たち、アクティブな時に知っていたらと思いつつ、多分ライブより家で曲回して聞いてるだろうなと思ったりもする。ワナダンスも含め色あせない一曲。金曜の夜に聞きたい。

書き上げようと動画を検索しててnaverまとめを見つけてしまって、同じようにいい曲だらけだったのでテンション上がった。
音楽ファンこそ聴くべき「完成度が異様に高いアイドルソング」たち - NAVER まとめ

それからアイドルの動画紹介サービスkecak.meでもたまになんか書いてます。
kecak.me - Registered at Namecheap.com

ちきりん氏の科学教育論もそろそろ幕引きで

 チキリン女史が投げかけた俺流科学教育論がわけのわからん議論を呼び起こしている。
2014-02-25
ちきりん氏のお粗末な科学教育論 - バッタもん日記
「役に立つ知識」としての学問: やまもといちろうBLOG(ブログ)
「ただの知識」だけ学校で教えてもあまり役には立たない - 脱社畜ブログ
科学とは、科学教育とはなにか – The Long Wait
「エセ科学」「エセ経済学」に騙されないために必要なのは「クリティカルシンキング」なんじゃないの? - lestructure's blog
http://anond.hatelabo.jp/20140226082537
「強く生きていく力」を身につけるための学問、教育について – ただの通りすがり
上から3割の意識が高い信者のためのリテラシー教育 - あざなえるなわのごとし
学校教育で鍛えられる「なんとなく」の力の大切さ - chokudaiのブログ
教育を語るならトレードオフを見よう! 経験学習vs系統学習 - 彼氏は日本人。彼女はフランス人。
 そもそも下って何を基準に下なのかしら。境界線当たりの人達はすぐに入れ替わってしまうのが<若さ>だと思う今日この頃。この手の話は結局「俺が報われなかったのは学校で役に立つことを教えてくれなかったのが悪い」という心象に見事にフィットし共感を得てしまうので怖いんだけども、こんな話は「形式陶冶(とうやと読む)と実質陶冶」どっちが大事?どっちも!クソみたいな問い立てんなよ!!みたいな話で100年以上前からこの業界では議論されてきたし、結論がでちゃってる訳で、そろそろ前進したいところ。なんか高卒ニートがそんなトラウマからか、調べて頑張ってる様子だったのだけれど限界が見えているので細くしておこう。それよりニートに屑とか言っちゃダメだよ増田。

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<>を使い留保せよ。僕はキメ顔でそう言った-書評-「現象学は思考の原理である」

 3年前くらいに読んだ気がするのだけれど、哲学書は多角的な読み方が必要となるため、書評が難しすぎて結構な割合で放置している。
 本書はその中でもわかりやすさ抜群。それもそのはず、入門書を書かせたらわかりやすさ大絶賛、専門書を書かせたら大批判でおなじみ竹田青嗣大先生の一冊。哲学史をぱーっと見渡せる本を一冊読んだ後に手を出すのがオススメ。春の長期休みのうちに一つ読んでおくのも面白いだろう。

現象学は思考の原理である (ちくま新書)
竹田 青嗣
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本書は哲学者で思想家竹田青嗣氏による、フッサールの「現象学的還元」という考え方の解説書。「現象学」自体は時代や論者によって定義が異なりこの本もボコボコに言われているのであまり触れようとは思わないが、この現象学的還元というスキームだけは非常にわかりやすい一冊となっている。

再現性でなく確信ベースへ

 心理的な言葉は再現性が乏しい。「感動した」「嬉しい」「楽しい」「悲しい」は同じ経験をしても、誰しもがそう感じるものではない。もしくは「愛」、とか「勇気」、とか「正義」等も、人によって何を示すか違う。言葉を表す言葉(名詞)の中でも、指を指して「これ!」と言えないものは、そこに存在するかわからない。
 言葉には具体性抽象性と言うものがあって、それらは足し算引き算で表すことができる。例えば「犬」や「ネコ」や「馬」を集め足し算=抽象化すれば「動物」という言葉になる。もしくは「犬」という言葉を具体化すると「ブルドッグ」、や「柴犬」、「ヨークシャテリア」、「ゴールデンレトリバー」と言ったものがあげられ、さらに具体化すると「3軒となりのマメシバ」みたいな話になる。普段何気なく使っている言葉は、常に単体で存在するものではなく具体性を孕んでいる。では愛や勇気が孕むものは何か、と言われればそれは人によって想定するものが違ってくるのだ。本書はそういったものの本質を掴むためにいちどエポケーせよ、と繰り返し唱える。エポケーとは何か、それが正しいかどうかという判断の留保である。
 <存在>とか<才能>などと言った表記を見たことが無いだろうか?これがエポケーである。「愛」や「正義」など抽象的で具体性を示しにくい概念をを<>にいれ<愛>や<正義>にしてしまう。「そんなものが存在するかは高い再現性で証明できないが主張者の中では存在するとして」という前提を付け足すのである。タグではない。繰り返すタグではない。
 こうした「お前がそう言うんだったら正しいんだろ、ただし、お前の中でな」という態度から出発することで、その主張者の本来訴えたかった本質が見えて来る。「やっぱり愛が大事」と言われれば「やっぱり<愛>が大事」であり、「<愛>が何を含むかわからないが俺は<愛>を知っているし重要だと思っている」と、<確信>を主張している訳である。そしてそれは現象学的還元を知らない人間を否定するために使われるものではない。現象学を使うことで宗教的な対立は緩和され「真理」は<真理>となると考えられていた。「主観で無く客観的にしゃべろ」「客観は証明できない、今自分が見ているものも自分の脳が作り上げた幻影かもしれない。すべては認識の問題だ」といったような対立ではなく、留保し問題を追及することで、誰が主観的客観的主張をし何を解決しようとしているのか、という本質を見極めるフェーズに移行する。その確信の成立要件は何か、と問いを変える、議論を一歩すすめることが出来るのである。

世間は確信に溢れている

 こうして留保してみると、世間の言説は基本的に確信構造に満ちている。そうした言説に抽象的具体的操作を加え、エポケーすることでその言説の強度やメッセージの裏、即ち利益誘導やその人の<認識>している世界が見えてのである。指を指すことができず人によって想定するものが違うものはほとんど留保する必要がある。<真実>とか<価値>とか<いのち>とか<美しさ>とか、<論理力>とか<創造性>とか<自分>ですらそういうことになる。名詞だけではない<救う>とか<可愛い>とか、成立のための条件を問う必要がある価値判断の言葉は要注意である。ブログの過去エントリーでも何度か<>(山カッコ)つきの表記を行って来た。(なお、意外と知られていないが「」鍵カッコの場合"いわゆる〜"と読む)
<みじめ>と不自由のトレードオフ - 技術教師ブログ

 思考が好きな人以外には必要ない、と思うなかれ、日常生活でも指示をする時どうしたら達成したのか、という条件をしっかりと用意することは人に指示やお願いをする上で非常に大事である。「愛をください」と連呼しても人々は助けてくれない。「人間力」が大事、なんて言ってる奴は結局<人間力>=俺に取って都合良く判断し動いてくれる人が大事だと言っているにすぎない。こんな言葉が山ほど並ぶ論評記事や自己啓発書によって、あなたは激励されているようで実は利用されているかも知れない。そう言うハイパーメリトクラシーな議論になった時、このエントリーをぶつけて欲しい。人間力が大事なのではなく、具体的に何を達成したら人間力が<ある>と言えるのか、<教育>が大事だと言いながら、<人格>形成が大事だと言いながら、<自分>は何を確信してそれを話しているのかをしっかりと見つめ直さねばならない。<ぼくら>の<居場所>や<未来>は確信の中にあるのである。

BBA達はいかにセックスアンドザシティを楽しみ炎上を解釈したのか -メディア評- 映画「ハンナ・アーレント」

 年末に岩波ホールで鑑賞。チケット入手に40分強並び、これで内容が酷かったらおこだよ!と思ってたけれど、案外よかった。
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/images/intro/text01.jpg

 本作は、哲学者であり活動家であった50歳のハンナ・アーレントの執筆と反響と過去を描いた作品。開始15分はひたすらジジババが知識層とホームパーティを繰り広げ、ハンナも旦那も別の男だの女だのとキャッキャウフフするリア充な描写が続く。けだるそうにひたすらタバコを吸い続けながら執筆と哲学に明け暮れた荒んだ(それでいて輝かしい)描写が連続する。風立ちぬの6倍くらい吸ってたのでマジで規制が必要なレベル。
 本作のストーリーの核となるのが、ヒトラー政権下で大虐殺を指揮したアイヒマンの裁判を大学教授であるハンナが傍聴し、その記録と考察をニューヨークタイムスに載せ、世間から批難を浴びると言うところ。ハンナは、この虐殺は彼が極悪な思想を持っていたから起きたんじゃなくて、彼は凡庸であろうとした末、全体主義が作り出したのだと執筆し、それが世間にはアイヒマンを擁護したものだと受け取られた。これにどう反論するかは作品を見てのお楽しみなのだけれど、その反論が行われる最後の15分の講義は非常にしびれる見せ場となっている。背景を補足をしておくが、ヒトラーの右上にヒムラーという参謀がいて、ヒムラーが虐殺を禁止しても高官であるアイヒマンはやめなかったそうだ。
 我々ブロガーなら共感するかもしれないが、彼女は最後の15分にこんな台詞を言う。「『理解』と『赦し』は違う。」。赦せないし繰り返しては行けないからこそ、なぜこの歴史に残る犯罪が起きてしまったかを理解し考察しなければいけない、と、彼女は自身が迫害にあったユダヤ人であったにもかかわらず、ストイックにその解釈を追求をした。所々悲しんだりハイデッガー(本作ではポエトでロリコンの変態だとしか思えない)との過去を思い出したり、人間的な描写を幾重にも織り込むことで、彼女が冷徹な人間ではないことを強調していた。
 気になったのは、翻訳の上で、彼女やハイデッガーの台詞には<>がついていなかった。<存在>すらもただの「存在」として表記されており、これは多分翻訳家の教養の問題に落ち着くのだろうか。
 少なからず頻繁に社会的ステータスが高い人達とホームパーティしたり「キスは私だけにしてね」などラブラブで尊敬しあえる夫婦関係を維持していたり、50代の夫婦のかっこいい生き方を描き出した部分が訴求力として、ニュースになり列をなすまで話題になったのかもしれない。しかし2人で見に来て夫の方が寝ている夫婦を僕の周りだけで2組は見た。
岩波に並ばずとも現在も東京、関東と地方でも放映はされているそうだ。公式webページにはその情報が掲載されておらずチケットを買う5分前にそれを知り激しく萎えたのだが、そんな萎えも吹き飛ばす、思考と人間関係描写が程よいバランスの映画であった。
なお、帰りに神保町の古本屋にいくつか寄ってみたら、ハンナアーレントの本が品薄だった。

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ついにLINEでも出会い系スパムが飛んでくるようになった

長く使ってる人には周知の話なのかもしれないけれどはじめてLINEスパムが飛んで来てそんな時代なのかって少し嬉しくなってしまった。

初めまして♪
突然のメッセごめんねm(-_-)m

暇だからLINEで
ID検索してたら
出てきたんで
飛ばしてみました☆

って ゆーのも
彼氏にフラれて
寂しいってゆってる
友達がいるんだ(*>ω<)

さおりってゆうんだけど
このコが気になったみたいで...
紹介していいかな??

天然で顔も可愛いし
仲良くしてあげてほしいな☆

さおりLINEのアカウント
BANされてるから。。。

別のチャットやってる
みたいだからぁ そっち教えるね!

http://wk.tk/xc80db

↑写メもあるからいってみて♪
相当寂しぃんだって。
HネタもOKな子だから 笑っ

私は彼氏いるから
あんまり絡めないけど
仲良くしてあげてねっ♪

さおりのこと
よろしくです(`・ω・´)

僕アイコン設定してないのだけれど、LINEメッセージ送ってくる割に垢BANされてたり知らない人を別のチャットに誘ったり仲良くしてあげてって、異常に自分のことメタに見てたりなかなかじわじわくる出来であります。
これから増えるんだろうなー。

オタクになろうとするヤンキーと、ヤンキー化する秋葉原-いまさらC84レポート-

 今更で申し訳ないが、気鋭の新人アーティスト、水曜日のカンパネラのボーカルを案内するためにC84 3日目に参加して来た。
 今回は3日間で59万人と過去最高の来場者数を達成し、また別の層を取り込みつつ市場は大きくなりつつあるのではないかと感じさせる。
 前回から変わったところと言えば、子連れや中学生や女子小学生だけの来場者が散見されたこと。もちろんアダルトじゃないブースもあるので特に批判するつもりも無い。
 それから気づいたこととしては、コスプレイヤーにちゃんと付き人がついていること、マネージャーか,専属カメラマンなのか、きわどいコスプレのお姉さんと一緒に行動しているのを記憶に残るほど見かけたのははじめてだった。
 オタクマーケットが徐々に参加型にシフトしてかなりの時間が経ち、マーケットは成熟し、オタク(コミュニティ)はヤンキーを越えた。もはやココにいるのはリア充よりリア充なオタク達だ。

続きを読む

これから来る新しい暮らし方はブロイラー!!ノマドとかもう古い!!

 いろいろ調べてて話を聞いて思ったんだけれど、シェアハウスもノマドももう古いですね。次に流行るのはブロイラー、これ。
「貴重なお話感謝します、お名刺交換してもよろしいですか?」
「あ、はい」
「ちなみにいま、何やってる方なんですか?」
「うーん、ブロイラーかなー」
「ステキ!!(ガタッ 結婚して!!一緒に住みたい!!」
みたいな世の中になるのも近いので紹介しておこうと思う。

 ブロイラーとは、その語源のごとく養鶏場のように家からはなれず通販や定期購読でものを補充し新しい価値を産みつつける住み方。数名の先見の明がある識者たちが、これから家が無くなる等と言っていても、それは日本人や日本の制度的にはまだ早すぎた。最低限の拠点やセキュリティはやはり必要だ。次にステップとしてくるのはとにかくギークハウスのようにクリエイティブな人達と引きこもること。引きこもってひたすらPCやテレビと対話し、人に会いたいときは人を呼んで遊ぶ、一部の怠け者にだけ許された特別な甘い時間なのである。
 東京を中心におこったシェアハウスブームは一段落し、シェアハウスで頻繁に行われていたイベントも一部のコミュニティだけで収束してしまった。シェアハウスを不動産が管理するシェアハウスが主流となりつつある。同時にシェアハウスないでの需要を見込み、家を使いそのままプロモーションをする試みも行われていると最近知った。
参考:d プログラム(d program)|資生堂
 こうした住処にいてそれでいて商品が届くサービスは、徐々に増えている。
http://nikutatsu.jp/
【Oisix公式】初めての方限定「おためしセット」はこちら
sakelife.jp - このウェブサイトは販売用です! - 日本 日本酒 定期購入 毎月 お酒 コース オススメ 花見 リソースおよび情報
http://www.sweets-life.com/
http://www.vegeovegeco.com/
http://magico.me/
https://www.box2you.com/
 それから近所のスーパーも最近は配達サービス等を行っている。後はネットワークさえあれば人に会う、場所に行く以外で家を出る必要は無くなってくる。家に人を招いたりイベントする用のパーティルームスペースでもできればブロイラーの完成である。
 甲斐性のある友達でも呼べば、ちょっとした差し入れや生活に必要なものを買って来てくれたりするのでなかなかありがたい。運動不足だけは怖いので、広いスペースで日常的にwii fitとかをするのも忘れないようにしたい。
 従来の引きこもりと違い、ブロイラーではフォアグラでなく金の卵が産まれます。エンジョイ!
 シェアハウスがやりたい方はこちらから →Colish(コリッシュ) - コンセプトのあるシェアハウス生活はじめよう

やる気のなさって、その国の経済的成熟の指標じゃないの??

 こそっと水面下で日本のやる気が問題になっていた。

 日本企業の社員の「やる気」は世界最低だという。これは、アメリカの人事コンサルティング会社KeneXa High Performance Institute(以下、ケネクサ)の調査による「事実」である。

 正確に言えば、ケネクサの調査は「従業員エンゲージメント」についての調査で、28ヵ国の社員100名以上の企業・団体に所属する社員(フルタイムの従業員)を対象に行なわれた。サンプル数は約3万3000名。ケネクサが定義する「従業員エンゲージメント」とは「組織の成功に貢献しようとするモチベーションの高さ、そして組織の目標を達成するための重要なタスク遂行のために自分で努力しようとする意思の大きさ」ということで、要するに「仕事に対するやる気」である。

 この「従業員エンゲージメント指数」、世界最高はインドで77%。以下、デンマーク67%、メキシコ63%と続く。他の主要国では、アメリカが59%で5位。中国57%、ブラジル55%、ロシア48%など。イギリス、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ先進国も40%台後半で弱い。韓国は40%でブービー賞。日本が31%でダントツの最下位である。というわけで、日本の社員のやる気は世界最低という次第である。

 実は僕自身も90年代後半くらいから、日本企業の社員のやる気、仕事へのモチベーションがどんどん下がってきたと実感していた。

世界でダントツ最下位!日本企業の社員のやる気はなぜこんなに低いのか? | 社会貢献でメシを食う。NEXT 竹井善昭 | ダイヤモンド・オンライン

ワシントンDCに拠点をおく世論調査会社、ギャラップ社が10月8日に発表した大規模な調査結果(“State of the Global Workplace”)によると、世界中で、意欲も積極性も持たず、他人の足を引っ張る従業員は、仕事に愛着があり、意欲を持っている従業員の倍も存在すると分かった。
(中略)
「意欲がない」「意欲を持とうとしない」を合わせると、世界の労働者の87%に達する。ギャラップ社の調査はこうした人々を「気持ちが職場から離れていて、生産的であろうとしない」とみる。言い換えると、世界の労働者の9割近くにとって、仕事は達成感ではなくフラストレーションの源になっている。これは、ほとんどの職場は本来もっている能力よりも生産性が高くなく、安全でもなく、雇用者は新しい仕事を作り出せずにいることを意味する。
(中略)
仕事をするうえで幸せを感じる意欲ある従業員の割合が最低だったのは東アジア地域で、全体でわずか6%となった。この数字は中国の結果でもあり、中国では、仕事で幸せだと感じる従業員がわずか6%だった。約68%は仕事から気持ちが離れていて、26%はひどく不幸だとしている。

 日本の結果にも筆者は驚いた。日本にはもっと幸せを感じている従業員が多いのではないかと考えていたが、結果は7%。中国をわずか1ポイント上回っただけとなった。69%は意欲がなく、24%は仕事が嫌いだった。
(中略)
 中南米では、経済規模が最大のブラジルが最も幸せで意欲的な従業員が多かった。驚くことに、27%が意欲があり積極的に取り組んでいる。しかし、62%は意欲がなく、12%は仕事が嫌いという結果だった。
(中略)
 この結果をどう考えるべきだろうか。ギャラップ社は120ページにわたり、多くのアイデアを紹介している。多様な手法でデータ分析しているが、多くは驚くものではない。教育水準の高い従業員は、教育水準の低い従業員より幸せだとする割合が高い、といった具合だ。

意欲なく仕事嫌いな従業員9割も 世界23万人調査 :日本経済新聞

 経営者系の人達が何かいいたそうにごにょごにょしていた。日本の特徴として、平均的な学力が世界一である一方で、人を評価する能力と言うものがメディアによりすごく偏った形になっている。心理学的には自己奉仕バイアスといって、うまく行ったのは自分のおかげ、失敗したのは他人のせい、といった、環境要因と心理要因を使い分ける傾向を見て取ることができる。日本の場合、契機の気は気分の気、などとワイドショーで文化人が連呼し、経済がうまく回らないのは気の持ちようの問題だ、と問題を矮小化する傾向が見て取れる。疲れやすさが勤勉性を示すように、やる気の無さも、報われない社会=経済的発展の停滞≒もう十分成熟しているというのを指摘しているのではないか。
元の調査はこちら
http://www.gallup.com/strategicconsulting/164735/state-global-workplace.aspx
Q12と呼ばれる12個の質問項目を聞くもので、

①自分が何を期待されているかを知っている
②必要な材料(情報)や道具を与えられている
③もっとも得意なことをする機会を与えられている
④良い仕事を認められ,褒められている
⑤誰かが気にかけてくれている
⑥誰かが成長を促してくれる
⑦自分の意見が尊重されている
⑧会社・仕事の使命・目的が重要だ
⑨同僚が真剣に質の高い仕事をしようとしている
⑩職場に親友がいる
⑪誰かが私は進歩したと言ってくれた
⑫仕事について学び、成長する機会がある

◆ギャラップQ12・・・これが答えだ! : クオリアの風景

 ほら、これって仕事へのやる気ではなく、職場のコミュニケーションや自由度を測る質問じゃないの??

報われない社会ならではの、心理主義への傾倒

 意識調査は意識調査で重要なのであるが、それが全てを物語ると解釈してはいけない。
 人間が一番測り間違いやすいものは、「感情」と「性格」だと考える。我々はこれらを当然のように語り、占い、共感するのだけれど、この当然さほど胡散臭いものはない。感情や価値判断に基づいた共感は人を操るために使われると、このブログではさんざん唱えて来た。
 まず、「感情」は物語の中でしか語り得ない。代表的な感情として、<喜怒哀楽>とあるけれど、それは物語の中で行動の理由として使われる道具でしかない。「殴ったのは怒ったからだ」、「泣いたのは嬉しかったからだ。」と。感情や性格という心理とよばれる言葉を使うことで、人間の行動に対していくらでも理由付けが可能だ。人々はこれに納得するように訓練を積んで来た。
 だけれど現実ではうまく言葉にできない感情がいろんな場面で噴出する。プレッシャーの中気合いを入れて準備していた発表会が延期になったときのあの開放感と喪失感。好きな子とデートをして見送った後の嬉しいような寂しいようなアンニュイな感情。
 そして最も自覚すべきは<感情>と行動や結果は、一致しないことの方が多いことである。
 顔で笑って心で泣くこともあるし、無表情で喜ぶこともある。新しい仕事に対して気合いを入れ直そうが普段通りこなそうが、やる仕事の内容は変わらない。高校野球をテレビ越しに応援しようがしまいがそれが物理的にリアルタイムに彼らに伝わることは無いし、活躍っぷりは変わらないだろう。だけれど人はなぜか失敗したら心理状態のせい、成功したら環境のせいにしようとしたがる。人の形をしているものは気持ちが伝わると考え、気持ちが伝われば全てはうまく流れ出すと思っている。

 性格となんだろうか?性格と言うのは、その人の心理と行動のパターンの傾向のことである。怒るとこうする、悲しいとこうする、嬉しいとこうする、といった一連の感情ー反応を物語としてヒモづけたものの総体である。笑いやすい人、泣きやすい人、マメな人、厳しい人。それらは外部の環境:刺激とヒモづけられるものである。泣きやすい人には、泣ける音楽、泣ける場面、泣けるパターンがなんとなく存在するんだろうな、というのは誰しも想像がつくだろう。
 けれど、<客観的>な「性格」等と言うものは存在するのだろうか。全く同じ言葉を投げかけても、時と場合によって反応は変わる。どんなに暑がりな人間でも、冬の北海道でかき氷を食べたいとは言わない。いろんな場面で何度同じ言葉をかけても毎回泣く人間はロボットか病気なんじゃないかと思ってしまう。こうした例外がほとんどない性質、というのが「客観性」である。
 人の性格として代表的な、面白い人、優しい人、のような基準はどこから来るのか。これも相対的なもので、自分の想定する平均的な人間A君と比べて優しい、面白い、と言ったものでしかない。ある小学生が、1週間練習しても覚えられない九九を、がんばったからといって許す先生と、ちゃんと全部言えないとダメ、と繰り返し課題を出す先生と、どちらが優しいのだろうか。その日単位で見ると出来なかったことを許す先生の方が優しいが、2~30年単位で見れば明らかに厳しい先生の方が子どものことを考えている。想定している期間によっても、その判断は揺らぐ。優しさの基準なんてそう言う意味で曖昧だ。短期的に見れば大人はうるさい、うざい存在だけれど、長期的にみてそれを優しさだ、と思えるかどうか、これは反抗期の経験に左右されるし、反抗期を得ない若者は教条的、刹那的な思考・結論に埋まって行く。

 こうした<性格>はその人を分析した人の<なか>に存在する。追求すればするほど、「性格」の意味は「俺からみたお前の感情の傾向」に収束する。つまり、おまえはこういう行動をしがちだからこういう性格だ、は成り立つが、お前はこういう性格だから、こういう行動をする、は成り立たないし、天気予報ぐらいの意味しか持たない。
 確証バイアスと言って、あなたはこういう性格だと言われたとき、「言われてみればそうかも!!」と当てはまる事例を脳みそがかってにサーチしてくれる機能がある。実際は当てはまらない事例も同等かそれ以上に存在する。最近ちょっとショックなことあったでしょ?とか最近嬉しいことあったでしょ?と言われればたいてい思いつくのと同じである。
 感情は、考えてみればわかるが、正反対に思える「嬉しい」と「悲しい」が同時に発生することもあるし、性格も、強い人でも弱気になることも、その逆もある。つねに起伏があり、同時に存在し、基準も人それぞれ、非常に不安定で瞬間的なものである。しかしそれがあたかも常に存在し、誰しもが同じ刺激を与えれば同じ反応(感情)が帰ってくるかのように語られることがある。例えば「幸福度」だったり、「泣ける映画」だったり、「自分が変われば世界が変わる」みたいな標語だったり。
 人は心理によって簡単に判断を誤るし、それを人間性だ、みたいな詩的な言葉につつんで正当化しようとしたがる。
 心理を目標におてしまうと、それが行動を規制する力となり、人格統制の装置として作用してしまう危険性もある。授業は楽しい方がいい、と作った授業では、笑わない生徒は指導対象となる。「泣ける映画」をみて泣けないのは人間性や人生経験が不足している、と言われる。やる気を目標に定めた会社では、やる気の無い奴は社員失格と言われる。その人が何にコミットするかなんてその人が決めればいいじゃん。やる気がなくても仕事できる奴もいるし、やる気があっても仕事できない奴や、教育を変える!とか言いながら、訓練や勉強しない奴を山ほどみて来た。
 それから大学の二次試験が廃止されて面接で「人間力」を測るなどという報道も出たけれど、結局「女子力」が男性に都合の良い力であるように、「人間力」も面接官に都合のよい力でしかない。もしくはどんなに勉強しなくても、どんなに性格が悪くても、”ポジティブな感情を引き出させる刺激”を面接官に与えるのが上手な人間が合格して行く。高卒大卒程度の人間に、その刺激の引き出しが何十何百パターンも存在するとは思えない。同じような話をされ、同じ刺激を与え続けられると、反応である感情の起伏は小さくなって行くので、後に面接する人間の方が不利になる。企業の人事達はこれを経験してか、最近の若者は画一化している、等と口を揃えて言ってきたではないか。
 心理が充足されればうまく行くと思ってはいけない。自己啓発のように、自分のなかでこうありたい!というマイルールを宣言するのはかまわないが、それを他人に押し付けるのにみんなが違和感を持つのはこうした心理主義からくるものだ。気持ちを変えれば全てうまく行く=心理主義であり、400年前とかから批判されているらしい。心理主義を許してしまうとパンとサーカスのみで生きる社会をつくることになる。そこに実存は存在しないし、実存を追求するスポーツ選手やアイドルをみてエンターテイメントとして楽しむだけの社会が到来する。心理的欠損を自覚しようとし、それを埋めるために走り回るカーニヴァル化する社会
鈴木謙介)がやってくる。心理を目標にしてはいけない。心理を正確にはかれると思ってはいけない。

報われない社会というのは、心理でなく制度の問題。

普通に若い人でも気づいてるぽよ。
自分はどんなに努力しても、これから先給料は上がらないだろうってことに。
努力で給料は上がりますか?
上がりませんよね?
じゃあ努力を強いるのはやめてくださいよ、一応頑張りますけどね?
残業します、はい、はい。
みたいな。
若さで突っ走るみたいな、そういうのあんまりないよね。
あっても最初だけ。


もうそれで病めちゃう人、多い。
だって頑張っても給料上がらないのに、嫌な上司と毎日顔あわせなきゃいけないぽよ。
残業もしなくちゃいけないんだぽよ。
夢も希望もないぽよ。
我慢して、我慢して、我慢して、鬱になるぽよ。
それで会社辞めちゃう人、多い。
そしてニート、フリーター化する人って割と多い。
(わるちゃん周辺調べ)

http://geriharawatako.hatenablog.com/entry/2013/10/30/%E3%80%8C%E5%8A%AA%E5%8A%9B%E3%81%8C%E5%A0%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%80%8C%E8%AB%A6%E3%82%81%E3%81%AE%E5%85%88%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B

 全くその通りである。これが社員のやる気を下げている原因としては最も大きい。やる気があろうと無かろうと仕事をすれば同じ給料がもらえるのであれば、みなそこまで張り切ることはないだろう。勉強しても報われない、努力しても報われない社会制度の指標としてしか、この「やる気」というものは存在しない。
 まず報われると言うのは金銭的な問題を指している。単純化してお話すため漏れも多いが、社会人の大半が働けば働くだけ成果が出るわけでもなければ、成果に応じて昇進や昇給が決まる訳ではない。もっというと成果よりもコミュニケーションがうまい人が評価され(るように見えるし)、評価のためには成果につながる正しさより評価権を持つ上司の正しさを優先することもしばしば。勉強しても報われないと言うのはそう言う意味である。(断っておくが制度として完全な成果主義にしろという意図ではない)。
 かつてはそうやって学歴と収入と昇進が相関した時代があった。80年代は教育の黄金期と言われている(広田照幸)。
日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書 (1448))
 殴られようが叱られようが罵倒されようがそれは全て激励として機能し、踏ん張りがんばれば収入が増え、家族は楽な生活が出来、町並みや風景が劇的に変化し、自分たちがそれを作り上げ豊かな社会を作っていると言う効力を感じれる時代であった。バブル崩壊後、平均年収は減り、正規雇用者数が減り、労働力はダンプ(賃金が圧縮)されてきた。今度は真面目に働き続けても20年後年金がもらえるかもわからない。若者一人で高齢者4人を支える時代が来るかもしれないと言われ、競争が激化し、よい福祉を得るためにはお金が必要な時代になってしまった。念のためと言う人が増えたからこそアレだけ保険のCMが増える訳である。
 そんななか、お前は使えない奴だ!と尻を鞭で打とうが、お前はいいところあるじゃないかやればできるだろうもっとがんばれ!!と褒めようが、そのモチベートは空振りに終わることとなる。
 「がんばったけど、給料があがらなかった、でもそれは自分のためになった辛いけどいいんだやりがいのある仕事だったし、上司喜んでくれたし、明日もがんばろう」
 そうして努力や成果に応じた適切な報酬を与えず(自己)承認だけ与えることを教育(社会学)業界では「やりがいの搾取」という。最近はそう言う意味で褒める上司や先生も増えているはずである。褒めればちゃんと仕事をしてくれる若者は短期的に大人にとって都合がよい。そう言う若者を育てたと言うのも聞こえがよい。アルバイトなども時給50円しか上がらないのに店長候補にして、後は少々の褒め言葉と責任感を与えて正社員と同じ仕事を与えられる時代である。しごきもやりがいの搾取も構造的には同一線上の問題になってしまう。
 これは構造的立体的問題であって面の問題ではない。そう言う側面もあるよね、で片付けられる問題ではない。教育やコミュニケーションをいくら批判してもこれらの問題は解決しない。学校教員はこの社会背景から教科専門性だけでなくコーチング等のメンタルケアまでまかされることになった。一部の教員は昔から行っていたことではあるけれど、それがのれんに腕押しな時代になってしまったと感じている。それこそ報われない市場にモチベーションの高い学生を送り出すと言うのは、戦争に行かせるために兵士を育てる位の残酷さである。研修は成果の出る方法を教えなければならない、教育は社会と連動して報われない社会を打破するための、新しい人材を生み出す必要がある。(そしてその人物を生み出すために犠牲になるような人物を生み出さないよう配慮する必要がある)。そうしなければ、ゼロサムな利益を奪いあう組織が出来てしまう。社員が足を引っ張るのは組織がインセンティブを共有してないと言う制度的な原因にほぼ収束される。経済を回すためには無駄を作らねばならない。経済的な人間として振る舞うには無駄を消費しなければならない。

漁師とMBA

 何度もいうが、努力すればするだけ年収が上がり昇進が見込め、自分と家族が豊かな生活が出来るならみなやる気を出すのだ。発展途上国でそういったビジネスが許された人達は目を輝かせて身を粉にして働く。職場には自由度が無いし成果ばかりを求められるしそれでも消費は十分だと思っている人達が多い国≒成熟した国で、やる気を出すのは偏にコンサルが自分の仕事を売り込むための宣伝のための餌でしかない。最後にはたらくとはなにか、経済成長について考える材料となる有名なコピペを貼って終わろう。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。
旅行者が「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと漁師は、
自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

社会的責任が求められる割に年収下げられて多忙感が増えるのに志望しようとする優秀な学生はどこから来るんでしょうかね?

 おひさしぶりです。タイトルで言い尽くしたのだけれど一応本文も書いておこう。教育問題は教員不祥事問題みたいに個別に見ると格別なゴシップエンターテイメントなのだけれど、制度としてみるとやっぱりグルーヴヤバめ。教育改革はいいのだけれど、たいてい教育制度の移行期間は大して教育成果が上がらないのをそろそろだれか検証して報告してほしい。
 書いてみて思ったけれど前回のエントリと内容があまり変わらなかった。
体罰とかで騒いでる暇ないよこれから学校教育は本当に苦難の5年を迎える - 技術教師ブログ

 財政制度等審議会財務相の諮問機関)は28日、2014年度予算案の編成に向けて、小学校や中学校の義務教育に対する国庫負担金の大幅削減を求めることで一致した。委員からは、少子化に伴って「児童・生徒の減少に合わせ、教員の削減はやむを得ない」などとする意見が相次いだ。
 一般会計予算の2割近くを占める地方交付税交付金に関しては、リーマン・ショック後の景気対策として導入された「別枠加算」(約1兆円)の廃止を総務省に求めることでも合意した。ただ、地方自治体からは継続を求める声が強く、年末の予算編成に向けた調整は難航しそうだ。
 財務省は28日の会合で、子ども1人当たりの教員数を維持しながら定数を2000人減らし、高い給与水準を地方公務員並みに引き下げれば、14年度の国庫負担金が約370億円削減できるとする試算を提示した。委員から異論は出ず、「良い教育のためには教員の数を増やせばいい、という考え方は古い」などとして大筋で了承された。(2013/10/28-16:08)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201310/2013102800602

 日本の教育の迷走は文科省の優しさと財務省のケチさによって成り立っているのだけれど相変わらずの酷さである。

 下村文部科学大臣閣議のあとの記者会見で、財務省少子化による児童生徒の減少に合わせて小中学校の教職員の定数を減らすべきだと主張していることについて、「教育予算の自然減は教育環境の充実に充てるべきだ」と述べ、財務省を批判しました。
 文部科学省は、少人数教育の推進やいじめ問題への対応などを強化するため、来年度からの7年間で小中学校の教職員の定数を3万3500人新たに確保すべきだとしていますが、財務省少子化による児童生徒の減少に合わせて、逆に1万4000人減らすべきだと主張しています。
これについて下村文部科学大臣は、閣議のあとの記者会見で「日本の教員1人当たりが受け持つ児童生徒の数は、OECD経済協力開発機構の加盟国の平均より多いというのが客観的事実だ。少子化で減少が見込まれる子どもの数と同じ比率で教員を減らすのではなく、むしろ教育予算の自然減を教育環境の充実に充てるべきだ」と述べ、財務省を批判しました。
そのうえで下村大臣は、「学校現場は複雑化、多様化しており、少人数教育の推進やいじめ問題への対応など、個別の教育課題に対する的確な対応が求められている。財務省には、国家観に立ち、これからの日本をどうするかという視点から十分な理解をしてもらう必要がある」と述べました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131029/k10015638361000.html

 これに対して僕の周囲でも、お金要らないんじゃないの?とか競争が激化すると実力のある教員が残るからいいよね、とか言い出す教育NPOの代表とか学校の中の人がいてびっくりした。この業界がいっこうに改善しないのは、周囲もそうだけれど中の人達が全く問題を理解してないことに原因があるのだなと感じた。
 書いてある通りOECD平均より教員一人当たりの受け持ち児童数は多い。教員一人当たり17人程度と言われているのだけれど、実際個人的に調べたところだと、小中学校の教員の一人当たりの受け持ち児童生徒数は、岩手で一人当たり13人、北海道で77人であった。何が問題かと言うと、北海道では曜日によって勤務校が変わるのは当たり前、教員がたらないので社会の先生がやったことも無い美術を臨時免許で教えたり、要は場所にもよるのだろうが免許外教科を教えることが制度としてほぼ前提となっている。実は水面下で全国の免許外教員問題が顕在化しつつある。教員数は保たれていてもどう考えても教育の質は保たれない状態になりつつある。

長野県松本市の私立小中一貫校・才教学園小中学校(児童・生徒数498人)は20日、必要な免許を持たない教員に授業や担任を受け持たせていたと公表した。2005年度の開校当初から続いており、延べ64人を不適正に配置していた。県に担任を届け出る際、免許を持つ別の教員名を虚偽記載していたことも判明。県は教育職員免許法違反に当たるとして、補助金の支給停止を決めた。

http://mainichi.jp/feature/news/20130821ddm041040141000c.html

 三重県立白山高校(津市)の家庭科で、免許がない講師が授業をしていた問題をめぐり、県教育委員会は5日、白山高を含む7高校の計11科目で、無免許の教諭や講師が授業をしていたと発表した。無免許授業を受けた生徒は延べ534人で、うち延べ336人は現役という。

 県教委が県立57高校と13の特別支援学校で、2011〜13年度の実態を調べた。白山のほか、水産、明野、名張西、伊勢、稲生、鳥羽の6高校でも無免許授業があった。科目は、公民科の現代社会、地理歴史科の世界史A、農業科の総合実習など。

朝日新聞デジタル:三重の7高校で無免許授業 教諭や講師、計11科目で - 教育

 そうして足りない先生は非常勤講師から補充されることになる。雇用の調整弁と教育費のダンピングとして非正規雇用教員が増加していることは以前にも指摘したが、最近はこんな記事もでてきていた。

今、教育現場が直面している新たな課題が、臨時採用、つまり非正規雇用の教員の増加です。
全国の公立の小中学校で、今年度、6万3000人余りに上り、自治体によっては6人に1人を占めていることが文部科学省のまとめで分かりました。
十分な研修を受けられないまま、担任に就くケースも出ていて、教育の質の確保が課題となっています。

http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2013_1021.html

もう4年前位から増田ユリア氏が指摘して来てたけれどね。
 教員はもっと努力しろ、授業をわかりやすくしろ、生徒の面倒を見ろ、もっと論理的に話せ、ちゃんと方法を教えろ。どの指摘ももっともなのだけれど、時間があってもお金がない教員と、お金があっても時間がない教員と、要領が良くてそれなりにこなしている教員と、なんか極端な状態になっている。時間がない教員はどうなって行くかと言うと、心の病気にかかるか、病気にかかる前に仕事をセーブするかである。

2013.10.17 12:10
 小中高校などの教員の残業時間は月平均約95時間半で、10年前の平成14年調査より約10時間増えていることが17日、全日本教職員組合(全教)の調査で分かった。学校での残業が約73時間で、自宅で仕事をする時間が約22時間半だった。
 全教は「生徒指導や保護者対応で忙しくなったほか土日の仕事が増えて残業時間を押し上げている。長時間勤務の解消に取り組むよう教育委員会などに求めたい」と話している。
 調査は、組合員を中心に全国の正規と再任用の教員を対象に24年10月の勤務状況を質問。5880人が回答した。小中高校別では、小学校の残業時間が月94時間21分、部活動が増える中学は114時間25分、全日制高校は100時間47分。月100時間以上の教員の割合は小学校34%、中学52%、高校40%だった。
 残業内容は部活動や授業準備、報告書の作成、会議など。土日の出勤や家で仕事をする時間は月25時間35分だった。14年は5〜6月の勤務実態を調査した。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/131017/edc13101712100000-n1.htm

日教組叩かれすぎてこの10数年は働いてくれないので教員の労働環境は改善しません。

 先生は忙しい。その忙しさは解消されるどころか、うつ病など心の病で休職した公立学校の教員が2008年度から4年連続で5000人を超えるなど現場の疲弊は深刻さを増すばかりだ。昨年から今年にかけて東京都のNPOが全国の小学校教員を対象に実施したアンケートからは、先生の焦燥感や不安が色濃く浮かび、手厚い支援を望む声が聞かれた。
11時間半労働
 調査はNPO「日本標準教育研究所」が実施。昨年3月〜今年1月まで、テーマ別に計3回にわたって延べ約1000人から回答を得た。
 教師の仕事で悩んでいることを尋ねたところ、上位三つは「自分の時間が持てない」「保護者との関係」「特別支援が必要な子供への対応」だった。
 調査の結果、学校にいる時間は平均「11時間半」。東京大社会科学研究所が調べた全産業の平均(10時間半)に比べ約1時間長い。その上、9割が帰宅後に自宅で仕事をすることがあると回答し、休日出勤も月平均2・2回だった。
 自由記述では「外国語活動、他校との連携、総合学習など、やらなければいけないことが多く、じっくり授業を組み立てられない」(教員歴29年、千葉県、女性)、「家族との時間が持てない」(同20年、東京都、女性)という悲痛な訴えも目立った。教員の多忙化は、国が定数増など対策を打ってはいるが、解消されていない実態が浮き彫りになった。

http://mainichi.jp/feature/news/20131028ddm013100019000c.html

打開策として、要望が最も多かったのは「時間的な余裕の確保」(75%)で、次いで「学級の定員減」(60%)。1クラスの定員は現行は40人が上限。小学1年は法改正で11年度から、小学2年は予算措置によって12年度から、それぞれ35人学級が全面導入されているが、対象学年の拡大を望む声が強かった。
 さらに注目すべき結果は、半数の教員が「教師同士の協力関係」を要望した点だ。裏を返せば、教員が互いの悩みを打ち明けたり、先輩教員からアドバイスをもらったりする機会がない現実を表している。
 今回の調査を担当した元小学校教員の増田修治・白梅学園大准教授は「今の学校教育は先生たちの自己犠牲の上に成り立っている実態が改めて分かった。だがこれは本来の教育の姿ではない。先生の環境改善が急務だ」と話している。【三木陽介】

http://mainichi.jp/feature/news/20131028ddm013100019000c.html

 とまあ改善の余地って山ほどあって、わかりやすいところを提案するなら部活指導の全面廃止。給食指導の支援員の派遣。やりたいなら学童のように選抜された地域の大人が(セクハラとかしごきとかあるかもしれないから)適切な監視の元でボランティアでやること、それと書類作成や印刷等雑務の3割減、講師の保険と研修の保障が可能となって、はじめて給与削減と教員定数削減が可能となる。
 それから実は教員定数削減に我々が対抗する方法はある。教員の給与は国が半分、自治体が半分持つことになっており、教員定数とはその給料の算出に使われる基準のこと。なので、教員が必要だと思っている自治体は教員の雇用にもっとお金を出していいことになっている。皆近所の人を巻き込んで、役所や教育委員会や市長へ教育費を捻出するよう要望書やメールを送ってその必要性を叫ぶ声が票につながると判断されれば何とかなるかもしれない。
 ところで本題なのだけれど、これからこれだけ激しい教育現場に入ろうと思う能力や情報感度が高い教員はいるのだろうか?ベテランの腕のある先生がことごとく教育現場を離れたり(だって大学の先生になれる位のポテンシャルがあって私立からも引く手あまた)、若い教員は教育困難地域から離れて他県の教員採用試験を受験したり、大阪では悪政のおかげで講師すら足りない状況だと言う話を聞く。数名だが僕の交流のある学生だった人達も、学生の頃は教育NPOや団体で活動したり教員免許を取得したのにも関わらず企業へ就職してしまった。社会人経験してから教育現場に帰ってきたいとは言っていたが、彼らは帰ってくるのだろうか。教員採用試験の受験者数は増えているが、競争倍率はこの10年で3分の2に減っている。教員にはなりやすくなっている状況だ。今までが競争が厳しかっただけなのだろうか。

 大阪府教委は25日、大学2、3年生や社会人らを対象にした「教員チャレンジテスト」(仮称)を来年度から始めることを決めた。一定水準に達すれば、翌年度以降に受ける教員採用試験で1次の筆記試験を免除する。府教委によると、教員確保のため学生らを早期に「囲い込む」のが狙い。全国初の取り組みという。

 テストでは生徒指導論など教員に必要な教養などを重点に問う。2015年度実施の採用試験から免除を適用する。免除の有効期間は2年で、1次面接や2次以降の試験は受ける必要がある。

 大阪では、1970〜80年代の人口急増期に対応して増えた教員の大量退職が進んでおり、近年は年2千人以上を採用している。最終倍率は4倍ほどだが、志願者数は減少傾向。中学理科など特に確保が難しい教科もあり、質の高い人材確保が課題になっていた。理工系学生は実験実習が本格化する4年生を前に受験でき、採用試験の負担を減らすことができるという。

http://www.asahi.com/articles/OSK201310250046.html

 ■小学教諭2人と意見交換

 県教育委員会事務局の職員を学校現場に100人規模で異動させるなど現場の教職員を充実させる県の教育改革に関連し、県東部と西部の30代の小学校の男性教諭2人が11日、知事室を訪れ、「35人学級はありがたいがそれでも人が足りていない」などと訴えた。これに対して川勝知事は、教員免許を持っていなくても地域の子育てに関心が強い住民をボランティアで各校に配置する考えを提案するなど、現場の教師と意見を交換した。

 男性教諭2人が「子供には理解度などで個人差があり、対応するために時間や人手が必要。少ない人数では授業がなかなかできない」と知事に伝えると、知事は「今年度から全校で35人学級を行っているが、学級が増えると授業が増えて先生の空き時間が減るというマイナスもある」と述べ、教育委員会事務局の270人のうち、100人を教育現場に戻す改革について説明した。

 さらに、男性教諭2人が、小学校の各学年に1人ずつ学級外の教諭を配置するために「3〜5人必要」と述べると、知事は「500校で3人必要だとすると全部で1500人必要。若くて教職免許を持っている人だけでまかなうのは無理だ。免許はなくても“助っ人”として、1千人ぐらいがボランティアで学校現場に入れば」と、地域のPTA会員を学習の補助員などに起用する考えを示した。

 教諭2人は「免許を持っていないとテストの採点もできないことになっている」と話すと、知事は「あまり形式張らなくてもいいのでは」と応じた。

 面会後、教諭2人は「人が足りないと学力向上につながる厳しい指導にも及び腰になるところもある」と話していた。

http://sankei.jp.msn.com/region/news/131012/szk13101202330003-n1.htm

 いま、現場は制度が変わるまでの消耗戦を強いられている。本来持っているパフォーマンスも発揮できず、身体的な疲労、精神的な疲弊、社会からの批判、それらを耐えながら教育、労働、子育て、福祉制度のバランスが改善されるのを待っている。まだまだ教育現場の迷走はつづきそうである。